rrbのブログ - 2011/12/14のエントリ
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今京都 山科義士まつり 2011/12/14 12:00 am
山科義士まつり
忠臣蔵で有名な大石蔵助は、赤穂藩断絶ののちに山科に隠棲したことがあり、1935(昭和10)年に創建された大石神社は、内蔵助を祭神とする。
「山科義士まつり」は、内蔵助らをしのんで1974(昭和49)年からはじまった。
朝10時に毘沙門堂から討ち入りを知らせる太鼓が響きわたり、まず浅野内匠頭夫瑶泉院ら婦人の行列が出発する。つぎに四十七士が義士旗をかかげながら、かけ声をかけながら山科の街を練り、そのあとにつづいて子ども義士隊が、おとなに負けじと勇ましく行進して、一行は午後2時半ころ大石神社に到着する。

毎年のように放映される忠臣蔵。テレビ番組から時代劇が消えていく中でも存在していくのだろうか…とふと心配になった。視聴率がよくなければ風物詩のひとつが消える可能性もあるというなんとも世知辛い世の中になったものだ…という『きょうの京都』の今京都。

忠臣蔵で有名な大石蔵助は、赤穂藩断絶ののちに山科に隠棲したことがあり、1935(昭和10)年に創建された大石神社は、内蔵助を祭神とする。
「山科義士まつり」は、内蔵助らをしのんで1974(昭和49)年からはじまった。
朝10時に毘沙門堂から討ち入りを知らせる太鼓が響きわたり、まず浅野内匠頭夫瑶泉院ら婦人の行列が出発する。つぎに四十七士が義士旗をかかげながら、かけ声をかけながら山科の街を練り、そのあとにつづいて子ども義士隊が、おとなに負けじと勇ましく行進して、一行は午後2時半ころ大石神社に到着する。

毎年のように放映される忠臣蔵。テレビ番組から時代劇が消えていく中でも存在していくのだろうか…とふと心配になった。視聴率がよくなければ風物詩のひとつが消える可能性もあるというなんとも世知辛い世の中になったものだ…という『きょうの京都』の今京都。

