rrbのブログ - rrbさんのエントリ
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天を仰いで思うこと 間一髪 2009/02/04 12:00 am
かんいっぱつ…危険が差し迫っていること。またその状態。
◇ちょっと予備知識 → 髪の毛1本ほどの差ということから。「間一発」と書くのは誤り。
類義語に危機一髪(ききいっぱつ)がある。
天仰思事
出張もやっと終り。今日から通常の生活に戻れるかな…。



(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

◇ちょっと予備知識 → 髪の毛1本ほどの差ということから。「間一発」と書くのは誤り。
類義語に危機一髪(ききいっぱつ)がある。
天仰思事
出張もやっと終り。今日から通常の生活に戻れるかな…。



(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4


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今京都 皮算用 2009/02/03 12:00 am
かわざんよう…物事を実現しないうちから当てにして待つこと。まだ手に入っていないのに計算に入れること。
◇ちょっと予備知識 → 「とらぬ狸の皮算用」の略。
類義語に胸算用(むなざんよう)がある。
羅漢
今日は節分。節分のおばけが見れるといいなぁ〜。けれど、相変わらず出張中だから無理だ。
皆さんのブログにも訪問できずにごめんなさい。

地蔵物語(242)


◇ちょっと予備知識 → 「とらぬ狸の皮算用」の略。
類義語に胸算用(むなざんよう)がある。
羅漢
今日は節分。節分のおばけが見れるといいなぁ〜。けれど、相変わらず出張中だから無理だ。
皆さんのブログにも訪問できずにごめんなさい。

地蔵物語(242)



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天を仰いで思うこと 紙一重 2009/02/02 12:00 am
かみひとえ…ごくわずかな違いや差。
◇ちょっと予備知識 → 1枚の紙の厚さが極めて薄いことから。「一重」は重なるものが他にないこと。「髪一重」と書くのは誤り。
類義語に皮一枚(かわいちまい)・僅差(きんさ)がある。
対義語は大差(たいさ)。
天仰思事
まだ出張中です。皆さんのブログに訪問できずにごめんなさい。



(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

◇ちょっと予備知識 → 1枚の紙の厚さが極めて薄いことから。「一重」は重なるものが他にないこと。「髪一重」と書くのは誤り。
類義語に皮一枚(かわいちまい)・僅差(きんさ)がある。
対義語は大差(たいさ)。
天仰思事
まだ出張中です。皆さんのブログに訪問できずにごめんなさい。



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今京都 風見鶏 2009/02/01 12:00 am
かざみどり…周囲の状況によって巧みに自分の態度を変える人。
◇ちょっと予備知識 → 風の向きや強さを知るために屋根の上などに取りつけた鶏の形の道具から。
類義語に内股膏薬(うちまたこうやく)・日和見(ひよりみ)・
二股膏薬(ふたまたこうやく)がある。
羅漢

早いもので今日から如月、2月だ。2009年も12分の1が終わった。昨日から出張に出ているけれど、なんとかブログの更新はしたい…今京都。
地蔵物語(241)

今月から町並みと地蔵物語の組み合わせをやめて、羅漢さんと地蔵物語の組み合わせにしてみよう…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 風の向きや強さを知るために屋根の上などに取りつけた鶏の形の道具から。
類義語に内股膏薬(うちまたこうやく)・日和見(ひよりみ)・
二股膏薬(ふたまたこうやく)がある。
羅漢

早いもので今日から如月、2月だ。2009年も12分の1が終わった。昨日から出張に出ているけれど、なんとかブログの更新はしたい…今京都。
地蔵物語(241)

今月から町並みと地蔵物語の組み合わせをやめて、羅漢さんと地蔵物語の組み合わせにしてみよう…今京都。


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今京都 表看板 2009/01/31 12:00 am
おもてかんばん…世間に対する表向きの名称。
◇ちょっと予備知識 → 劇場の正面に掲げる俳優または上演内容を示すかんばんのことから。
類義語に名目(めいもく)がある。
節分のおばけ
ひと昔前、節分の日に女性が男性に扮したり、お年寄りが若い娘さんの恰好をしたりして、お宮様にお詣りする風習が京都にあった。「化ける」ということから、これを「おばけ」といった。いつ頃からあった風習かはわからないが、今ではほんの一部の人々に受け継がれているだけで、ほとんどその姿を見ることができないという。

昔は節分の日に京都市左京区にある吉田神社にお詣りすると、境内は「おばけ」だらけだったらしい。実際には、幼い女の子が娘さんの恰好をしていることが多かったという。「おばけ」になるということは、悪い鬼を化かすためのカモフラージュであったり、自分と違う恰好をすることによる厄除けのためであったり、また子どもが娘さんの恰好をする場合は良縁を願うためであり、お年寄りが若い恰好をする場合は若返りのためであったり…と、それぞれ意味があった。

これは仏事や神事に関係なく、民衆の風俗として広まり、1965(昭和40)年頃までは盛んに行われていたという。いろんな姿に化け、その恰好がおかしくて楽しく笑ったりし、その「笑い」で悪いものを追い払うという意味が強かったのだろうと想像する。女性ばかりが化けるのではなく、男性が女性になることもあったし、舞妓さんが町のおかみさんの恰好をしたりと、いろんなパターンの「おばけ」をそれぞれ工夫したとも聞く。

京都独特の「おばけ」の風習、それは、まさに都人の高級な遊びのセンスが表れたものだといえる。京都人は、元来、演じること、仮装することが大変上手であり、また好きなのである。日本舞踊や謡などの芸能を習ってる方が多いのもうなずける。

関西では、節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら太巻きをまるかじり(関西弁では「まるかぶり」)するのが習わしとされている。節分の「おばけ」をよく目にした頃には、巻寿司をまるかぶりするといったことはなかったと聞いたことがある。
この節分の太巻きは、商売繁盛、無病息災、願い事が叶う、その年必ず幸運が訪れる、厄落とし等の意味を持つともされる。七福神に因んで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、うなぎ、でんぶ等七種類の具を入れて、福を食べるという意味合いもあるらしい。起源には色々な説があるが、その一つが大阪・船場で行われていた「丸かぶりすし」を元に広げられたと言われる。

この風習がどこからどう広まったかは定かではないが、まるかぶりするその顔が、姿が、人々の笑いを誘い、家族の絆が深まるものであるならば、現代の新しい「おばけ」といってもよいのかもしれない。
2月4日が立春だから、今年の節分は2月3日。少しいつもと違うファッションをしてみたり、少し化けてみるのもよろしいかという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

◇ちょっと予備知識 → 劇場の正面に掲げる俳優または上演内容を示すかんばんのことから。
類義語に名目(めいもく)がある。
節分のおばけ
ひと昔前、節分の日に女性が男性に扮したり、お年寄りが若い娘さんの恰好をしたりして、お宮様にお詣りする風習が京都にあった。「化ける」ということから、これを「おばけ」といった。いつ頃からあった風習かはわからないが、今ではほんの一部の人々に受け継がれているだけで、ほとんどその姿を見ることができないという。

昔は節分の日に京都市左京区にある吉田神社にお詣りすると、境内は「おばけ」だらけだったらしい。実際には、幼い女の子が娘さんの恰好をしていることが多かったという。「おばけ」になるということは、悪い鬼を化かすためのカモフラージュであったり、自分と違う恰好をすることによる厄除けのためであったり、また子どもが娘さんの恰好をする場合は良縁を願うためであり、お年寄りが若い恰好をする場合は若返りのためであったり…と、それぞれ意味があった。

これは仏事や神事に関係なく、民衆の風俗として広まり、1965(昭和40)年頃までは盛んに行われていたという。いろんな姿に化け、その恰好がおかしくて楽しく笑ったりし、その「笑い」で悪いものを追い払うという意味が強かったのだろうと想像する。女性ばかりが化けるのではなく、男性が女性になることもあったし、舞妓さんが町のおかみさんの恰好をしたりと、いろんなパターンの「おばけ」をそれぞれ工夫したとも聞く。

京都独特の「おばけ」の風習、それは、まさに都人の高級な遊びのセンスが表れたものだといえる。京都人は、元来、演じること、仮装することが大変上手であり、また好きなのである。日本舞踊や謡などの芸能を習ってる方が多いのもうなずける。

関西では、節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら太巻きをまるかじり(関西弁では「まるかぶり」)するのが習わしとされている。節分の「おばけ」をよく目にした頃には、巻寿司をまるかぶりするといったことはなかったと聞いたことがある。
この節分の太巻きは、商売繁盛、無病息災、願い事が叶う、その年必ず幸運が訪れる、厄落とし等の意味を持つともされる。七福神に因んで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、うなぎ、でんぶ等七種類の具を入れて、福を食べるという意味合いもあるらしい。起源には色々な説があるが、その一つが大阪・船場で行われていた「丸かぶりすし」を元に広げられたと言われる。

この風習がどこからどう広まったかは定かではないが、まるかぶりするその顔が、姿が、人々の笑いを誘い、家族の絆が深まるものであるならば、現代の新しい「おばけ」といってもよいのかもしれない。
2月4日が立春だから、今年の節分は2月3日。少しいつもと違うファッションをしてみたり、少し化けてみるのもよろしいかという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

