ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2025 7月 » »
29 30 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 1 2
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - rrbさんのエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

天を仰いで思うこと テンキ 2010/09/12 12:00 am

ンキ
テンキという音で思い浮かぶのは、まず「天気」だろう。しかし、ここでは「転機」のお話。「人生の転機」というと、何か大きな出来事のように考えがちだ。だが、大きなことばかりが人生の転機なのだろうか…と考えた。大きな出来事が人生の転機となる可能性が高いことは当然だが、大きな出来事だけが人生の転機と考えるのは、いかがなものだろうか。どんな些細なことでも「人生の転機」になりうるのではないか…と考える。さらに、「人生の転機」とは、その時に「これが人生の転機だ」と分かるのだろうか。後に考え、気がついてみたら、「あぁ、あのことが人生のひとつの転機だったのかも…」というのが正直なところだろう。



自分の転機は…と考えると大学進学と就職であろう。結論的には行きたい大学に進学しなかったということだ。正しくは「行きたい大学に進学できなかった」ということだ。自分の名誉のために言うが、試験で落ちた訳ではない。なんとも呆れた裏話がそこにはある。自分の名誉のためにその事実を明かすことはやめておく。さらに就職。正直、就職には無頓着であった。大学に提出しなければならない求職票も提出していない状況だった。大学からの呼び出しはなかったが、たまたま廊下で出会った大学の人の言葉で現在に至っている。直ぐに思いつく内容ではこの2つだ。しかし、じっくり考えると中学校1年生の時の松本先生(仮名)との出会いが一番大きい。その話を少しだけ掲載しておこう。



松本先生は数学の先生で、初めての人事異動で我校に赴任。年齢的には26歳くらい。気の弱いオトナシイ先生で、授業の進行もオトナシすぎる。他の授業ではそんなに荒れなかったが、松本先生の授業だけは荒れた。といっても小学校5年生の時の荒れように比べたらオトナシイものだが…。松本先生は、その性格からか声が小さく、何を言ってるのかわからない。そのことが原因で授業が楽しくない。クラス一番のヤンチャ坊主が暴れ出した。「お前の教え方ではわからない」というような罵声を浴びせた。その一言から荒れた数学の授業へと変貌していったのだった。
「グチャグチャ言うんやったら、あんたが教えたら!?」というヤンチャ坊主に向けたクラスの優等生生徒の一言。
この一言が、結果的にあらぬ方向に進むことになった。

「おらぁ、わからん。わからんからできん」とヤンチャ坊主。
「だったら静かにしといたら?」と優等生生徒。
負けん気の強いヤンチャ坊主の「そんなこと言うんやったら、お前が教えてみぃな」との応戦の言葉。
「自分にも無理」と優等生生徒。
「そんなら人に言うな」とヤンチャ坊主。
「自分には無理やけど、○○さんはできるんとちゃう?」と、いきなり人に振ってくる優等生生徒。もともとこの優等生生徒とはあまり仲が良くなかったので、意地悪な無茶ブリ。この優等生生徒の無茶ブリに『何考えてるねん!?』と思いながらも自分の口から出た言葉に自分でもビックリ。
「今日は無理。次回からだったら大丈夫」 こんなことを言ってしまう自分にビックリだ。しかし、二言はない。次の時間からはしっかりと教鞭をとった。ドキドキだったが、なんとかできた。クラスのみんなも「わかりやすい」と褒めてくれた。松本先生にあっては「こうして教えればいいんだ…」という始末。まぁ、こうして荒れたクラスは落ち着きを取り戻していった。



別に数学が得意というわけでもなかったが、このことがキッカケに他の教科もドンドン成績がのびていった。小学校まで下から数えたほうが早いくらいの成績であったのが、一気に上昇。クラスでも学年でも上から数えたほうが早いくらいだ。この成績は高等学校卒業まで続いた。松本先生との出会い、優等生生徒の無茶ブリ。このキッカケにより勉強の仕方を学んだ。今でもその勉強の仕方が活かされている。大学進学よりもこちらのほうが「転機」だろう。

さて、自分のことはこれくらいにしておいて…と。
結論、進学や就職、結婚や離婚、あるいは病気などが「人生の大きな曲がり角」であることは論を俟たないが、日常生活のありふれたことが、転機になることも少なくない。一冊の本で考え方や生活が変わるのもひとつの転機だし、新聞の広告による何かの講座を受講するのもひとつの転機。
しかし、人生の転機となるキッカケは、やはり「人」が関係している。人生を振り返ると、出会った人により、なんらかの影響を与えられている。数々の出会いがあり、別れもある。これからも色々な人と出会うだろうし、様々な影響を与えられるだろう。人との出会いも含めて全ての出会いに感謝するとともに、自分も人にいい影響(転機)を与えられるような存在であれば…と、天を仰いで思うこと。


 

このエントリーの情報

今京都 内裏の歴史 2010/09/11 12:00 am

裏の歴史
平安京が都であるのはそこに天皇の居所(内裏)があったからに他ならない。現代からみると重厚・不動の印象が強いが、市街の推移と同様に、そこにも流転が常という長い歴史があった。



960(天徳4)年以降、内裏はたびたび焼失の憂き目をみた。976(貞元1)年の火災時には時の円融天皇が1年間太政大臣・藤原兼通邸に住居し(堀川殿)、そののち災厄に見舞われるたびに摂関家などに仮の内裏が設けられた。これを里内裏(さとだいり)といい、白河天皇以降は里内裏事実上の皇居となっていく。本来の内裏は1227(安貞1)年に焼失して以降再建されず、1331(元弘1)年に光厳天皇が即位した土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)が里内裏と定まった。



その里内裏もまた幾度となく焼失を繰り返し、そのたびに時の権力者に頼らざるを得なかった。今の御所の祖型は、1790(寛政2)年、裏松固禅裏松固禅老中松平信が裏松固禅(光世)の『大内裏図考証』に従い、承明門・紫宸殿・清涼殿などを平安時代の形式で復元再興して成った。1854(安政1)年にも焼失するが、翌1855(安政2)年には寛政期と同規模で再建され、今日まで姿を留める。



紫宸殿前の植樹といえば、右近の橘・左近の桜がセットのようだが、平安建都時には桜ではなく左近の梅だった。いつからそれが桜に変わったかは不明だが、『古事談』(鎌倉初期)によれば960(天徳4)年に内裏が焼けたあと、醍醐天皇の第四皇子重明親王(906〜954)邸にあった桜を移植したとある…今京都。(『京都のふしぎ発見』より)


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと 猛暑 2010/09/07 12:00 am


長い出張がようよう終わった。休みなく日常の生活になっている。なんと酷使されていることか…この暑い中。暑いといえば、連日のように各地で最高気温を記録している。



「30年に一度の異常気象」という見出しの記事を新聞で見たのは9月4日のこと。記事によると、名古屋では36.8度で49年ぶりの9月の最高気温ということだった。その名古屋に9月4・5日と滞在していた。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

5日の夜に京都に帰ったが、京都駅界隈が異常に暑い。いつもの暑さとどこか違う。それもそのはずだ。京都では39.9度を記録したとのことだ。この39.9度は全国で今年最高気温だと。さらに、この温度は9月の国内最高気温を10年ぶりに更新したことになるという。全国921観測地点中128地点で35度以上の猛暑日、653地点で30度以上の真夏日となった、とのことだ。まるで最高気温を追いかけるように日本列島を移動していたようだ。



さて、この異常な猛暑が地球温暖化の影響ならば、「10年ぶり」や「30年に一度」や「49年ぶり」というのは、もうない。次の発生は「近いうち」ということになる。つまり、30年や49年という「悠長なことを言っておられない」ということではないだろうか。来年もこのような暑さになる可能性もあるということだ。人類が作ってしまった「地球温暖化」というツケはそのまま人類に跳ね返る。自動車使用禁止日などを設定していけば少しはマシになるかもと考えるが、快適空間に慣れ親しんでしまった人類にとって「我慢」は酷なことだろう。今からでも遅くない、少しでも地球温暖化防止にできることをしていこう、と考えるが、流石にこの暑さには耐えられない。こうして地球温暖化を防止するどころか、加速させてしまう行為をとってしまう。されば、この暑さも受け入れなければならない。因果応報だ…と、天を仰いで思うこと。


 

このエントリーの情報

今京都 市街の推移 2010/08/29 12:00 am

街の推移
前回の摂政関白から随分とあいてしまったが、続き。



右京はもともと池や沼が点在する低湿地だった。そのため水害や疫病が多発し、100年も経たず住む人(主として貴族)も稀な地へと変貌した。平安中期の学者・慶滋保胤(よししげのやすたね)は『池亭記』のなかで、「人は去ることありても来ることなく、屋は壊るることありても造ることなし」と書いている。水辺の景勝から別荘地としては生き残ったが、日常住居には適さなかった。対して左京は順調に発展を続けた。人家が増えるに伴い、市街は北と東に拡張し、都心部も移動した。もはや羅城門、朱雀大路のラインは都市の中心軸でなくなり、代わって西洞院大路が南北の大通りとして活況を呈するようになった。東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)のさらに東に東朱雀大路、北は一条大路を越えて武者小路、北小路、毘沙門大路が造られた。



長安城と呼ばれた右京市街の衰退とともに、左京を指す洛陽城のみが残り、平安京すなわち「洛陽」「京洛」という表現が一般化していった。
東へ伸張する市街は鴨川を越えてさらに広がった。1077(承暦1)年、白河天皇は岡崎の地に法勝寺を建立した。寺にそびえる八角九重塔は80mを越す高さがあったと伝えられる。
以後、岡崎に天皇や皇族が六寺院を建立し、いずれも勝の字がつくことから六勝寺と総称される。院政時代に隆盛を極めたが、13〜14世紀に全て消滅した。
この地には白河上皇が建てた白河殿(院御所)もあった。南殿は岡崎公園辺り、北殿は熊野神社付近とされる。これより東部開発は一層拍車がかかり、鴨川の東に広大な新地が誕生した。



藤原氏の勢力を排除し、院政を始めた白河上皇のバイタリティーは東部開発にとどまらず南へも向けられた。1087(寛治1)年には羅城門より約3km南(現在の城南宮付近一帯)に「水閣」とうたわれた鳥羽殿を造営。貴族たちも争って近くに別荘を営んだことから「まるで都遷りのようだ」と噂された。
いずれにしても、右京の衰退、左京の繁栄という世移りがそこにはあった…今京都。(『京都のふしぎ発見』より)
★関連記事はここ(←クリック)

※数日間の主張にでます。9月6日の週から再開できる予定です。


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと 山形 2010/08/28 12:00 am


先日の強行予定のお話。
京都(8時) → 品川 → 羽田 → 庄内 → 目的地 → 庄内 → 羽田 → 品川 → 京都(23時)
という行程であった。往復の移動時間は約10時間強。5人のプレゼンを拝見し、少しの時間だが意見交換をさせていただいた。
正直、今回のプレゼンの内容は、5人中4人のが、あまりよくなかった。言葉を濁さずに表現するとしたら「最低」となる。取り扱っている内容は、決して悪くない。むしろ、日帰りの行程でも聞きたいと思ったものだ。内容は悪くないのだが、プレゼンがよくない。パワーポイントの作り方が好ましくない。また、説明内容もパワーポイントに掲載しているものを読むだけという表現が相応しいものだったと言える。大学の先生方のプレゼンであるだけにショックが大きい。今まで見た大学の先生方のとは雲泥の差だ。最高学府の大学で教鞭をとる教員のプレゼンゆえに心配がある。この先生方に教わっている学生たちはこのプレゼンでいいと勘違いしてしまわないだろうか、と心配になる。



本来、ブログでこういう非難めいたものを掲載したくないのが本意であるが、それだけのものだったということを推察して欲しい。言いたいのは、取り上げている内容は決して悪いものではないし、つまらないものでもない。それだけに、パワーポイントの作り方が悔やまれるということだ。
この経験は、仕事柄、自分もプレゼンはよくするので十分に役に立つ。自己反省につながったのは事実だ。造った側はしたり顔になってしまいやすい。今後も、注意していきたい。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

さて、滞在時間が数時間というものだったが、山形の気候は思ったより涼しくなかった。夕刻の外気温は27℃。京都と変わらない温度である。秋の風情がもっと感じられるかと期待していたが、そうでもない。この認識の甘さは相変わらずだと自己反省。ただし、ススキの穂が開いているのがチラチラ。京都ではまだこの光景は見ていない。処暑とはいえ、まだまだ夏だと思った。
そんな中、昨日のことであるが、先日のツクツクボウシとは別に夕刻から秋を感じる雰囲気が漂っていた。見上げた空の色や雲の形が秋の雰囲気であった。暗くなって東に昇ってきた月も秋の雰囲気である。



秋は、夕暮。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず

とは、清少納言の「枕草子」。解釈は、

秋は、夕暮れの時刻がよい。夕日が差して、山の端がとても近く見えているところに、からすが寝どころへ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽などと、飛び急ぐ様子さえしみじみとものを感じさせる。ましてや雁などが連なって飛んでいるのが小さく見えている様は、とても趣深い。日が沈みきって、風の音、虫の音など、聞こえてくるさまは、またいいようがない

ということだが、本当にうまく表現されている。これだけの文才が自分にもあったら、もっと人生が変わっていただろうに…と、天を仰いで思うこと。


 

このエントリーの情報

ページナビゲーション

« 1 ... 231 232 233 (234) 235 236 237 ... 412 »

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop