rrbのブログ - 2016/03のエントリ
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おやかまっさん 学び 2016/03/31 12:00 am
「学ぶ」は「まねる」から生まれた動詞と言われている。しかし、「まねる」にはない重みと深みを感じる言葉である。「学び」の不思議なところは、いわば「お客さん」として頭に入れた知識や技術が、いつのまにか「自分の能力になることだ。その変化の瞬間をイメージすれば、「学び」は「変身」である。
今日も子どもたちが次々に変身している。そう思うと学校という存在がまぶしく見える。
「やればできる」よりも「やればのびる」。こちらの言葉の方が成長を意味するように感じる。学校では、「やればのびる」や「やれば成長する」という声掛けにしたいものだ。学校は「変身」するところ。すなわち「成長」するところだろう。
学校界では、もう少しで新学期が始まる…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・愛宕念仏寺》
今日も子どもたちが次々に変身している。そう思うと学校という存在がまぶしく見える。
「やればできる」よりも「やればのびる」。こちらの言葉の方が成長を意味するように感じる。学校では、「やればのびる」や「やれば成長する」という声掛けにしたいものだ。学校は「変身」するところ。すなわち「成長」するところだろう。
学校界では、もう少しで新学期が始まる…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・愛宕念仏寺》
学びはいろんなところにあるよね。写真もそうだよね
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おやかまっさん あまつさえ 2016/03/30 12:00 am
スピーチでは、過去に体験した困難について語ることが少なくない。その中で「さらに○○の状態に陥り、大変であった」と言いたいとき、「さらに」の代わりに使えるのが「あまつさえ」だ。
たとえば、「我々のチームは人数が足りず、あまつさえ、エースが故障というさんざんな状態。」といった使い方。
「あまつさえ」の語源は、「余りさえ」で、数量が過剰である様子をいう言葉だ…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・嵐山》
たとえば、「我々のチームは人数が足りず、あまつさえ、エースが故障というさんざんな状態。」といった使い方。
「あまつさえ」の語源は、「余りさえ」で、数量が過剰である様子をいう言葉だ…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・嵐山》
大和言葉、続くねぇ。やっぱりブログネタに困ってるのかな?
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おやかまっさん 惜しむらくは 2016/03/29 12:00 am
ブレゼンは、企画や商品の良さを訴える場である。当然、他の企画や商品については「残念ながら○○の点で不十分だ」という機会も少なくない。そんなとき、「残念ながら」に代えて使える大和言葉が「惜しむらくは」である。たとえば、「性能はとても優れているが、惜しむらくは、見栄えがもうひとつ」という言い方だ。
「惜しむらくは」、動詞「惜しむ」に接尾語「らく」がついて名詞となった「惜しむらく」に、助詞の「は」がついた独特の言い方で、「惜しいことには」という意味になる。
同じ構造を持つ言葉としては、「望むらくは」がある。意味は「私が望むところは…」である。たとえば、「望むらくは健康である」というふつうの言い方もできるが、「どうか○○しますように」と祈る言葉の「どうか」に代えて、「望むらくは、ヒット商品となりますように」のような用法もある。
「惜しむらくは」も「望むらくは」も使いすぎると鼻につくので、1回のプレゼンで口にするのは、どちらかひとつが適当である…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・愛宕念仏寺》
「惜しむらくは」、動詞「惜しむ」に接尾語「らく」がついて名詞となった「惜しむらく」に、助詞の「は」がついた独特の言い方で、「惜しいことには」という意味になる。
同じ構造を持つ言葉としては、「望むらくは」がある。意味は「私が望むところは…」である。たとえば、「望むらくは健康である」というふつうの言い方もできるが、「どうか○○しますように」と祈る言葉の「どうか」に代えて、「望むらくは、ヒット商品となりますように」のような用法もある。
「惜しむらくは」も「望むらくは」も使いすぎると鼻につくので、1回のプレゼンで口にするのは、どちらかひとつが適当である…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・愛宕念仏寺》
明日、プレゼンやんね? 使ってみてはどう?
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おやかまっさん のべつ幕無し(のべつまくなし) 2016/03/24 12:00 am
のべつは「延べつ」と書く。芝居で、幕を引かず、休みなく引き続いて演ずること。つまり、ずっと続けられている状況をさすようになった。
「幕無し(まくなし)」の部分を「くまなし」と言い間違える人が多い。正確に覚えておきたいものだ。「のべつ幕無しに小言をいう」というように使われる。
「絶え間なく」よりはお洒落かも…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・四条通》
「幕無し(まくなし)」の部分を「くまなし」と言い間違える人が多い。正確に覚えておきたいものだ。「のべつ幕無しに小言をいう」というように使われる。
「絶え間なく」よりはお洒落かも…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・四条通》
「のべつ幕無し」と字面づで覚えると「くまなし」と言い間違えることはないね
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おやかまっさん むべなるかな 2016/03/23 12:00 am
「むべなるかな」の「むべ」は「なるほど」という意味である。直訳すれば、「なるほど、という感じだなぁ」となる。つまり、驚いたり感心したりした事柄について、裏の事情などを知って、それなら納得だ、というときに発する言葉である。
おもしろいのは、昔から、この言葉全体を一つの名詞のように用いる習慣があるということだ。「それなら“むべなるかな”だ」といった表現が許されるということだ。「当然」「納得」といった言葉が発せられるであろうと予想される場面に「むべなるかな」という長い大和言葉を飛び込ませる。そのギャップが聞く人の心をツンと刺激することになる。
たとえば、同僚についてのスピーチで、「□□さんは、いつも姿勢がいいので関心していたのだが、なんと学生時代には剣道に勤しみ、県の代表にもなったそうである。そうであれば、姿勢の良さも“むべなるかな”だ。」とまとめるといった具合だ。
「それを聞いて納得した」と言いたいところを「それならば“むべなるかな”だ」とするところにギャップを発生させることができ、聞く人の心を刺激することになる。
「むべなるかな」は使いたい大和言葉であるが、噛まないように練習が必要だ…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・嵐山》
おもしろいのは、昔から、この言葉全体を一つの名詞のように用いる習慣があるということだ。「それなら“むべなるかな”だ」といった表現が許されるということだ。「当然」「納得」といった言葉が発せられるであろうと予想される場面に「むべなるかな」という長い大和言葉を飛び込ませる。そのギャップが聞く人の心をツンと刺激することになる。
たとえば、同僚についてのスピーチで、「□□さんは、いつも姿勢がいいので関心していたのだが、なんと学生時代には剣道に勤しみ、県の代表にもなったそうである。そうであれば、姿勢の良さも“むべなるかな”だ。」とまとめるといった具合だ。
「それを聞いて納得した」と言いたいところを「それならば“むべなるかな”だ」とするところにギャップを発生させることができ、聞く人の心を刺激することになる。
「むべなるかな」は使いたい大和言葉であるが、噛まないように練習が必要だ…ということで、どうも、おやかまっさんどした。
《京都・嵐山》
“この言葉、使おうとして噛んだことがあるよね