rrbのブログ - 最新エントリ
ヘッダーナビゲーション
現在のカテゴリー位置
サイト全体のカテゴリーナビゲーション
今京都 どう使う? 2018/03/06 12:00 am
描かれた「的」。看板には「礼節と集中力を養う弓」と書かれている。「的」の前は歩道と車道。使われることのない「的」。町撮りをしていて、こういうのに出会うと楽しい…という今京都。

《京都・中京区》

《京都・中京区》
工務店のようだけれど…仕事しているときは開いて見えないのかな
このエントリーの情報
今京都 欠陥品 2018/03/05 12:00 am
「梅は咲いたか、桜はまだかいな」 もう3月だったのね。ひな祭りも終わってしまった。歳を重ねると季節感がなくなるのかしら? 私の場合は「無頓着で欠陥品」とのことだ。気が向けば話に入ってくるが、気が向かなければ触れもしない。「お前にはコミュニケーションという言葉はないのかぁ」と言われたことも。「人に合わせることがコミュニケーションではないでしょ!」とまた余計な反論を。やっぱり私は欠陥品かも(笑)。
梅→桃→桜の順に咲き、いずれも同じバラ科なのに、冒頭の歌には桃がないのはなんでだろう。間もなく町撮りにも厳しい気温ではなくなる。カメラを持ってお出かけしよう。京の町とのコミュニケーションは喜んで〜!だ…という今京都。

《京都・某所》
梅→桃→桜の順に咲き、いずれも同じバラ科なのに、冒頭の歌には桃がないのはなんでだろう。間もなく町撮りにも厳しい気温ではなくなる。カメラを持ってお出かけしよう。京の町とのコミュニケーションは喜んで〜!だ…という今京都。

《京都・某所》
あらあら欠陥品なん? 変人だとは思うけど…
このエントリーの情報
天を仰いで思うこと もっと名乗れ! 2018/03/02 12:00 am
少し前に、有村藍里さんの持論を「俺の持論」という番組で知った。彼女のプレゼンを見ていて、雑誌やネット等で配信されている内容は、嘘ではないが、真実ではないということをつくづく感じた。インターネット時代になって便利になったのは確かだ。その分、受け取る情報もやたらに増え、難しさがぐっと増している。押し寄せる情報を何を拠りどころとして判断し、切り捨て、整理していくか。視野狭窄にならずに何を基準としてものごとの善し悪し、自分の考えや行動を決めていくか。SNSの普及は生きにくい世の中を広め、匿名による社会参加をも容易にした。それは今まで手の届かなったことに手が届くようになり、無責任な言動を加速させ、人の感覚をも狂わせてしまったのではないだろうか。
有村藍里さんが、有村藍里と名乗ることに何の問題があるのだろう。「有村架純さんの姉」ということが売名行為としてバッシングされる理由がどこにあるのだろう。私にはサッパリわからない。「有村架純の姉」と名乗ることが意図した売名行為であったとしても、有村架純さんの姉であるのは事実であり、芸能界で活動する戦略としては容認できることである。それが容認できないならば、それこそ二世タレントが生きにくい世界となる。
「『有村架純の姉』と名乗るな」と発言する権利を有するのはただ一人、有村架純さんだけである。これらのことを認識せず、「あーだこーだ」というのはちょっと違うのではないか。私たちがすべきことは、バッシング等の行為ではなく、有村藍里さんそのものを見て、有村藍里さんを応援するかしないか、好きか嫌いかを判断することだけである。応援しない、嫌いと判断しても攻撃する必要はどこにもない。
番組を見ていて思い浮かんだのは、広瀬アリスさんと広瀬すずさんの姉妹。ここも妹の方が知名度は高い。広瀬アリスさんには「広瀬すずの姉」ということについて聞いてみたい。さらに、有村架純さんには「有村藍里の妹」、広瀬すずさんには「広瀬アリスの妹」ということについて聞いてみたい。芸風や演技力等についての質問には、評価を含めてそれぞれに発言するだろう。しかし、互いの存在については「どんな状況でも大切な家族のひとり。それ以上でもないしそれ以下でもない」と彼女たちは言うに違いない。当然だ。家族というのが事実であり、真実だから。私が同じ立場でもそう言う。不本意に迷惑をかけあって助け合って生きていくのが家族。それを一人で解決しようとする行為ほど家族にとって寂しく迷惑なものはない。
私は私の判断で、有村架純さん、広瀬アリスさん、広瀬すずさんと同様に有村藍里さんを応援する。それに架純さんが拒否しないのであれば「有村架純の姉」をもっともっと自由に名乗ればいいとさえ思っている。それが正当な戦略だ。番組内の有村藍里さんの発言で一つだけ賛成できないことがある。それは写真の加工。私は、「飾らずありのまま」が万人に与えられた最大の武器だと考えている。だから写真を加工する必要は全くない。加工することにより事実が虚偽になる。どうしても気になるのであれば、小物を使ったり、顔の向きや表情の工夫などで対応すればいい。もっというならば、ありのままの有村藍里さんを素敵に撮るカメラマンを探せばいい。
SNSへの投稿は、すぐ隣にいる人との内緒話ではない。全世界に向けて配信される。その責任は配信者にある。いくら匿名で人物の特定が容易にされないとしても責任はある。これをインターネット時代に生き、SNS等を使用する人は忘れてはならない。田村耕太郎氏の『頭に来てもアホとは戦うな!』は、視野狭窄にならずに何を基準としてものごとの善し悪し、自分の考えや行動を決めていくか、のひとつの参考になる。
さて、有村藍里さんは、有村架純さんの姉であるというのは事実で真実。架純さんが拒否しない限り「有村架純の姉」と名乗ることに遠慮もいらないし気を使う必要もない。私が架純さんの立場なら「お姉ちゃん、もっと私の名前を使いなよ。だって姉妹なのは事実だし真実でしょ」というだろう…と、天を仰いで思うこと。

有村藍里さんが、有村藍里と名乗ることに何の問題があるのだろう。「有村架純さんの姉」ということが売名行為としてバッシングされる理由がどこにあるのだろう。私にはサッパリわからない。「有村架純の姉」と名乗ることが意図した売名行為であったとしても、有村架純さんの姉であるのは事実であり、芸能界で活動する戦略としては容認できることである。それが容認できないならば、それこそ二世タレントが生きにくい世界となる。
「『有村架純の姉』と名乗るな」と発言する権利を有するのはただ一人、有村架純さんだけである。これらのことを認識せず、「あーだこーだ」というのはちょっと違うのではないか。私たちがすべきことは、バッシング等の行為ではなく、有村藍里さんそのものを見て、有村藍里さんを応援するかしないか、好きか嫌いかを判断することだけである。応援しない、嫌いと判断しても攻撃する必要はどこにもない。
番組を見ていて思い浮かんだのは、広瀬アリスさんと広瀬すずさんの姉妹。ここも妹の方が知名度は高い。広瀬アリスさんには「広瀬すずの姉」ということについて聞いてみたい。さらに、有村架純さんには「有村藍里の妹」、広瀬すずさんには「広瀬アリスの妹」ということについて聞いてみたい。芸風や演技力等についての質問には、評価を含めてそれぞれに発言するだろう。しかし、互いの存在については「どんな状況でも大切な家族のひとり。それ以上でもないしそれ以下でもない」と彼女たちは言うに違いない。当然だ。家族というのが事実であり、真実だから。私が同じ立場でもそう言う。不本意に迷惑をかけあって助け合って生きていくのが家族。それを一人で解決しようとする行為ほど家族にとって寂しく迷惑なものはない。
私は私の判断で、有村架純さん、広瀬アリスさん、広瀬すずさんと同様に有村藍里さんを応援する。それに架純さんが拒否しないのであれば「有村架純の姉」をもっともっと自由に名乗ればいいとさえ思っている。それが正当な戦略だ。番組内の有村藍里さんの発言で一つだけ賛成できないことがある。それは写真の加工。私は、「飾らずありのまま」が万人に与えられた最大の武器だと考えている。だから写真を加工する必要は全くない。加工することにより事実が虚偽になる。どうしても気になるのであれば、小物を使ったり、顔の向きや表情の工夫などで対応すればいい。もっというならば、ありのままの有村藍里さんを素敵に撮るカメラマンを探せばいい。
SNSへの投稿は、すぐ隣にいる人との内緒話ではない。全世界に向けて配信される。その責任は配信者にある。いくら匿名で人物の特定が容易にされないとしても責任はある。これをインターネット時代に生き、SNS等を使用する人は忘れてはならない。田村耕太郎氏の『頭に来てもアホとは戦うな!』は、視野狭窄にならずに何を基準としてものごとの善し悪し、自分の考えや行動を決めていくか、のひとつの参考になる。
さて、有村藍里さんは、有村架純さんの姉であるというのは事実で真実。架純さんが拒否しない限り「有村架純の姉」と名乗ることに遠慮もいらないし気を使う必要もない。私が架純さんの立場なら「お姉ちゃん、もっと私の名前を使いなよ。だって姉妹なのは事実だし真実でしょ」というだろう…と、天を仰いで思うこと。

きょうは語ったねぇ。rrbは、真実を知らないの批判等の行為を最も嫌う人だもんね
このエントリーの情報
今京都 記憶にございません 2018/03/01 12:00 am
政治家のセリフではないが、どこで撮ったのか、ちょっと思い出せない。しかし、撮った理由はわかる。妙に完成されたアートを感じたからだ。「町撮りの楽しさはこういうところなんだよね」的な勢いで撮った…という今京都。

《京都・某所》

《京都・某所》
最近、ブログネタに困ってきてるやろ!
このエントリーの情報
今京都 便利だけれど怖い 2018/02/28 12:00 am
道路に描かれたこの標識。どういう意味だろう。「自転車の飛び出しに注意」「自転車は一旦停止しなさい」などか。自転車は便利な乗り物だが、最近の規制は厳しいものがある。酒気帯びや飲酒運転の罰金対象にもなっている。「ながら自転車」「爆走自転車」なども怖い。自転車にぶつかられた年配の方が亡くなった事故も発生している。年齢制限も免許証もないので、「軽車両」という認識が持てない乗り物である。
私の体験で、車を運転していて怖いのが自転車と原付バイク。バイクに乗っていて怖いのが原付バイク。自転車に乗っていて怖いのが自転車と原付バイク。こう考えると原付バイクが一番厄介かも。しかし、歩いていて一番怖いのが自転車だ。「ながら自転車」が突進してくる。「この歩道は自転車通行禁止」と表示されているのに、ひどい場合は「ベルを鳴らしながらオラオラ状態」で自転車が爆走。そもそも自転車のベルは「自転車が来てますよ」のお知らせのためであり、「歩行者にどけ」と促すものではない。このことで一度おじさんとバトルして警察沙汰になったこともある。当然、歩行者である私の言い分が勝たが、今から考えると、無駄なバトルだった。
便利だけれど、その分、危険性も増加する。自転車に乗る人こそ、規則を熟知して守る意識を高めるべきではないだろうか。そんなことをこの道路標識を見て思った…という今京都。

《京都・某所》
私の体験で、車を運転していて怖いのが自転車と原付バイク。バイクに乗っていて怖いのが原付バイク。自転車に乗っていて怖いのが自転車と原付バイク。こう考えると原付バイクが一番厄介かも。しかし、歩いていて一番怖いのが自転車だ。「ながら自転車」が突進してくる。「この歩道は自転車通行禁止」と表示されているのに、ひどい場合は「ベルを鳴らしながらオラオラ状態」で自転車が爆走。そもそも自転車のベルは「自転車が来てますよ」のお知らせのためであり、「歩行者にどけ」と促すものではない。このことで一度おじさんとバトルして警察沙汰になったこともある。当然、歩行者である私の言い分が勝たが、今から考えると、無駄なバトルだった。
便利だけれど、その分、危険性も増加する。自転車に乗る人こそ、規則を熟知して守る意識を高めるべきではないだろうか。そんなことをこの道路標識を見て思った…という今京都。

《京都・某所》
「頭に来てもアホとは戦うな!」を読んだでしょ、無駄なバトルはダメだよ。