rrbのブログ - 一辺倒
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一辺倒2009/01/23 12:00 am
いっぺんとう…一方だけに傾くこと。熱中すること。あることに傾倒して、夢中になる状態。
◇ちょっと予備知識 → 「一辺」は一方、一面のこと。「一片倒」と書くのは誤り。
類義語に一意専心(いちいせんしん)・一本槍(いっぽんやり)・
一心不乱(いっしんふらん)・只管(ひたすら)がある。
露払い
大相撲で横綱が土俵入りするときには、必ず先導役の力士が「露払い」として先に立ち、後ろには太刀を掲げた「太刀持ち」を従えて入ってくる。これは江戸寛政期の谷風、小野川という横綱が土俵入りを初めて行ったとき以来の習慣だという。そもそも昔から貴人の儀式には、先導役の「露払い」と従者の「太刀持ち」を従えるのが習わしだったそうで、横綱土俵入りの威厳を高めるためにこれを見習ったものだといわれている。

しかし今現在「露払い」といえば、大相撲ファンならずとも大方の人は、この先導役の力士のことを思い浮かべるのではないだろうか。ところがドスコイ、いや違ったドッコイ。「露払い」のルーツは相撲ではなく、なんと蹴鞠にあるという。これには驚いた。古式ゆかしい平安装束で「アリ」「ヤア」「オウ」と優雅に鞠を蹴り合う、あの蹴鞠である。

京都では新春1月4日に下鴨神社で行われる蹴鞠始めにはじまって、2月11日には上賀茂神社、4月14日と7月7日には蹴鞠の神様を祀る白峯神宮、6月には藤森神社、8月の旧暦七夕には平野神社などと、蹴鞠の晴会が人気である。そればかりか、白峯神宮は蹴鞠をルーツに、いまやサッカーの神様となってすっかりおなじみだ。

「露払い」を辞書で引くと、ひとつに『蹴鞠の最初。鞠庭でまず鞠を蹴って、懸(かかり)の樹の露を払い落とすこと。また、その人』とある。蹴鞠における鞠庭とは、サッカーでいうピッチ、競技場のこと。しかし、サッカーと違うのは約15m四方のピッチの内側四隅に「懸りの木」と呼ばれる松・桜・柳・楓が植えられていること。これらの木に神が降り立つとされ、四季の木々に囲まれたなかで鞠を蹴るのである。

蹴鞠は7世紀には大陸から日本に伝わり、飛鳥や奈良の地でも蹴られていた。しかし、懸りの木が植えられるようになったのは、まぎれもなく平安の都においてであるという。蹴鞠のピッチに春・夏・秋・冬という宇宙を一堂にこめようとする美意識はいかにも京都であり、日本人独特の感性として培われてきたものである。ちなみに現在の懸りの木は、蹴鞠のために特設されたものや背の低い木が多いが、古い絵を見ると羽振りのよい堂々とした木々が描かれている。

さて、朝一番の試合ともなれば、懸りの木にはたっぷりと夜露が降りている。木の枝に蹴った鞠が触れるたび、ザザーっと露を浴びてしまうことは想像に難しくない。雨あがりの木の下で「冷たい」と叫んだ経験が誰にでもある。だから、蹴鞠の前に懸りの木の露を払い落とす必要がある。というわけで「露払い」の語源は多いに共感。「露払い」は蹴鞠開始のひと蹴りにあり、意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.25…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。 前回の語源は「ねてもさめても」(←クリック)。

◇ちょっと予備知識 → 「一辺」は一方、一面のこと。「一片倒」と書くのは誤り。
類義語に一意専心(いちいせんしん)・一本槍(いっぽんやり)・
一心不乱(いっしんふらん)・只管(ひたすら)がある。
露払い
大相撲で横綱が土俵入りするときには、必ず先導役の力士が「露払い」として先に立ち、後ろには太刀を掲げた「太刀持ち」を従えて入ってくる。これは江戸寛政期の谷風、小野川という横綱が土俵入りを初めて行ったとき以来の習慣だという。そもそも昔から貴人の儀式には、先導役の「露払い」と従者の「太刀持ち」を従えるのが習わしだったそうで、横綱土俵入りの威厳を高めるためにこれを見習ったものだといわれている。

しかし今現在「露払い」といえば、大相撲ファンならずとも大方の人は、この先導役の力士のことを思い浮かべるのではないだろうか。ところがドスコイ、いや違ったドッコイ。「露払い」のルーツは相撲ではなく、なんと蹴鞠にあるという。これには驚いた。古式ゆかしい平安装束で「アリ」「ヤア」「オウ」と優雅に鞠を蹴り合う、あの蹴鞠である。

京都では新春1月4日に下鴨神社で行われる蹴鞠始めにはじまって、2月11日には上賀茂神社、4月14日と7月7日には蹴鞠の神様を祀る白峯神宮、6月には藤森神社、8月の旧暦七夕には平野神社などと、蹴鞠の晴会が人気である。そればかりか、白峯神宮は蹴鞠をルーツに、いまやサッカーの神様となってすっかりおなじみだ。

「露払い」を辞書で引くと、ひとつに『蹴鞠の最初。鞠庭でまず鞠を蹴って、懸(かかり)の樹の露を払い落とすこと。また、その人』とある。蹴鞠における鞠庭とは、サッカーでいうピッチ、競技場のこと。しかし、サッカーと違うのは約15m四方のピッチの内側四隅に「懸りの木」と呼ばれる松・桜・柳・楓が植えられていること。これらの木に神が降り立つとされ、四季の木々に囲まれたなかで鞠を蹴るのである。

蹴鞠は7世紀には大陸から日本に伝わり、飛鳥や奈良の地でも蹴られていた。しかし、懸りの木が植えられるようになったのは、まぎれもなく平安の都においてであるという。蹴鞠のピッチに春・夏・秋・冬という宇宙を一堂にこめようとする美意識はいかにも京都であり、日本人独特の感性として培われてきたものである。ちなみに現在の懸りの木は、蹴鞠のために特設されたものや背の低い木が多いが、古い絵を見ると羽振りのよい堂々とした木々が描かれている。

さて、朝一番の試合ともなれば、懸りの木にはたっぷりと夜露が降りている。木の枝に蹴った鞠が触れるたび、ザザーっと露を浴びてしまうことは想像に難しくない。雨あがりの木の下で「冷たい」と叫んだ経験が誰にでもある。だから、蹴鞠の前に懸りの木の露を払い落とす必要がある。というわけで「露払い」の語源は多いに共感。「露払い」は蹴鞠開始のひと蹴りにあり、意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.25…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。 前回の語源は「ねてもさめても」(←クリック)。


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