rrbのブログ - 2021/12/15のエントリ
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今京都 蓮華寺 2021/12/15 12:00 am
蓮華寺は鴨川源流のひとつである高野川のほとり国道367号に面してある。国道367号は鯖街道の名で知られている。蓮華寺から八瀬方面に、ほんの少し足を伸ばせば崇道神社がある。
蓮華寺は、もとは七条塩小路(現在の京都駅付近)にあった西来院という時宗寺院。応仁の乱に際して焼失したものを江戸時代初期の1662(寛文2)年に、加賀前田藩の家臣、今枝近義が再建したものとされている。
応仁の乱は、多くの大切なものを焼失させている。平安京の外には、「京都の百塔参り」ができるくらいの塔があったという。藤原忠親の日記『山槐記』には、三日間で128基の塔を巡ったという記述があると聞く。それらの殆どが応仁の乱で焼け落ちている。中京区の京都市平安京創生館に展示されている「平安京復元模型(1/1000)」には平安京の外に多くの塔があり、「百塔参り」が容易に想像できる。この百塔参りは塔に番号が付いているわけではなく、単に100参るという数に重点があるということだ。
応仁の乱は多くを焼失させるが、この地に再建されて良かったのかも…と思う。決して大きくはないが、趣のあるお寺さんの一つになっている…という今京都。





蓮華寺は、もとは七条塩小路(現在の京都駅付近)にあった西来院という時宗寺院。応仁の乱に際して焼失したものを江戸時代初期の1662(寛文2)年に、加賀前田藩の家臣、今枝近義が再建したものとされている。
応仁の乱は、多くの大切なものを焼失させている。平安京の外には、「京都の百塔参り」ができるくらいの塔があったという。藤原忠親の日記『山槐記』には、三日間で128基の塔を巡ったという記述があると聞く。それらの殆どが応仁の乱で焼け落ちている。中京区の京都市平安京創生館に展示されている「平安京復元模型(1/1000)」には平安京の外に多くの塔があり、「百塔参り」が容易に想像できる。この百塔参りは塔に番号が付いているわけではなく、単に100参るという数に重点があるということだ。
応仁の乱は多くを焼失させるが、この地に再建されて良かったのかも…と思う。決して大きくはないが、趣のあるお寺さんの一つになっている…という今京都。





百塔参り、今の時代なら全て写真に撮る…なんてこともできたのにね