rrbのブログ - 今京都のエントリ
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おかがみさん2010/01/29 12:00 am
おかがみさん
正月の鏡餅飾り。「鏡餅飾り」の略形カガミに「お〜さん」をつけて敬意を表す。床の間に木瓜大明神の掛け軸を掛け、その前に三宝を置いてカガミモチを飾る家がある。ホシズキサンは、小餅の上に指頭ぐらいの餅粒を載せた重ね餅。正月に仕事場や台所に供えて一年の無事を祈る。餅粒を「星付き」とたとえた。正月11日ごろ鏡餅を下げて雑煮・汁粉にして食べる「鏡開き」の行事がある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
桂むき
「桂むき」といえば大根。筒切りにした大根を薄く帯状にむいていく。それをさらに細く切れば、刺身のツマのできあがり。少し話しは脱線するが、この刺身のツマ、関西と関東では切り方が違うのだそうだ。関東の刺身のツマは、どこまでもグルグルと「桂むき」にする。それを筒状に巻いた形で端から細く切るので、大根の長さが50cmも60cmもあるという。それに対して関西では「桂むき」にしたものを適当な長さに切るので、それほど長くないという。

「桂むき」の「桂」とは木の「桂」ではない。京都の桂離宮で知られる、桂の地名が語源。大原女(おはらめ)、白川女(しらかわめ)、桂女(かつらめ)といえば、その昔の京都の働く女性の代表的風俗とされている。大原女は、大原の里から頭に黒木(いぶした薪)や柴を載せて都にやってくる。白川女は、「花いらんかえ〜」と、都で花を売り歩く。いずれも観光名物のようになっていて、いまでも見る機会はある。しかし、桂女はあまり記憶にない。京都の桂の里に住む桂女は「桂包み」あるいは「桂巻き」といわれる白い長い布で頭をすっぽりと包み覆い、前で桂結びをしていた。これは平安時代中期から室町時代後期まで続いた、桂の里の独特の風俗であった。やがて室町時代には庶民の女性の風俗となって、当時の絵巻物などにもよく見られる。桂女は古くからこのスタイルで、桂糖(あめ)や桂川で獲れる鮎を売り歩いたそうだ。そしてこの白くて長い一枚布が「桂むき」の語源ではないかと思われる。

独特の風俗を伝えたこの桂女は、一種の巫女であったそうだ。正月、婚礼、出産、出陣などの祝いごとがあればその家を訪れて、花嫁に付き添ったり、祝言のお祓いをした。平安時代、天皇に桂川の鮎を献上したのにはじまって、やがて鮎やアメを売り歩くようになったという。「桂むき」の語源となった白い布が、巫女のシンボルのように思えてきた。能の世界では、能の演者がかつらの上には鉢巻きのような合わせ布を巻いて、後ろに長く垂らしている。これもまた「桂巻き」と呼ばれているのだが、桂女の「桂巻き」に由来するのかもしれない。桂女がだんだん謎めいてきた。その桂女に出会える日が一年に一度だけある。10月22日の時代祭りがその日だという…今京都。 ※写真と本文は関係ないのであしからず。

正月の鏡餅飾り。「鏡餅飾り」の略形カガミに「お〜さん」をつけて敬意を表す。床の間に木瓜大明神の掛け軸を掛け、その前に三宝を置いてカガミモチを飾る家がある。ホシズキサンは、小餅の上に指頭ぐらいの餅粒を載せた重ね餅。正月に仕事場や台所に供えて一年の無事を祈る。餅粒を「星付き」とたとえた。正月11日ごろ鏡餅を下げて雑煮・汁粉にして食べる「鏡開き」の行事がある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
桂むき
「桂むき」といえば大根。筒切りにした大根を薄く帯状にむいていく。それをさらに細く切れば、刺身のツマのできあがり。少し話しは脱線するが、この刺身のツマ、関西と関東では切り方が違うのだそうだ。関東の刺身のツマは、どこまでもグルグルと「桂むき」にする。それを筒状に巻いた形で端から細く切るので、大根の長さが50cmも60cmもあるという。それに対して関西では「桂むき」にしたものを適当な長さに切るので、それほど長くないという。

「桂むき」の「桂」とは木の「桂」ではない。京都の桂離宮で知られる、桂の地名が語源。大原女(おはらめ)、白川女(しらかわめ)、桂女(かつらめ)といえば、その昔の京都の働く女性の代表的風俗とされている。大原女は、大原の里から頭に黒木(いぶした薪)や柴を載せて都にやってくる。白川女は、「花いらんかえ〜」と、都で花を売り歩く。いずれも観光名物のようになっていて、いまでも見る機会はある。しかし、桂女はあまり記憶にない。京都の桂の里に住む桂女は「桂包み」あるいは「桂巻き」といわれる白い長い布で頭をすっぽりと包み覆い、前で桂結びをしていた。これは平安時代中期から室町時代後期まで続いた、桂の里の独特の風俗であった。やがて室町時代には庶民の女性の風俗となって、当時の絵巻物などにもよく見られる。桂女は古くからこのスタイルで、桂糖(あめ)や桂川で獲れる鮎を売り歩いたそうだ。そしてこの白くて長い一枚布が「桂むき」の語源ではないかと思われる。

独特の風俗を伝えたこの桂女は、一種の巫女であったそうだ。正月、婚礼、出産、出陣などの祝いごとがあればその家を訪れて、花嫁に付き添ったり、祝言のお祓いをした。平安時代、天皇に桂川の鮎を献上したのにはじまって、やがて鮎やアメを売り歩くようになったという。「桂むき」の語源となった白い布が、巫女のシンボルのように思えてきた。能の世界では、能の演者がかつらの上には鉢巻きのような合わせ布を巻いて、後ろに長く垂らしている。これもまた「桂巻き」と呼ばれているのだが、桂女の「桂巻き」に由来するのかもしれない。桂女がだんだん謎めいてきた。その桂女に出会える日が一年に一度だけある。10月22日の時代祭りがその日だという…今京都。 ※写真と本文は関係ないのであしからず。


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