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天を仰いで思うこと はる、よる 2009/06/24 12:00 am
はる、よる
軽い尊敬の意を表す。「この本読まハルか」「なさる」から「なはる」を経てハルに。「お馬が通らハル」のように動物にも用い、「この子よう泣かハリますやろ」と自分の子に対しても使う。一方、〜ヨルは第三者の動作を軽く侮っていう男性語。「嫌なやつが来ヨッタ」 言いヨル、行きヨル、読みヨル、書きヨルのように動詞の連用形にヨルをつけた。行ッキョル、書ッキョルのようにもいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(57)
日常品について思うこと

(1)平安時代には神事の際の装身具として使われていた。
(2)使用している材料が貴重品だったために奈良時代にも庶民には浸透していない。
(3)鎌倉時代になって少しずつ普及し始める。
(4)江戸時代には生活必需品として定着していった。
(5)機能性だけではなく、芸術性も重視されるようになったのも江戸時代。
(6)考案したデザインで作り上げて競う合いもあった。
(7)明治時代には新しい技法が考案された。
(8)昭和の頃は日常品の枠を超えて全国に広がった。
さて、何のことだと思う? 実は「てぬぐい」のこと。

再掲すると、
(1)平安時代には神事の際の装身具として使われていた。
(2)布が貴重品だったため奈良時代にも庶民には浸透せず、鎌倉時代から少しずつ普及し始める。
(3)江戸時代には綿の栽培が各地で行われるようになり、「てぬぐい」は生活必需品として定着していった。
(4)機能性だけではなく、芸術性を重視されるようになったのもこの頃。
(5)「てぬぐい合わせ」という催しが粋な人々の間で広がり、それぞれの考案したデザインを「てぬぐい」に染めて競い合った。
(6)それにより染めの技術も発達。
(7)明治時代にはいって、「注染」という染めの技法が考案され、染め業界に大革命がおこる。
(8)昭和の頃には「てぬぐい」を趣味とした会ができるなど日常品の枠を超えて全国に広がる。
(9)今では様々な色柄の「てぬぐい」が生まれ、自由な発想で使われている。
というのが「てぬぐい」のざっとした歴史。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「てぬぐい」を、少しばかり持っている。最近はハンカチを使うより「手ぬぐい」愛好家だ。和物を扱うお店も増えている。使用用途は様々で、アイデア次第でお洒落なアイテムとなる。確かに便利な代物だ…と、天を仰いで思うこと。

軽い尊敬の意を表す。「この本読まハルか」「なさる」から「なはる」を経てハルに。「お馬が通らハル」のように動物にも用い、「この子よう泣かハリますやろ」と自分の子に対しても使う。一方、〜ヨルは第三者の動作を軽く侮っていう男性語。「嫌なやつが来ヨッタ」 言いヨル、行きヨル、読みヨル、書きヨルのように動詞の連用形にヨルをつけた。行ッキョル、書ッキョルのようにもいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(57)
日常品について思うこと

(1)平安時代には神事の際の装身具として使われていた。
(2)使用している材料が貴重品だったために奈良時代にも庶民には浸透していない。
(3)鎌倉時代になって少しずつ普及し始める。
(4)江戸時代には生活必需品として定着していった。
(5)機能性だけではなく、芸術性も重視されるようになったのも江戸時代。
(6)考案したデザインで作り上げて競う合いもあった。
(7)明治時代には新しい技法が考案された。
(8)昭和の頃は日常品の枠を超えて全国に広がった。
さて、何のことだと思う? 実は「てぬぐい」のこと。

再掲すると、
(1)平安時代には神事の際の装身具として使われていた。
(2)布が貴重品だったため奈良時代にも庶民には浸透せず、鎌倉時代から少しずつ普及し始める。
(3)江戸時代には綿の栽培が各地で行われるようになり、「てぬぐい」は生活必需品として定着していった。
(4)機能性だけではなく、芸術性を重視されるようになったのもこの頃。
(5)「てぬぐい合わせ」という催しが粋な人々の間で広がり、それぞれの考案したデザインを「てぬぐい」に染めて競い合った。
(6)それにより染めの技術も発達。
(7)明治時代にはいって、「注染」という染めの技法が考案され、染め業界に大革命がおこる。
(8)昭和の頃には「てぬぐい」を趣味とした会ができるなど日常品の枠を超えて全国に広がる。
(9)今では様々な色柄の「てぬぐい」が生まれ、自由な発想で使われている。
というのが「てぬぐい」のざっとした歴史。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「てぬぐい」を、少しばかり持っている。最近はハンカチを使うより「手ぬぐい」愛好家だ。和物を扱うお店も増えている。使用用途は様々で、アイデア次第でお洒落なアイテムとなる。確かに便利な代物だ…と、天を仰いで思うこと。


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今京都 けなりい 2009/06/23 12:00 am
けなりい
うらやましい。「おうちの子たちは、みなようおできになるさかいケナリイわ」 ケナルイとも。もとは「異(け)なり」から。「けなり」に「い」を付けて形容詞にした。普通とは違っている、特異である、殊勝な、の意味に基づく。ケナゲ(健気)はもと「けなりげ」からで、勇ましい、健やかな、子どもなどが懸命に努めるさまを指す。また、ウラヤム(羨む)り「うら」は心。心が病むから妬(ねた)むの意味になった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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猿ヶ辻 (旧フォトヴィレッジ 2007年7月5日掲載)
京都御所を囲む築地塀。その北東角の辺りを「猿ヶ辻(さるがつじ)」と呼ぶ。

御所の鬼門にあたるここは魔よけのために塀の角がへこませてある。そして、よく見ると、軒下に御幣を持った猿の彫像が祭られている。幕末の動乱期、この「鬼門よけ」のへこみに何者かが身を潜め、尊皇攘夷派の若い公家を暗殺する事件が起きた。1863年5月の「猿ヶ辻の変」。「猿ヶ辻の変」は歴史小説の題材にもなり、司馬遼太郎の作品などに描かれている。


その「猿ヶ辻の変」のお話とは…。
襲われたのは当時、三条実美とともに攘夷派の中心人物だった姉小路公知。日米修好通商条約の締結に反対し、前年には朝廷の副勅使として幕府に攘夷実行を強く迫っていた。5月20日夜、御所での会議を終えて門を出た公知は従者3人とともに帰途につく。猿ヶ辻に差しかかった時、突然、刀を持った黒い影に道を遮られた。公知は従者に「太刀を」と求めたが、太刀と提灯を持った従者2人は後ずさりして逃げてしまう。公知は手元にあった扇で応戦するほかなく、顔や胸を切られて重傷を負った。残った一人の従者に抱えられて屋敷に戻ったが、まもなく息絶えたという。

後に、凶漢は三人で、公知は胸に深さ12cmの傷を負いながらも、相手の太刀を奪って切り返したという。また、突然の訃報に、京都では「泣く者ばかり」だった、ともいわれている。事件後、犯人として一人の薩摩藩士が浮上し、取り調べられた。しかし彼は詳細を語らないまま自殺してしまう。誰の陰謀で誰が実行したのか、真相は歴史の闇、というもの。

このへこみにたたずんでいると、確かに、死角になる。もしも「鬼門よけ」という死角がなかったら、待ち伏せは成功しなかったかもしれない。あの夜、築地塀から真犯人を見ていたであろう猿の彫像は、今もただ静かに座っている、ここは京都御所の「猿ヶ辻」…今京都。

うらやましい。「おうちの子たちは、みなようおできになるさかいケナリイわ」 ケナルイとも。もとは「異(け)なり」から。「けなり」に「い」を付けて形容詞にした。普通とは違っている、特異である、殊勝な、の意味に基づく。ケナゲ(健気)はもと「けなりげ」からで、勇ましい、健やかな、子どもなどが懸命に努めるさまを指す。また、ウラヤム(羨む)り「うら」は心。心が病むから妬(ねた)むの意味になった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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猿ヶ辻 (旧フォトヴィレッジ 2007年7月5日掲載)
京都御所を囲む築地塀。その北東角の辺りを「猿ヶ辻(さるがつじ)」と呼ぶ。

御所の鬼門にあたるここは魔よけのために塀の角がへこませてある。そして、よく見ると、軒下に御幣を持った猿の彫像が祭られている。幕末の動乱期、この「鬼門よけ」のへこみに何者かが身を潜め、尊皇攘夷派の若い公家を暗殺する事件が起きた。1863年5月の「猿ヶ辻の変」。「猿ヶ辻の変」は歴史小説の題材にもなり、司馬遼太郎の作品などに描かれている。


その「猿ヶ辻の変」のお話とは…。
襲われたのは当時、三条実美とともに攘夷派の中心人物だった姉小路公知。日米修好通商条約の締結に反対し、前年には朝廷の副勅使として幕府に攘夷実行を強く迫っていた。5月20日夜、御所での会議を終えて門を出た公知は従者3人とともに帰途につく。猿ヶ辻に差しかかった時、突然、刀を持った黒い影に道を遮られた。公知は従者に「太刀を」と求めたが、太刀と提灯を持った従者2人は後ずさりして逃げてしまう。公知は手元にあった扇で応戦するほかなく、顔や胸を切られて重傷を負った。残った一人の従者に抱えられて屋敷に戻ったが、まもなく息絶えたという。

後に、凶漢は三人で、公知は胸に深さ12cmの傷を負いながらも、相手の太刀を奪って切り返したという。また、突然の訃報に、京都では「泣く者ばかり」だった、ともいわれている。事件後、犯人として一人の薩摩藩士が浮上し、取り調べられた。しかし彼は詳細を語らないまま自殺してしまう。誰の陰謀で誰が実行したのか、真相は歴史の闇、というもの。

このへこみにたたずんでいると、確かに、死角になる。もしも「鬼門よけ」という死角がなかったら、待ち伏せは成功しなかったかもしれない。あの夜、築地塀から真犯人を見ていたであろう猿の彫像は、今もただ静かに座っている、ここは京都御所の「猿ヶ辻」…今京都。


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今京都 けたつ 2009/06/22 12:00 am
けたつ
踏み台。「庭の木を切るし、ケタツ持ってきて」 ケタツは脚立から。クラカケとも。「はしごに鞍掛(くらかけ)いらんかなー」と、梅ヶ畑から京の町中に振り売りに来る女性の声がよく聞かれた。クラカケは鞍を掛けておく四脚の台を、踏み台として用いたことに始まる。四脚の高い踏み台をアシツギといい、足継ぎの意。「棚のもん、降ろすさかい、アシツギ持ってきてんか」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
羅漢
現在、京都を離れています。ブログの更新はいたしますが、皆様のブログへの訪問は無理だと思います。ご容赦ください。明日より、復活する予定です。





踏み台。「庭の木を切るし、ケタツ持ってきて」 ケタツは脚立から。クラカケとも。「はしごに鞍掛(くらかけ)いらんかなー」と、梅ヶ畑から京の町中に振り売りに来る女性の声がよく聞かれた。クラカケは鞍を掛けておく四脚の台を、踏み台として用いたことに始まる。四脚の高い踏み台をアシツギといい、足継ぎの意。「棚のもん、降ろすさかい、アシツギ持ってきてんか」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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今京都 さらば 2009/06/21 12:00 am
さらば
さようなら。寄り合いをして別れるときにいうあいさつことば。洛北・八瀬で老年層が使用してきた。今の若者はバイバイというが、かつてはサイナラということが多かった。「サイナラ三角また来て四角」と子どもが別れる時によく言い合った。サラバもサイナラも、もともと「そうであるならば」の意味。「サラバ、明日は早く起きられるように」などと次に言葉を続けたものである。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
羅漢
現在、京都を離れています。ブログの更新はいたしますが、皆様のブログへの訪問は無理だと思います。ご容赦ください。また、この間(月曜日まで)、羅漢をお楽しみください。





さようなら。寄り合いをして別れるときにいうあいさつことば。洛北・八瀬で老年層が使用してきた。今の若者はバイバイというが、かつてはサイナラということが多かった。「サイナラ三角また来て四角」と子どもが別れる時によく言い合った。サラバもサイナラも、もともと「そうであるならば」の意味。「サラバ、明日は早く起きられるように」などと次に言葉を続けたものである。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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今京都 ざんぐり 2009/06/20 12:00 am
ざんぐり
西陣織の着物を観賞して、「この生地、ザングリとした肌触りや」という。ふくらみがあり、柔らかな感触を指す。京焼の作品を見て「この壷はザングリしたできばえどすな」のように自然の風味の感じられる形容にも。京料理については「このお皿にザングリ盛っとくれやす」 風雅で、あか抜けした自然の感じを伝える。江戸時代天保年間(1830〜44)から使用。擬態語に基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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羅漢
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西陣織の着物を観賞して、「この生地、ザングリとした肌触りや」という。ふくらみがあり、柔らかな感触を指す。京焼の作品を見て「この壷はザングリしたできばえどすな」のように自然の風味の感じられる形容にも。京料理については「このお皿にザングリ盛っとくれやす」 風雅で、あか抜けした自然の感じを伝える。江戸時代天保年間(1830〜44)から使用。擬態語に基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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