ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2025 7月 » »
29 30 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 1 2
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - rrbさんのエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

今京都 へたばる 2009/10/27 12:00 am

たばる
くたばる。疲れて倒れる。座り込む。尻をべったりとつけて座る。「マラソンの途中でヘタバッテしもて棄権や」 ヘタは「平らなさま」で、バルは「張る」の意味。ヘタル・ヘチャバルともいう。ヘタルは、べったりと平たく座ること。「風邪ひいてヘタッテる」「道端にヘタッテしもて動かれへん」 江戸時代の初めから使用し、物事を途中で投げ出す、弱るの意味でも広まった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

かれんげ/安養寺 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月6日掲載)
衣料品店や土産物屋が並び、若者や修学旅行生たちでにぎわう繁華街の新京極。談笑しながら人々が行き交う蛸薬師通に面して、「さかれんげ阿弥陀(あみだ)如来」と刻んだ石碑がひっそりとたたずんでいる。



ここは古くから「女人往生」で信仰を集める安養寺。境内といえるかどうかわからないが、一歩入ると、まちなかの雑踏は嘘のように消える。静寂が包む2階の本堂には、阿弥陀如来像が安置されている。足元を目を凝らして見ると台座になっている蓮華の花が何故か下向きに咲いている。



話によると、平安後期、旅の老僧がひと晩の宿を請うて安養寺を訪れた。老僧は「仏を作る」と言う。寺に居住していた安養尼が材木を渡すと、老僧は部屋に引きこもった。夜中、のみやつちをたたく音が響く。朝、安養尼が部屋を訪れると、老僧の姿はなく光明を放つ阿弥陀如来像が出来上がっていた。安養尼は感謝し、仏師に蓮華の台座を作らせたが、仏像を置くたびに台座にひびが入る。安養尼は悩み、春日権現に祈ると、あの老僧が現れる。「この仏は女人往生の証拠仏。八葉の『さかれんげ』を台座にしなさい」。早速、さかれんげの台座を作り、無事に仏像を安置することができたという。



昔の習俗に基づいた信仰では、往生の際、男性は心の中で上を向いたハスの花を咲かせるが、女性は下向きに咲かせると言われ、女性は虐げられた存在だった。反対に、阿弥陀の平等思想は男女の差別なく往生できることを教える。さかれんげと阿弥陀如来を象徴的に見せることで、分け隔てなく救われることを分かりやすく伝えたのだろうと予想されている。



また、安養寺は洛陽六阿弥陀巡拝の一つで、無病息災を願いながら寺巡りを楽しむ中高年が訪れる。その一方で、数珠をかたく握りしめ、一心不乱に阿弥陀如来にすがる若い女性もいるという。時が流れても、その時代に応じた悩みと、『救われたい』という祈りがあることに変わりはない。人と人との絆が弱い現代にあって、今の女性は一見幸せそうに見えても、苦しみは増しているのではないだろうか…。



安養寺は京都市中京区新京極通蛸薬師角。午前7時から午後8時半ごろまで、蛸薬師通に面した薬医門が開いており、2階の本堂に安置されている阿弥陀如来像を参拝することができる。安養尼は恵心僧都(えしんそうず)の妹。安養寺には、弁財天や北向地蔵尊も安置されている…今京都。


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと すんまへん 2009/10/26 12:00 am

んまへん
すみません。恐れ入ります。「お先に失礼してスンマヘン」「いつもお世話になりスンマヘン」 心が澄まない意からで、謝罪のときにも、感謝するときにも使う。祇園の舞妓・芸妓がよく口にする。スマンの丁寧語。スイマヘン・スイマセン・スミマヘンとも。「スンマヘンこんなことお願いしまして」と、スンマヘンを前出したり、「ちょっとスンマヘンケド」と、あらかじめ容赦の気持ちを伝える表現もある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

方山話(79)
いわし雲に思うこと



秋の澄んだ青空一面に、白い雲が斑点状に広がる様子が、海で鰯(いわし)が群れているように見えることから「いわし雲」という。また、鯖(さば)の背の斑点のように見えるので「さば雲」、魚の鱗に似ているので「うろこ雲」ともいう。



高度5000から13000mに生じる巻積雲(けんせきうん)のことで、この雲がでると、秋が深まっていくことが実感できる。今年はまだ見ていない。この雲は、漁師にとっては鰯の大漁の兆しでもあったそうだ。


(京都・嵯峨野 化野念仏寺)

「鰯雲化野(あだし)の墓隙間なし」と詠んだのは藤井艸眉子だったか…。先日訪れた、化野(あだし)の念仏寺はまだ秋の気配は浅かった…と、天を仰いで思うこと。


 

このエントリーの情報

今京都 ぼっかぶり 2009/10/25 12:00 am

っかぶり
大きいアブラムシ。ゴキブリからボッカブリとなまった。御器(ごき)は食物を盛る蓋付きの椀。カブルは、かじるの意。台所に出て食器・食品をかじる。一般にゴキブリという。祇園のお茶屋では、台所へ来て、無駄話に時間を過ごす客をあざけってアブラムシという。アブラムシは油に浸したような光沢がある。油を売る、怠けることをアブラトルという。主人の目をぬすんで怠ける者はアブラトリ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。










蔵物語(280)




 

このエントリーの情報

今京都 むしくしする 2009/10/24 12:00 am

しくしする
「おなか(腹)がムシクシスル」は腹がちくちく痛むのをいう。「あいつのすることを見ているとムシクシスルわ」のムシクシは、腹が立って耐えられない、むしゃくしゃすること。ムシは「腹の虫」、クシは「苦しい」ことである。今の若者のキレル状態である。「思わせぶる」ことをムシオコシという。「こんなムシオコシやったら、ないのと同じこっちゃ」のムシも腹の虫で、食欲、さらに欲を起こさせること。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

かずの鐘/報恩寺 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月3日掲載)
織屋の町、西陣の一角に浄土宗の報恩寺がある。境内の一角にある鐘は、高さ120cm、直径81cm、重さ1.5トン。平安時代に作られた。江戸時代の大火の中でも残り、重要文化財に指定されている。昔、つらい奉公や夜なべの仕事に励んだ織女(おへこ)たちは、報恩寺の朝夕の鐘で、仕事の始めや終わりの時間を知ったという。今は、除夜以外は突かれることのない「つかずの鐘」から、悲しい音色と逸話が響いてくる。



話は江戸時代にさかのぼる。寺の近くに古い織屋があった。店には15歳の丁稚(でっち)と13歳の織女が働いていた。この2人は何故か仲が悪く、顔を合わすと喧嘩ばかりでお互いにいがみ合っていたという。ある時、2人は報恩寺の夕方の鐘の数をめぐって口論になる。織女は「9つ」、丁稚は「8つ」と主張。そして「間違った方が何でもする」と約束した。



そのいがみ合いが事件を引き起こす。年上で悪知恵のはたらく丁稚がこっそり店を抜けて寺男に問うと、正解は織女の「9つ」。そこで丁稚は「今日だけは数を8つにして欲しい」と頼み、事情を知らない寺男は気軽に引き受けてしまう。その日の夕方、鐘の数を数えていたところ、9つめが鳴らない。丁稚から、さんざん悪口を浴びせられた織女は悔しさのあまり、鐘楼に帯をかけ首を吊ってしまう。その後、恨めしげな表情の織女の霊が現れるようになり、寺も鐘を突くのをやめてしまい、代々「つかずの鐘」として伝わってきたという。



話はさらに続く。近年、織女と丁稚の話を再現ドラマにとテレビ番組で撮影を頼まれ特別に鐘を突くのを許したことがある。しかし、織女役の女優が鐘楼の梁にぶら下がろうとしたところ、ささくれた木が手に刺さったというエピソードもあるという。



今では大みそかだけ法要の後に108の鐘が突かれる。ボーン、ボーンと美しい余韻をひいて鐘が鳴る。織女の嘆きのようにも聞こえる繊細な音色が風に乗り、今も街に流れる手機の音と重なる。平成の今、家族の間でも悲しい事件や争いごとが絶えず人同士の対話がない。言い伝えは、煩悩をなくし、みんな仲良く暮らせという戒めなのだろうか…今京都。


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと にじくる 2009/10/23 12:00 am

じくる
「そんなにあっちゃこっちゃニジクルもんやない」 なすりつける。塗りつける。ニシクルともいう。擦り付ける。じりじりと押し付けるの意味のニジルに、繰り返す、こね回すの意味のクル(繰る)をつけて作った。「にじり寄る」「にじり出る」というし、茶室には「にじり口」がある。「にじり書き」といえば、筆を紙に押さえ付けるようにして下手な文字を書くことになる。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

方山話(78)
橋に思うこと



京都には、観月橋と渡月橋という橋がある。いずれもそこそこ有名だろう。
観月橋は、鎌倉時代末期から、桂橋(両郡橋又は指月橋)と称し存在した。桃山時代に、豊臣秀吉が豊後大友氏に命じ伏見から向島の間に長さ200m橋を架ける。豊後(ぶんご)橋と呼ばれる。江戸時代を通して18回の架け替えや修復の工事が行われた。鳥羽・伏見の戦で豊後橋が焼け落ちる。川の流れが速いため復旧に難儀したそうだ。その間は、渡し船が就航。1873(明治6)年に橋が再建、この時に橋脚の柱や高欄が鉄製になる。月を観るのに好適の場所にあるということから、「観月橋」と呼ばれるようになった。
一方、渡月橋は、承和年間(834-848)に僧・道昌が架橋したのが始まりとされ、現在の位置には、後年に角倉了以が架けたとされる。現在の橋は1934年(昭和9年)完成。橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製だが、欄干部分は景勝地である嵐山の風景にとけ込むよう木造。観光パンフレットなどには、この橋が写り込んだ写真が多用され、また、映画やテレビドラマの撮影で多用されていることもあり、観光地としての嵐山を象徴する橋ともなっている。欄干が木造であることから、自動車が欄干に衝突した際に欄干を破損して車が川底に落下したり、捨てられた煙草の火によって欄干が燃える事故が発生することがある。亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて、「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから「渡月橋」と名付けられる。



このふたつの橋に共通する項目は、「月」である。
さて、京都の人に「観月橋は東西、南北のどっちに架かっている?」と聞くと、凡その人から、「南北」と正解が返ってくる。しかし、「渡月橋は?」という質問に対しては、凡その人が、「東西」と間違って答える。実際に渡月橋を渡ったことがある人に聞いても「東西」と間違って答える。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

この間違いはどこからくるのか…。恐らく、京都人にとって観月橋は京都の南にあり、北から南向いて行った進行方向のまま渡るから「南北」と正しく答えられる。しかし、渡月橋は京都の西にあることから、東から西に行ったところにあるため、錯覚し間違うのであろうと推測する。ちなみに四条通に架かる「松尾橋」については、正しく「東西」と答える。
念のために、地図を掲載しておく。





それにしても、「月を観る」だの「月が渡る」だの、京都での先人たちの生活感性は素晴らしい…と、天を仰いで思うこと。


 

このエントリーの情報

ページナビゲーション

« 1 ... 271 272 273 (274) 275 276 277 ... 412 »

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop