rrbのブログ - 2016/03のエントリ
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おやかまっさん のべつ幕無し(のべつまくなし) 2016/03/24 12:00 am
のべつは「延べつ」と書く。芝居で、幕を引かず、休みなく引き続いて演ずること。つまり、ずっと続けられている状況をさすようになった。
「幕無し(まくなし)」の部分を「くまなし」と言い間違える人が多い。正確に覚えておきたいものだ。「のべつ幕無しに小言をいう」というように使われる。
「絶え間なく」よりはお洒落かも…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・四条通》
「幕無し(まくなし)」の部分を「くまなし」と言い間違える人が多い。正確に覚えておきたいものだ。「のべつ幕無しに小言をいう」というように使われる。
「絶え間なく」よりはお洒落かも…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・四条通》
「のべつ幕無し」と字面づで覚えると「くまなし」と言い間違えることはないね
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おやかまっさん むべなるかな 2016/03/23 12:00 am
「むべなるかな」の「むべ」は「なるほど」という意味である。直訳すれば、「なるほど、という感じだなぁ」となる。つまり、驚いたり感心したりした事柄について、裏の事情などを知って、それなら納得だ、というときに発する言葉である。
おもしろいのは、昔から、この言葉全体を一つの名詞のように用いる習慣があるということだ。「それなら“むべなるかな”だ」といった表現が許されるということだ。「当然」「納得」といった言葉が発せられるであろうと予想される場面に「むべなるかな」という長い大和言葉を飛び込ませる。そのギャップが聞く人の心をツンと刺激することになる。
たとえば、同僚についてのスピーチで、「□□さんは、いつも姿勢がいいので関心していたのだが、なんと学生時代には剣道に勤しみ、県の代表にもなったそうである。そうであれば、姿勢の良さも“むべなるかな”だ。」とまとめるといった具合だ。
「それを聞いて納得した」と言いたいところを「それならば“むべなるかな”だ」とするところにギャップを発生させることができ、聞く人の心を刺激することになる。
「むべなるかな」は使いたい大和言葉であるが、噛まないように練習が必要だ…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・嵐山》
おもしろいのは、昔から、この言葉全体を一つの名詞のように用いる習慣があるということだ。「それなら“むべなるかな”だ」といった表現が許されるということだ。「当然」「納得」といった言葉が発せられるであろうと予想される場面に「むべなるかな」という長い大和言葉を飛び込ませる。そのギャップが聞く人の心をツンと刺激することになる。
たとえば、同僚についてのスピーチで、「□□さんは、いつも姿勢がいいので関心していたのだが、なんと学生時代には剣道に勤しみ、県の代表にもなったそうである。そうであれば、姿勢の良さも“むべなるかな”だ。」とまとめるといった具合だ。
「それを聞いて納得した」と言いたいところを「それならば“むべなるかな”だ」とするところにギャップを発生させることができ、聞く人の心を刺激することになる。
「むべなるかな」は使いたい大和言葉であるが、噛まないように練習が必要だ…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・嵐山》
“この言葉、使おうとして噛んだことがあるよね
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おやかまっさん いやがうえにも 2016/03/22 12:00 am
個人や組織の意気込み、雰囲気などが高まる、という話をするなかで、「ますます」と言いたいときに使えるのが「いやがうえにも」という表現である。ただし、先にその理由をのべるのが原則となる。
たとえば、「結婚に続いてこの重職を得たわけであるから、いやがうえにもやる気が高まっていることだろう」という形である。
「いや」は漢字では「弥」で、物事の程度が甚だしいこと。「嫌」ではない…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・愛宕念仏寺》
たとえば、「結婚に続いてこの重職を得たわけであるから、いやがうえにもやる気が高まっていることだろう」という形である。
「いや」は漢字では「弥」で、物事の程度が甚だしいこと。「嫌」ではない…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・愛宕念仏寺》
文豪文学にはまっていると思いきや、大和言葉かいなぁ…
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◆◆なう つまるところ 2016/03/21 12:00 am
スピーチでは、「結局は・・・なのです」という形で話をまとめる場合が多くある。
そのとき「結局は」に代えて使える大和言葉が「つまるところ」である。
「社風が明るいと社員が明るいとか、社員が礼儀正しいとか、いろいろ言われるが、つまるところ、社長の教育がいいのである」のように用いる。この大和言葉も比較的使いやすい…という神戸なう。
《神戸》
そのとき「結局は」に代えて使える大和言葉が「つまるところ」である。
「社風が明るいと社員が明るいとか、社員が礼儀正しいとか、いろいろ言われるが、つまるところ、社長の教育がいいのである」のように用いる。この大和言葉も比較的使いやすい…という神戸なう。
《神戸》
つまるところ…ブログネタに苦労しているのかな?
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天を仰いで思うこと ぼっち飯研究会 2016/03/18 12:00 am
ある大学の掲示板で、学生が発行している新聞を目にした。その新聞の中に、学生がつくったサークル「ぼっち飯研究会」の紹介があった。記事によると「大学に入学したけれど、友だちができず一人ぼっちでご飯を食べている者が集まって、友だちづくりに励む…」とあった。この取り組みとサークル名称に違和感を覚えた。
「ぼっち飯研究会」という名称であるならば、どんな「ぼっち飯」の形態があるか。どのようにして「ぼっち飯」の世界に入っていったか。などを研究すべきではないだろうか。「ぼっち飯」を研究するサークルのはずである。ところが記事によると「友だちづくりのサークル」となっている。ひとりぼっちが集まって友だち活動をするのであれば、それは「友だちづくり研究会」であろう。「最近の大学生のレベルはこんなものか」と、かつての大学生であった自分がつぶやいていた。
確かに、最近の大学生は言葉力がないように思う。書き言葉と話し言葉が混在したレポートも目にした。敬体と常体が混在しているレポートもある。もっと言葉を大切にしないと、将来困るよ。それにしても、「小さなことが気になるのが僕の悪いクセ」、杉下右京ではないが、小さなことが気になるようになった…と、天を仰いで思うこと。
「ぼっち飯研究会」という名称であるならば、どんな「ぼっち飯」の形態があるか。どのようにして「ぼっち飯」の世界に入っていったか。などを研究すべきではないだろうか。「ぼっち飯」を研究するサークルのはずである。ところが記事によると「友だちづくりのサークル」となっている。ひとりぼっちが集まって友だち活動をするのであれば、それは「友だちづくり研究会」であろう。「最近の大学生のレベルはこんなものか」と、かつての大学生であった自分がつぶやいていた。
確かに、最近の大学生は言葉力がないように思う。書き言葉と話し言葉が混在したレポートも目にした。敬体と常体が混在しているレポートもある。もっと言葉を大切にしないと、将来困るよ。それにしても、「小さなことが気になるのが僕の悪いクセ」、杉下右京ではないが、小さなことが気になるようになった…と、天を仰いで思うこと。
確かに一理あるけれど、そんなことにこだわっていたら友だちなくすよ〜