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rrbのブログ - 2016/03のエントリ

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おやかまっさん いやがうえにも 2016/03/22 12:00 am

個人や組織の意気込み、雰囲気などが高まる、という話をするなかで、「ますます」と言いたいときに使えるのが「いやがうえにも」という表現である。ただし、先にその理由をのべるのが原則となる。

たとえば、「結婚に続いてこの重職を得たわけであるから、いやがうえにもやる気が高まっていることだろう」という形である。

「いや」は漢字では「弥」で、物事の程度が甚だしいこと。「嫌」ではない…ということで、どうも、おやかまっさんどした。


《京都・愛宕念仏寺》

文豪文学にはまっていると思いきや、大和言葉かいなぁ…

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おやかまっさん まさしく 2016/03/17 12:00 am

昨日の「いみじくも」を使う勇気が出なければ、より簡単に使えるのが「まさしく」である。「まさに、この言葉通り」「まったくその通り」と言いたいときに、「まさに」「まったく」の部分を「まさしく」にかえるだけでよい。それだけで、スピーチ全体の品があがる…ということで、どうも、おやかまっさんどした。


《京都・寺町京極》

ちょっとした言い換えで印象がかわるね

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おやかまっさん いみじくも 2016/03/16 12:00 am

結婚式のパーティーのスピーチなどで、たいてい、その集まりの中心人物や組織について説明したり称賛したりする話が軸になるもの。そうした話でよく使われるのが、かつて耳にした褒め言葉やつけられたあだ名などを紹介したうえで、「まさに、この言葉の通りです」「まったくその通りです」などと結ぶ話し方である。

「いみじくも」は、こうした話で使える格調高い大和言葉。「いみじ」は「程度が著しい」という意味の形容詞。したがって「いみじくも」は本来「すごく」と同義となる。しかし、実際には、言葉による表現について「すごく巧みだ」という場合だけに使われ、その用法も「いみじくも言い表す」「いみじくも言い当てる」といった形にほぼ限定されている。

「まさにとの通りです」は、「いみじくも、言い表している」というように言い換えると、お洒落ではないだろうか…ということで、どうも、おやかまっさんどした。


《京都・先斗町》

確かに大和言葉はきれいだね

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おやかまっさん 眠りに落ちるときの気持ち 2016/03/10 12:00 am

昨日の「眼をさますときの気持ち」の続きである。続きというより、14歳の女生徒が朝起床してから夜就寝するまでの一日を、主人公の独白体で綴っている太宰治の『女生徒』の、終わりの部分だ。この話は、「眼をさますときの気持ち」で始まり、「眠りに落ちるときの気持ち」で終わる。

太宰は次のように書き表している。
眠りに落ちるときの気持ちって、へんなものだ。鮒(ふな)が、うなぎが、ぐいぐい釣り糸をひっぱるように、なんだか重い、鉛みたいな力が、糸でもって私の頭を、ぐっとひいて、私がとろとろ眠りかけると、また、ちょっと糸をゆるめる。すると、私は、はっと気を取り直す。また、ぐっと引く。とろとろ眠る。また、ちょっと糸を放す。そんなことを三度か、四度くりかえして、それから、ぐうっと大きく引いて、こんどは朝まで。

さて、自分はどう表現するであろうか。あるいは、眠りに落ちるときの気持ちって、どんなだろう。太宰のように表現するならば、何を例としてあげるだろうか。考えても思いつかない。時間がかかりそうだ。「眠りに落ちるときの気持ち」探索にも走りそうだ…ということで、どうも、おやかまっさんどした。


《京都・愛宕念仏寺》

走れメロスの始まりと終わり、女生徒の始まりと終わり、粋だねぇ〜

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おやかまっさん 眼をさますときの気持ち 2016/03/09 12:00 am

文豪と言われる方々の作品を読み返しているが、とても考えさせられる。昨日の『走れメロス』もそうだが、『女生徒』もだ。14歳の女生徒が朝起床してから夜就寝するまでの一日を主人公の独白体で綴っているものであるが、冒頭から考えさせられる。

あさ、眼をさますときの気持は、面白い。」とはじまる。その気持ちの説明に、まず、「かくれんぼ」がでてくる。押入れの中に、じっと隠れていて、見つけられたときの感じを取り上げているが、違うと否定。「なんだか、もっとやりきれない。」として、次に、ロシアのマトリョーシカ人形を想像させる入れ子構造の箱がでてくる。「箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。」というのだ。

自分の目を覚ますときの気持ちを探るが、なんだが違うような気がする。

さらに、「パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。」とし、「朝は健康だなんて、あれは嘘。朝は灰色。いつもいつも同じ。一ばん虚無だ。朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。いやになる。いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、身悶ええしちゃう。朝は、意地悪。」と続く。

なんとなく共感している自分がいるが、自分の朝の目覚めはどうなのだろうと再び考える。突然、けたたましいアラームの音にたたき起こされる。あるいは、アラームが鳴る前に目覚める。しかし、これは状況であり、目を覚ますときの気持ちではない。目覚める寸前なんて意識していない。「目を覚ますときの気持ち」ってどんなのだろう。「目が覚めたとき」ではなく「目を覚ますとき」である。失った意識が徐々に戻っていく感じなのか、無音から徐々に音量が上っていく感じなのか。それを太宰のように表現するならば、何を例としてあげるだろうか。考えても思いつかない。しばらくは「目をさますときの気持ち」探索に走りそうだ…ということで、どうも、おやかまっさんどした。


《京都・嵐山》

おやおや、またまた変なツボにはいっちゃったよ、大丈夫? 昔からそういうとこあるからなぁ…

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