rrbのブログ - 2021/12のエントリ
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今京都 三明院 2021/12/17 12:00 am
三明院(さんみょういん)の存在そのものを知らなかった。知ったのは御朱印のおかげだ。三宅八幡宮の3つめの鳥居の手前を右手に歩いて行くとたどり着く。まず、目につくのは塔(多宝塔)だ。ちょっとした羅漢像も楽しませてくれる。決して広くはないが、満足の行くお寺さん。御朱印には紅葉を貼り付けてくれた。
調べてみると、境内には樹齢約100年といわれる数本のカエデなどが植えられていて、穴場の紅葉スポットらしい。来年の紅葉の季節には…という今京都。






調べてみると、境内には樹齢約100年といわれる数本のカエデなどが植えられていて、穴場の紅葉スポットらしい。来年の紅葉の季節には…という今京都。






rrbの行動は、写真と御朱印の恩恵をいっぱい受けているね
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今京都 三宅八幡宮 2021/12/16 12:00 am
ここも応仁の乱の影響を受けている。詳しくは以前に掲載しているので興味のある方は 今京都記事一覧 からどうぞ。
訪れたこの日は、高木の伐採作業の最中だったので、本殿には横の入り口から迂回して行くことになった。何年も前に訪れているので、殆ど記憶になかったのが情けない。以前にはあった水車は朽ちて無くなっていたり、年月を感じる。その対比はまた改めて掲載したい…という今京都。



訪れたこの日は、高木の伐採作業の最中だったので、本殿には横の入り口から迂回して行くことになった。何年も前に訪れているので、殆ど記憶になかったのが情けない。以前にはあった水車は朽ちて無くなっていたり、年月を感じる。その対比はまた改めて掲載したい…という今京都。



以前はブログ記事、今回は御朱印。目的がなければ訪れない人だね、rrbは。
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今京都 蓮華寺 2021/12/15 12:00 am
蓮華寺は鴨川源流のひとつである高野川のほとり国道367号に面してある。国道367号は鯖街道の名で知られている。蓮華寺から八瀬方面に、ほんの少し足を伸ばせば崇道神社がある。
蓮華寺は、もとは七条塩小路(現在の京都駅付近)にあった西来院という時宗寺院。応仁の乱に際して焼失したものを江戸時代初期の1662(寛文2)年に、加賀前田藩の家臣、今枝近義が再建したものとされている。
応仁の乱は、多くの大切なものを焼失させている。平安京の外には、「京都の百塔参り」ができるくらいの塔があったという。藤原忠親の日記『山槐記』には、三日間で128基の塔を巡ったという記述があると聞く。それらの殆どが応仁の乱で焼け落ちている。中京区の京都市平安京創生館に展示されている「平安京復元模型(1/1000)」には平安京の外に多くの塔があり、「百塔参り」が容易に想像できる。この百塔参りは塔に番号が付いているわけではなく、単に100参るという数に重点があるということだ。
応仁の乱は多くを焼失させるが、この地に再建されて良かったのかも…と思う。決して大きくはないが、趣のあるお寺さんの一つになっている…という今京都。





蓮華寺は、もとは七条塩小路(現在の京都駅付近)にあった西来院という時宗寺院。応仁の乱に際して焼失したものを江戸時代初期の1662(寛文2)年に、加賀前田藩の家臣、今枝近義が再建したものとされている。
応仁の乱は、多くの大切なものを焼失させている。平安京の外には、「京都の百塔参り」ができるくらいの塔があったという。藤原忠親の日記『山槐記』には、三日間で128基の塔を巡ったという記述があると聞く。それらの殆どが応仁の乱で焼け落ちている。中京区の京都市平安京創生館に展示されている「平安京復元模型(1/1000)」には平安京の外に多くの塔があり、「百塔参り」が容易に想像できる。この百塔参りは塔に番号が付いているわけではなく、単に100参るという数に重点があるということだ。
応仁の乱は多くを焼失させるが、この地に再建されて良かったのかも…と思う。決して大きくはないが、趣のあるお寺さんの一つになっている…という今京都。





百塔参り、今の時代なら全て写真に撮る…なんてこともできたのにね
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今京都 崇道神社 2021/12/14 12:00 am
ここの神社は3年ほど前に訪れている。崇道神社が正しいようだが、神社入り口には「崇導神社」の石碑。この神社の説明は以前の掲載に任せるので興味のある方は 今京都記事一覧 からどうぞ。
この日訪れたのは「御朱印」目当てだが、月に一度のボランティア掃除の日だった。せっかくなので少しの時間だけ手伝わせてもらった。京都では寺社仏閣を維持するため、ボランティア活動が活躍している。
特に紅葉で有名な神社ではないが、それだけにポツンとある紅葉は目を引く…という今京都。
★以前の掲載は ここ と ここ と ここ 。



この日訪れたのは「御朱印」目当てだが、月に一度のボランティア掃除の日だった。せっかくなので少しの時間だけ手伝わせてもらった。京都では寺社仏閣を維持するため、ボランティア活動が活躍している。
特に紅葉で有名な神社ではないが、それだけにポツンとある紅葉は目を引く…という今京都。
★以前の掲載は ここ と ここ と ここ 。



掃除を手伝ったのは、良いことしたね
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今京都 出世稲荷神社 2021/12/13 12:00 am
京都市上京区の千本旧二条。バス停「千本旧二条」の近くに、セブンイレブン京都出世稲荷前店がある。店名から想像できるように、出世稲荷神社は以前はここにあり、2012(平成24)に大原へ移転した。
神社自体の歴史は決して浅くない。1587(天正15)年に関白太政大臣、豊臣秀吉公が聚楽第を造営するに際し、邸内に日頃より信仰していた稲荷神社を勧請。翌年、後陽成天皇が聚楽第に行幸し、稲荷社に参拝したときに、立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けられる。
一方で、1663(寛文3)年に二条城西方の千本通沿い(千本旧二条付近)に移転していることなどから、一つのところに留まらない性質があるのか。実はそうではない。明治時代以降に建立されたという社殿は文化財指定を受けておらず、修繕費用は神社の負担となる。その費用として旧境内の土地の一部を売却するなどして賄ってきたが、老朽化する社殿を維持修復する費用がなく、境内の土地を売却して移転となったというのが実情らしい。
実は、京都では、出世稲荷神社のように本殿の改修費用が集まらず、苦渋の決断をする神社が後を絶たないと聞く。檀家や氏子に頼れず観光客頼みの寺社も多く、世界遺産に指定されているような寺社ですら、苦しい運営を強いられているとのことだ。歴史都市京都の寺社仏閣といえども、決して恵まれた環境下にいるわけではないということだ。
さて、移転はしたものの三千院に向かう道中にあるが、三千院に向かうがあまり通過されてしまうのではないか、それこそ「陸舟の松」とならないように願うばかりである。元あった千本旧二条にある石碑とともに…という今京都。




神社自体の歴史は決して浅くない。1587(天正15)年に関白太政大臣、豊臣秀吉公が聚楽第を造営するに際し、邸内に日頃より信仰していた稲荷神社を勧請。翌年、後陽成天皇が聚楽第に行幸し、稲荷社に参拝したときに、立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けられる。
一方で、1663(寛文3)年に二条城西方の千本通沿い(千本旧二条付近)に移転していることなどから、一つのところに留まらない性質があるのか。実はそうではない。明治時代以降に建立されたという社殿は文化財指定を受けておらず、修繕費用は神社の負担となる。その費用として旧境内の土地の一部を売却するなどして賄ってきたが、老朽化する社殿を維持修復する費用がなく、境内の土地を売却して移転となったというのが実情らしい。
実は、京都では、出世稲荷神社のように本殿の改修費用が集まらず、苦渋の決断をする神社が後を絶たないと聞く。檀家や氏子に頼れず観光客頼みの寺社も多く、世界遺産に指定されているような寺社ですら、苦しい運営を強いられているとのことだ。歴史都市京都の寺社仏閣といえども、決して恵まれた環境下にいるわけではないということだ。
さて、移転はしたものの三千院に向かう道中にあるが、三千院に向かうがあまり通過されてしまうのではないか、それこそ「陸舟の松」とならないように願うばかりである。元あった千本旧二条にある石碑とともに…という今京都。




京都事情も色々あることを知ると、考えさせられるね