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天を仰いで思うこと おばんざい 2009/07/29 12:00 am

ばんざい
ありあわせのふだんのお菜。日常食べる副食物。江戸時代から上方ではバンザイ(番菜)、江戸ではソウザイ(惣菜)と言った。番菜の「番」は、番茶・番傘の「番」のように常用または粗末の意味に解された。ザイは菜のこと。サイはソエルの意。晩菜・万菜と書くのは当て字。御所ことばでオバンは目上の人の飯のことで、オバンの菜からとも考えられる。副食物を御所ことばはオマワリという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(69) ちょっと気になる「ことば」の話
なので



最近、「だから」と同様に、「なので」を文の先頭に付けて前の内容を後につなげる言い方(接続詞の用法)がされる。話し言葉では、徐々に使われてきているが、文章語としては、まだ定着していない。「だから」や「ですから」があるのに、どうして「なので」が新たに使われるようになったのか?



「だから」「ですから」は「から」、「なので」は「ので」を含む語だから、この「ので」と「から」の違いを反映させようとしたのだと推測できる。「ので」と「から」では、「ので」は客観的で「から」は主観的だとか、「ので」の方が巣こと丁寧だとかいわれている。「だから」では、理由をごり押しする感じがするが、「ですから」では、畏まり過ぎるか気取りすぎる、というので、「なので」の出番となったのではないだろうか。
「だから」の「だ」と、「なので」の「な」は、もともと同じ断定の助動詞の異なった形だと考えられる。断定の助動詞に由来する接続詞は、「だから」「だが」「だったら」のような「だ」の形のものは多いが、「な」の形で始まる接続詞は多くない。ところが少し前から、「なのに」を接続詞として使うようになってきた。「なので」は、この「なのに」に引き続いて、接続詞化を進めているといえる。さらに「な、わけないだろ」とか、「な、こと言って」のような「な」の用法も控えている。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
新型インフルエンザで中止になった神戸まつりのバレードが復活

「なので」が接続詞として使われ始めたことにはしかるべき理由が感じられるが、現時点では違和感を感じる人もいる新しい用法であり、使用には注意が必要だという。改まった場では、「ですから」などを使うほうが好ましいということか…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)


 

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今京都 しょぼくさい 2009/07/28 12:00 am

ょぼくさい
貧相な。「また、ショボクサイ格好してるな」 ショボは、雨露に濡れて、ぐっしょりしたさまをいう「しほしほ」から。クサイは不快を示す接尾語。俳人安原貞室の『片言』(かたこと)には「袖袂などの雨露にぐっしょりぬれたるを、しほしほといふはよろしけれど、しぼしぼぞ、じっぽりぞなど云は如何」とある。「又しょぼくさなどは如何。但草といふはこと葉の縁にて侍れば、苦しかるまじきにや」と解説している。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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抜地蔵(石像寺) (旧フォトヴィレッジ 2007年3月23〜25日掲載)



ここは京都市上京区の千本今出川を北へ上がったところにある釘抜地蔵。819(弘仁10)年に真言宗の開祖・空海(弘法大師)が開創したと伝わる。境内には空海手掘りといわれる京都三井の一つや、平安時代の歌人・藤原家隆、定家、定長の供養塔がある。



道沿いの門をくぐり、30mほどの参道の脇には、大きな釘と釘抜きのようなものが設置されている。境内に入る第二の門から本堂を臨む。中央には先ほど参道にもあった釘と釘抜きのようなものが…。参拝者はまずここで手を合わせる。このお地蔵さまは苦しみや痛みを抜き去る御利益があるといわれ、「苦抜(くぬき)地蔵」とも呼ばれている。





それは戦国時代のことだった。紀の国屋道林(40歳)という都でも有数の商人がいた。ある日突然、何の前触れもなく両手が痛み出す。痛みに耐えかね、治療を尽くしたけれど、そのかいもなく痛みが続く。おまけに病名も分からない。そこで頼るは「神仏」と霊験あらたかなお地蔵さまに願掛けした。その願掛けの満願の夕べに、お地蔵さまが夢に現れお告げがあった。
そのお告げとは、
「この痛みは病ではない。おまえの前世が人をうらみ、人形を作って両手に八寸の釘(くぎ)を打ってのろった。その罪が返ってきて、おまえの身に苦しみを与えている。」
夢のお告げはさらに続く。
「幸いにもおまえはわたしのところに来た。神力をもって、そのうらみの釘を抜き取ってやろう。」
というもの。
夢から覚めると、両手の痛みは消えていた。驚いた道林は急いで寺に向かい、お地蔵さまが安置された厨子(ずし)の前に伏して拝んだ。すると朱に染まった二本の八寸釘が置いてあるのが目に入った。それからというもの、道林は百日を期して日参し、少しでも恩に報いたという。お地蔵さまを安置する本堂の外壁には、八寸釘が二本と釘抜きを取り付けた絵馬が、すき間なく張り付けられている。





八寸釘が二本と釘抜きを取り付けた絵馬は、言い伝えにちなみ、お地蔵さまにお参りした後、御利益があった時だけ奉納が許されるという。「苦しみは釘のようなもの。悩んだり、苦しんだりすると、釘が刺さったような気持ちになる。お地蔵さまとのかかわりのなかで、願いが成就した方だけに奉納していただく」という考えのもとだという。お千度で本堂をぐるぐるとまわったり、仏具の五鈷杵(ごこしょ)をなでて手を合わせたりする人々。科学万能の今の時代にも、信仰心はしっかりと生きているという証ね。釘抜地蔵のある石像寺は現在、浄土宗の寺院で、毎月24日が縁日となっている。





次から次へと参拝者が絶えない。「苦抜(くぬき)地蔵」とも呼ばれている通り、何かの苦痛・苦悩を取り除きたいのか!? そういえば現代は苦痛・苦悩だらけ。そしてどの時代にも必ず存在するのが「現代病」という病気だ。お若いお二人も参拝。突然、ひとりのおばあちゃんが、お二人に話しかけていた。
「あんたら、お参りの仕方を知ってるかぁ。知らんやろ、教えたろ。」と。
「あんなぁ、まず手を清めてなぁ。清めたらな…」と説明が続く。



傍でお話を聞いていると、おばあちゃんは20年近く毎日毎日欠かさず奉仕しているという。ご住職のお話を聞くより、おばあちゃんのお話のほうが楽しいかも知れない。それは、そこにあるのは難しいお経とか教義とかではなく、信徒の純朴な心だからだろう。そして、その純朴な心こそが今の時代でも地蔵信仰を支えている要因なんだと感じた。



「あんたも、そんなことばかりしてんと、お参りしとき!」
その言葉に慌てて参拝。「まずは手を清めてから」…今京都。


 

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天を仰いで思うこと どてまち 2009/07/27 12:00 am

てまち
もとは川岸の意。「あの先生はドテマチにいやはったんや」 豊臣秀吉が築いた「お土居」の跡に土手町通のような通り名がある。鴨川の西岸、北は上京区の丸太町通駒之町から南は夷川通に至り、中断して下京区の上珠数屋町通大工町から七条通の材木町に至る。ドテは土堤(どてい)から。マチは限られた区画の意味。ドテヤマは低い山で、このドテも同じルーツ。「ドテヤマで、赤土取ってこ」 (『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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を仰いで思うこと



高いつもりで低いのは教養 低いつもりで高いのが気位
深いつもりで浅いのは知識 浅いつもりで深いのが欲



厚いつもりで薄いのは人情 薄いつもりで厚いのが面の皮
強いつもりで弱いのは根性 弱いつもりで強いのが我


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

多いつもりで少ないのは分別 少ないつもりで多いのが無駄

ん〜、つくづく人間は厄介だ…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 しばく 2009/07/26 12:00 am

ばく
たたく。「文句あるのか。シバイたろか」 江戸時代から使われる。「撓(たわ)む」の意味の「しわる」からか。「しわる」は圧力を受けて撓むことで、室町時代には「腹がすく」ことを「むねがしわる」といった。ドツクは、殴るよりも軽い感じの語。「腹がたつし、ドツイたろか」と言う。東京のブツに対して、上方ではツクに強調の接頭語「ド」をつける。ドツクは江戸時代から使用する。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(270)




 

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今京都 ぽち 2009/07/25 12:00 am


祝儀、心付け、チップのことをいう。「髪結いさんにポチ渡しといてんか」 祝儀袋をポチブクロという。ポチは「ほくのポッチリ」の意味で花街用語からか。フランス語のプチ(小さい)からというのは民間語源説であろう。フランス語でチップはプルボワールである。小さい点をポチというが、これと関係するかどうか分からない。「これポッチ」のポッチと結び付くかどうかも疑問である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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解地名 (旧フォトヴィレッジ 2007年6月15・16日掲載)
京都は地名も難しいが、読み方も難しい。受け継がれている難解地名は京都の歴史そのものかも知れない。さて、ここで問題。なんと読むでしょう? ちょっと多いけれど頑張って!



(あ)安居院  (い)悪王子町  (う)不明門通  (え)化野  (お)和泉式部町  (か)一口  (き)外郎町  (く)艮町  (け)正親町小路  (こ)巨椋池  (さ)勘解由小路  (し)勘解由小路通  (す)岩栖院町  (せ)上終町  (そ)釜座通  (た)上切通し  (ち)鴨田  (つ)花遊小路  (て)櫛笥通  (と)神足  (な)御幸町通  (に)皀莢町  (ぬ)西石垣通  (ね)佐女牛井町  (の)鹿々谷通  (は)諏訪町  (ひ)清和井  (ふ)芹生  (へ)糺の森  (ほ)天使突抜通  (ま)木賊山町  (み)百々町  (む)日暮通  (め)坤町  (も)日ノ岡ホッパラ町  (ら)罧原町  (り)卜見金仏町  (る)万里小路  (れ)御陵  (ろ)山端



答えは次のとおり。
(あ)安居院(あぐい)  (い)悪王子町(あくおうじちょう)  (う)不明門通(あけずどおり)  (え)化野(あだしの) (お)和泉式部町(いずみしきぶちょう)  (か)一口(いもあらい)  (き)外郎町(ういろうのちょう)  (く)艮町(うしとらちょう)  (け)正親町小路(おおぎまちこうじ)  (こ)巨椋池(おぐらいけ)  (さ)勘解由小路(かげゆこうじ)  (し)勘解由小路通(かでのこうじどおり)  (す)岩栖院町(がせいんちょう)  (せ)上終町(かみはてちょう)  (そ)釜座通(かまんざどおり)  (た)上切通し(かみきりどおし)  (ち)鴨田(かもんでん)  (つ)花遊小路(かゆこうじ)  (て)櫛笥通(くしげどおり)  (と)神足(こうたり)  (な)御幸町通(ごこまちどおり)  (に)皀莢町(さいかちちょう)  (ぬ)西石垣通(さいせきどおり)  (ね)佐女牛井町(さめがいちょう)  (の)鹿々谷通(ししがたにどおり)  (は)諏訪町(すわんちょ)  (ひ)清和井(せがい)  (ふ)芹生(せりょう)  (へ)糺の森(ただすのもり)  (ほ)天使突抜通(てんしつきぬけどおり)  (ま)木賊山町(とくさやまちょう)  (み)百々町(どどちょう)  (む)日暮通(ひぐらしどおり)  (め)坤町(ひつじさるちょう)  (も)日ノ岡ホッパラ町(ひのおかほっぱらちょう)  (ら)罧原町(ふしはらちょう)  (り)卜見金仏町(ぼくみかなぶつちょう)  (る)万里小路(までのこうじ)  (れ)御陵(みささぎ)  (ろ)山端(やまばな)



どれだけ読めた? これはごく一部。特に厄介なのは、(け)の「正親町小路(おおぎまちこうじ)」なんかは「正親小学校」となれば「せいしんしょうがっこう」と読む。「冷泉家(れいぜんけ)」というのに「冷泉通」となると「れいせんどおり」となる。なんとも新旧の入り乱れが悩みの種。極めつけは、「安居院(あぐい)」、「清和井(せがい)」、「岩栖院(がせいん)」、「諏訪町(すわんちょ)」など、なんとなくフランス語流にリエゾンしているところに京ことばの特徴があるような気がするのだけれど、さてどうだかね…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


 

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