rrbのブログ - 2011/10のエントリ
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今京都 醍醐寺金堂特別公開 2011/10/31 12:00 am
醍醐寺金堂特別公開
豪壮な仁王門(西大門)をくぐり、国宝の金堂へと向かう参道は、11月中旬ころから見ごろとなる紅葉で「もみじのトンネル」となる。
醍醐天皇の勅願により904(延喜4)年に創建された金堂だが、その後、焼失していま見る金堂は豊臣秀吉が1598(慶長2)年の「醍醐の花見」に先立ち再建を命じ、秀頼が仁王門とともに紀州満願寺本堂を移築した平安時代後期の建築物。本尊の薬師三尊像は、栴檀(せんだん)や白檀を材料とした檀像とよばれる様式を模した鎌倉時代初期の仏像である。
普段は内部非公開であるが、秋は10月第一土曜日から12月第一日曜日まで一般公開される。
今日で10月も終わりだ。なんとか10月は毎日更新ができた。次月もこの調子で継続できれば嬉しいな…という『きょうの京都』の今京都。
豪壮な仁王門(西大門)をくぐり、国宝の金堂へと向かう参道は、11月中旬ころから見ごろとなる紅葉で「もみじのトンネル」となる。
醍醐天皇の勅願により904(延喜4)年に創建された金堂だが、その後、焼失していま見る金堂は豊臣秀吉が1598(慶長2)年の「醍醐の花見」に先立ち再建を命じ、秀頼が仁王門とともに紀州満願寺本堂を移築した平安時代後期の建築物。本尊の薬師三尊像は、栴檀(せんだん)や白檀を材料とした檀像とよばれる様式を模した鎌倉時代初期の仏像である。
普段は内部非公開であるが、秋は10月第一土曜日から12月第一日曜日まで一般公開される。
今日で10月も終わりだ。なんとか10月は毎日更新ができた。次月もこの調子で継続できれば嬉しいな…という『きょうの京都』の今京都。
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今京都 将軍塚 2011/10/30 12:00 am
将軍塚
青蓮院(しょうれんいん)や知恩院の裏山にあたる標高215mの華頂山山頂、青蓮院飛地境内大日堂の境内に将軍塚はある。ここは桓武天皇が平安京造営のさい王城鎮護のために鉄の甲冑をつけ、鉄の弓矢と太刀をもった高さ約2.5mの将軍塚を都のほうへむけて(西方)埋めた場所といい、将軍のモデルは坂上田村麻呂だったという。
この境内地に北と西の二つの展望台があり、北展望台からは比叡山を見あげ、西展望台からは京都市街を眼下に見渡すことができる。特に10月下旬から12月上旬にかけての将軍塚庭園夜間ライトアップの期間(有料)、京都の夜景を一望にとらえることができる。
随分と以前であるが、将軍塚をここでも掲載した。その時の眺望は西展望台である。次の機会には北展望台で写真を撮ってみたい…という『きょうの京都』の今京都。
青蓮院(しょうれんいん)や知恩院の裏山にあたる標高215mの華頂山山頂、青蓮院飛地境内大日堂の境内に将軍塚はある。ここは桓武天皇が平安京造営のさい王城鎮護のために鉄の甲冑をつけ、鉄の弓矢と太刀をもった高さ約2.5mの将軍塚を都のほうへむけて(西方)埋めた場所といい、将軍のモデルは坂上田村麻呂だったという。
この境内地に北と西の二つの展望台があり、北展望台からは比叡山を見あげ、西展望台からは京都市街を眼下に見渡すことができる。特に10月下旬から12月上旬にかけての将軍塚庭園夜間ライトアップの期間(有料)、京都の夜景を一望にとらえることができる。
随分と以前であるが、将軍塚をここでも掲載した。その時の眺望は西展望台である。次の機会には北展望台で写真を撮ってみたい…という『きょうの京都』の今京都。
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今京都 余香祭 2011/10/29 12:00 am
余香祭
去年今夜侍清涼 秋思詩篇独断腸
思賜御衣今在此 捧持毎日拝餘香
去年の今夜は清涼殿に侍り、重陽の宴で詩を詠み、感銘を受けられた帝から衣を賜ったけれども、今年は流された大宰府でその衣の残り香を拝しています―菅原道真は大宰府に左遷となった901(延喜元)年9月10日にこう詠んだ。
「余香祭(よこうさい)」はこの道真の話にちなむ行事で、毎年題を決めて全国から集まった和歌を神前で奉納する。余香祭は絶えて久しかったが、1919(大正8)年10月29日(陰暦9月9日)に復活した。神前には黄菊、白菊を飾り、奉仕する人たち全員の冠に小菊をあしらう。
黄菊、白菊と先日の献菊展で「ふと」思い出したことがあるのを今思い出した。というのは、祖母の時代の人たちの名である。「菊」を使った人が祖母の周りには以外に多かったことだ。今の時代では見受けなくなったが、人名に「菊」を使用する過去の時代があった。今では「菊」を使った名を見ない。どこかにいるのだろうか…という『きょうの京都』の今京都。
去年今夜侍清涼 秋思詩篇独断腸
思賜御衣今在此 捧持毎日拝餘香
去年の今夜は清涼殿に侍り、重陽の宴で詩を詠み、感銘を受けられた帝から衣を賜ったけれども、今年は流された大宰府でその衣の残り香を拝しています―菅原道真は大宰府に左遷となった901(延喜元)年9月10日にこう詠んだ。
「余香祭(よこうさい)」はこの道真の話にちなむ行事で、毎年題を決めて全国から集まった和歌を神前で奉納する。余香祭は絶えて久しかったが、1919(大正8)年10月29日(陰暦9月9日)に復活した。神前には黄菊、白菊を飾り、奉仕する人たち全員の冠に小菊をあしらう。
黄菊、白菊と先日の献菊展で「ふと」思い出したことがあるのを今思い出した。というのは、祖母の時代の人たちの名である。「菊」を使った人が祖母の周りには以外に多かったことだ。今の時代では見受けなくなったが、人名に「菊」を使用する過去の時代があった。今では「菊」を使った名を見ない。どこかにいるのだろうか…という『きょうの京都』の今京都。
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今京都 献菊展 2011/10/28 12:00 am
献菊展
菊の原産は中国で、延命長寿の霊花として崇められていた。日本には奈良時代以降に渡来したとされ、江戸時代になって清浄な香り、華やかな花姿が好まれ、観賞用として改良がすすみ、原産国中国に輸出されるほどになった。京都では、貴船神社や善峯寺(よしみねでら)の貴船菊、大覚寺の嵯峨菊が有名である。
10月中旬から11月下旬まで西本願寺で開かれる恒例の献菊展では、約400鉢がダルマづくりや福助づくりにしつらえられて並び、早朝から見学することができ、お参りの人の目を楽しませている。
今日はポカポカ陽気で気持がいい…という『きょうの京都』の今京都。
菊の原産は中国で、延命長寿の霊花として崇められていた。日本には奈良時代以降に渡来したとされ、江戸時代になって清浄な香り、華やかな花姿が好まれ、観賞用として改良がすすみ、原産国中国に輸出されるほどになった。京都では、貴船神社や善峯寺(よしみねでら)の貴船菊、大覚寺の嵯峨菊が有名である。
10月中旬から11月下旬まで西本願寺で開かれる恒例の献菊展では、約400鉢がダルマづくりや福助づくりにしつらえられて並び、早朝から見学することができ、お参りの人の目を楽しませている。
今日はポカポカ陽気で気持がいい…という『きょうの京都』の今京都。
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今京都 名残 2011/10/27 12:00 am
名残
茶の由では、10月のことを「名残の月」と呼ぶ。5月に摘まれた茶は壺に入れられて涼しいところで夏を越し、11月に茶壷の口切りをするため、11月が「茶人の正月」となる。そのため、残り少なくなってきた茶を惜しむ気持ち、それに加え、5月から10月まで使う風炉(ふろ)とももうじき分かれなくてはならない。そのような寂寞感が、10月を名残とよばせるゆえんだ。
侘び、寂びの情緒を感じるこの時期、「名残の茶会」がひらかれ、そこには秋草の残り花が活けられ、茶道具も焼け破れなどがあるものが好まれるという。
ちょっと一区切りついたような気がする…という『きょうの京都』の今京都。
茶の由では、10月のことを「名残の月」と呼ぶ。5月に摘まれた茶は壺に入れられて涼しいところで夏を越し、11月に茶壷の口切りをするため、11月が「茶人の正月」となる。そのため、残り少なくなってきた茶を惜しむ気持ち、それに加え、5月から10月まで使う風炉(ふろ)とももうじき分かれなくてはならない。そのような寂寞感が、10月を名残とよばせるゆえんだ。
侘び、寂びの情緒を感じるこの時期、「名残の茶会」がひらかれ、そこには秋草の残り花が活けられ、茶道具も焼け破れなどがあるものが好まれるという。
ちょっと一区切りついたような気がする…という『きょうの京都』の今京都。