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おやかまっさん でんぼ 2010/03/01 12:00 am
でんぼ
やや深めの素焼きのかわらけを大小三つ重ね、緑と赤色と群青色を塗った伏見稲荷の土産。初午の日に、伏見稲荷大社に参詣し、女の子のみやげにデンボを買った。「でっちデンボ稲荷の土産は落としたら割れる」と囃した。柚子の形の蓋物はユーデンボという。「田豊」の字を当てる。もと種籾を盛り神前に供えてから蒔くと豊作になったからという。身体の腫れ物もデンボという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
弥生、3月

たった一晩で年が変わる大晦日も不思議だが、月々の月末・月始もひとつの不思議である。ついつい、日付を2と書いてしまう。時間に縛られた日常生活。生涯の中で、一度くらいは全く時間を意識しない生活をしてみたい。眠いから寝る、起きたいから起きる…そんな生活がひとつの憧れだ。さて、そんなことが本当にできるのだろうか…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。

やや深めの素焼きのかわらけを大小三つ重ね、緑と赤色と群青色を塗った伏見稲荷の土産。初午の日に、伏見稲荷大社に参詣し、女の子のみやげにデンボを買った。「でっちデンボ稲荷の土産は落としたら割れる」と囃した。柚子の形の蓋物はユーデンボという。「田豊」の字を当てる。もと種籾を盛り神前に供えてから蒔くと豊作になったからという。身体の腫れ物もデンボという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
弥生、3月

たった一晩で年が変わる大晦日も不思議だが、月々の月末・月始もひとつの不思議である。ついつい、日付を2と書いてしまう。時間に縛られた日常生活。生涯の中で、一度くらいは全く時間を意識しない生活をしてみたい。眠いから寝る、起きたいから起きる…そんな生活がひとつの憧れだ。さて、そんなことが本当にできるのだろうか…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


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おやかまっさん おばけ 2010/02/28 12:00 am
おばけ
節分の日に、老女は若い娘の姿に、良縁を得るために若い娘は人妻の髪形に結ってバケルこと。娘の振り袖を着る母親、桃割れの髪形の祖母。「節分の日にはオバケが見られたもんや」 戦後、若い娘の日本髪をオバケとも言った。
髪形や着物の着付けを装う人もオバケである。吉田神社や壬生寺へ厄除け参詣するとき、常の日はできないような派手な髪形や服装をしてめかす。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
地蔵物語(297)と羅漢


いよいよ、2月も終り、明日から3月だ。一年の中でも一番平均気温が低いのが2月。2月が過ぎると、厳しい冬を乗り切ったという感じがする。これからは三寒四温となり、春へと加速していく。太陽の光もどことなく、春めいた感じだ。
しかし、3月は年度末の最後の月。何かと慌しい日々が続く。もしかしたら、ブログの更新が停滞することもあり得る。今年の3月はいつもの年とちょっと違うかもしれない…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。

節分の日に、老女は若い娘の姿に、良縁を得るために若い娘は人妻の髪形に結ってバケルこと。娘の振り袖を着る母親、桃割れの髪形の祖母。「節分の日にはオバケが見られたもんや」 戦後、若い娘の日本髪をオバケとも言った。
髪形や着物の着付けを装う人もオバケである。吉田神社や壬生寺へ厄除け参詣するとき、常の日はできないような派手な髪形や服装をしてめかす。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
地蔵物語(297)と羅漢


いよいよ、2月も終り、明日から3月だ。一年の中でも一番平均気温が低いのが2月。2月が過ぎると、厳しい冬を乗り切ったという感じがする。これからは三寒四温となり、春へと加速していく。太陽の光もどことなく、春めいた感じだ。
しかし、3月は年度末の最後の月。何かと慌しい日々が続く。もしかしたら、ブログの更新が停滞することもあり得る。今年の3月はいつもの年とちょっと違うかもしれない…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


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天を仰いで思うこと やっこはらいまひょ 2010/02/27 12:00 am
やっこはらいまひょ
ヤッコハライは節分に厄払いに来る人。「厄払い」の訛り。節分の夜、家の表に立って「ヤッコハライマヒョ」と呼んだ。米・金銭・豆の紙包みを与えると、「ああら、めでたいめでたいな、めでたいことで払おうなら、鶴は千年亀万年、浦島太郎は八千歳」と唱えた。節分に「ン」が二つつくもの、ニンジン・カンテン・ギンナン・レンコン・ポンカン・キンカンを七色食べると、運が開けるという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
絵馬

ひとくくりにするのではないが、今の子どもたちは現実的で、ドライな考え方をすると思っていた。でも、そうでもないらしい。最後のところでは、やっぱり祈るようだ。受験シーズン本番を迎え、「学問の神さま」で知られる菅原道真をまつる京都市上京区の北野天満宮の絵馬掛所には、合格祈願の絵馬が、それこそ鈴なりの状態である。1年間で10万枚を超すというから驚くばかりである。

家族ら本人以外が奉納したものも当然ある。「○○ちゃん 今度こそ、難関突破」は母の切なる思い。「3年2組 祈!全員合格」は中学の教師。何といっても多いのは受験生自身による奉納だ。一枚一枚、絵馬を眺めていくと、地元京都はもとより、全国各地に及んでいる。中学、高校への志望校を見ると、たいてい1校だが、大学受験になると複数が多い。なかには、5校も6校も大学名を挙げ、どこか1校でも…といった記述も見受ける。以前、一家で大学受験に出せる金額は10万円が限度と聞いたことがある。平均で2〜3大学の受験といったところか。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
さらに、絵馬を見ていくと、公務員試験をはじめ資格試験の合格祈願や、就活についての願いも目につく。「両親を安心させるため良い会社に正社員で就職できますように」とする大学生の絵馬は、時代や世相をも浮き彫りにさせている。
たまに見る、ダンスやさんすうを「がんばる」と、たどたどしい文字で書かれた絵馬。どこかホッとする。ご加護は平等で、本人の努力があってのことだとしても、10万の願いともなると、菅公もさぞかしお悩みのことだろう…と、天を仰いで思うこと。

ヤッコハライは節分に厄払いに来る人。「厄払い」の訛り。節分の夜、家の表に立って「ヤッコハライマヒョ」と呼んだ。米・金銭・豆の紙包みを与えると、「ああら、めでたいめでたいな、めでたいことで払おうなら、鶴は千年亀万年、浦島太郎は八千歳」と唱えた。節分に「ン」が二つつくもの、ニンジン・カンテン・ギンナン・レンコン・ポンカン・キンカンを七色食べると、運が開けるという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
絵馬

ひとくくりにするのではないが、今の子どもたちは現実的で、ドライな考え方をすると思っていた。でも、そうでもないらしい。最後のところでは、やっぱり祈るようだ。受験シーズン本番を迎え、「学問の神さま」で知られる菅原道真をまつる京都市上京区の北野天満宮の絵馬掛所には、合格祈願の絵馬が、それこそ鈴なりの状態である。1年間で10万枚を超すというから驚くばかりである。

家族ら本人以外が奉納したものも当然ある。「○○ちゃん 今度こそ、難関突破」は母の切なる思い。「3年2組 祈!全員合格」は中学の教師。何といっても多いのは受験生自身による奉納だ。一枚一枚、絵馬を眺めていくと、地元京都はもとより、全国各地に及んでいる。中学、高校への志望校を見ると、たいてい1校だが、大学受験になると複数が多い。なかには、5校も6校も大学名を挙げ、どこか1校でも…といった記述も見受ける。以前、一家で大学受験に出せる金額は10万円が限度と聞いたことがある。平均で2〜3大学の受験といったところか。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
さらに、絵馬を見ていくと、公務員試験をはじめ資格試験の合格祈願や、就活についての願いも目につく。「両親を安心させるため良い会社に正社員で就職できますように」とする大学生の絵馬は、時代や世相をも浮き彫りにさせている。
たまに見る、ダンスやさんすうを「がんばる」と、たどたどしい文字で書かれた絵馬。どこかホッとする。ご加護は平等で、本人の努力があってのことだとしても、10万の願いともなると、菅公もさぞかしお悩みのことだろう…と、天を仰いで思うこと。


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今京都 おこぼ 2010/02/26 12:00 am
おこぼ
木履(ぼくり)。舞妓などが用いる裏を刳り貫いた下駄。幼女の履く塗り下駄。「オコボの音がして舞妓さんが来やはった」 履いて歩くとコボコボと音がする。コボにオを付けオコボとした。コッポリとも。東京ではボクリを促音化してボックリ。草履はジョジョという。「赤いベベ(着物)着てジョジョ履いて」 祇園ではジョジョハイタトトは牛肉のこと。「ジョジョハイタトト食べたいな」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
水を制する
海だった京都、水浸しの盆地の周縁部に人が住みつくようになったのは、遅くとも数万年前のことであるという。北西の沢ノ池遺跡では旧石器が発見されており、続く縄文時代には北東の北白川一帯から縄文式土器や石器が出土している。弥生時代に入ると湿潤な土地を利用した農耕地域が桂川流域や北白川、深草に広がり、大規模集落も点在するようになった。5世紀になると、大和の地は既に過密状態となり、フロンティアを目指す渡来系豪族や新進豪族が次々と山代(のち山背から山城)へと進出したということだ。

一説には、新羅から渡来したとされる秦氏は嵯峨野の太秦付近に本拠を置き、当時の先端技術で桂川にダム(葛野大堰)を築く。桂川は古来頻繁に氾濫を繰り返す暴れ川で、治水・利水が定住の要だった。秦氏はまた、養蚕・機織の技術を広め、殖産興業を巨富へとつなげていった。のちの長岡京・平安京造営の際には、多額の支援をし、古代京都開発の功労者となった。
一方、大和の葛城(奈良県西北部)にいた賀茂氏は盆地を北へと進み、鴨川上流域に住み着いた。賀茂は神の意とされ、古くから神事を司る氏族であった。鴨川という名の由来にもなったが、こちらは氾濫の少ない上流で川を制したということだ。
秦氏と賀茂氏、いずれにしても、水を制するものが山代を制すということか…今京都。(『京都のふしぎ発見』より)

木履(ぼくり)。舞妓などが用いる裏を刳り貫いた下駄。幼女の履く塗り下駄。「オコボの音がして舞妓さんが来やはった」 履いて歩くとコボコボと音がする。コボにオを付けオコボとした。コッポリとも。東京ではボクリを促音化してボックリ。草履はジョジョという。「赤いベベ(着物)着てジョジョ履いて」 祇園ではジョジョハイタトトは牛肉のこと。「ジョジョハイタトト食べたいな」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
水を制する
海だった京都、水浸しの盆地の周縁部に人が住みつくようになったのは、遅くとも数万年前のことであるという。北西の沢ノ池遺跡では旧石器が発見されており、続く縄文時代には北東の北白川一帯から縄文式土器や石器が出土している。弥生時代に入ると湿潤な土地を利用した農耕地域が桂川流域や北白川、深草に広がり、大規模集落も点在するようになった。5世紀になると、大和の地は既に過密状態となり、フロンティアを目指す渡来系豪族や新進豪族が次々と山代(のち山背から山城)へと進出したということだ。

一説には、新羅から渡来したとされる秦氏は嵯峨野の太秦付近に本拠を置き、当時の先端技術で桂川にダム(葛野大堰)を築く。桂川は古来頻繁に氾濫を繰り返す暴れ川で、治水・利水が定住の要だった。秦氏はまた、養蚕・機織の技術を広め、殖産興業を巨富へとつなげていった。のちの長岡京・平安京造営の際には、多額の支援をし、古代京都開発の功労者となった。
一方、大和の葛城(奈良県西北部)にいた賀茂氏は盆地を北へと進み、鴨川上流域に住み着いた。賀茂は神の意とされ、古くから神事を司る氏族であった。鴨川という名の由来にもなったが、こちらは氾濫の少ない上流で川を制したということだ。
秦氏と賀茂氏、いずれにしても、水を制するものが山代を制すということか…今京都。(『京都のふしぎ発見』より)


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おやかまっさん しんせつに 2010/02/25 12:00 am
しんせつに
「親切に」の意味のほか、京ことばでは「大切に」の意味でも使用した。「シンセツニ使う」「シンセツニご飯を炊く」「シンセツニ掃除する」 室町時代語を集めた『日葡辞書』に、親切は「フカイタイセツ」とある。大切な、貴重なの意味でタイセツナイともいう。「こんなタイセツナイもんを長いことお借りしまして」 ダイジナイも「大事な」の意味で使う。「そんなダイジナイもんおくれやすのんか」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
地蔵物語(296)と羅漢



出張やらでちょっと時間がありませぬ。写真のみの掲載で堪忍しておくれやす。

「親切に」の意味のほか、京ことばでは「大切に」の意味でも使用した。「シンセツニ使う」「シンセツニご飯を炊く」「シンセツニ掃除する」 室町時代語を集めた『日葡辞書』に、親切は「フカイタイセツ」とある。大切な、貴重なの意味でタイセツナイともいう。「こんなタイセツナイもんを長いことお借りしまして」 ダイジナイも「大事な」の意味で使う。「そんなダイジナイもんおくれやすのんか」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
地蔵物語(296)と羅漢



出張やらでちょっと時間がありませぬ。写真のみの掲載で堪忍しておくれやす。

