rrbのブログ - 2016/05のエントリ
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今京都 哲学の道を歩く 2016/05/19 12:00 am
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今京都 地蔵物語 2016/05/18 12:00 am
久々のお地蔵さんかな…。自転車でも見過ごしてしまうくらい、あちこちにあるのがお地蔵さん。京都の町のひとつの特徴だ…という今京都。
《京都・西陣界隈》
《京都・西陣界隈》
明日から出張?
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今京都 こんな狛も…ある 2016/05/17 12:00 am
大豊神社(おおとよじんじゃ)には、他に、火伏せの狛鳶(とび)の愛宕社、鬼門除けの狛猿の日吉社、商売繁昌のお稲荷さんもお参りできる…という今京都。
《京都・左京区鹿ケ谷・大豊神社》
《京都・左京区鹿ケ谷・大豊神社》
ちょっとピントが甘い? ここ、もう一度のんびりと行こうね
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今京都 大豊神社(おおとよじんじゃ) 2016/05/16 12:00 am
大豊神社は、狛犬ならぬ狛ネズミがある小さな神社。この神社は、889年に宇多天皇の病気平癒の祈願のために創建された、古い歴史のあるお社。狛ネズミがつくられたのは、ずっと新しく1969(昭和44)年のこと。大国主命(おおくにぬしのみこと)が野火に囲まれ困っているとき、ネズミが洞穴に導いて命を救ったという『古事記』の記述に依っている。
全国にある約8万社の神社のうち、狛ネズミがあるのはここだけ。実際に行ってみると、大豊神社は東山の住宅地にある小さな神社で、狛ネズミ以外にとくに見所があるわけではない。それでも狛ネズミの愛らしい姿を見ると、満足するから不思議だ。
向かって右のネズミは雄で、学問を象徴する巻物を持っている。学業成就のご利益があるとされている。
向かって左のネズミは雌で、万物の根源である水玉を抱えている。あるいは、お神酒を抱えているとか、子宝をはぐくんでいるという説もある。また、無病息災のご利益があるとされている…という今京都。
《京都・左京区鹿ケ谷・大豊神社》
全国にある約8万社の神社のうち、狛ネズミがあるのはここだけ。実際に行ってみると、大豊神社は東山の住宅地にある小さな神社で、狛ネズミ以外にとくに見所があるわけではない。それでも狛ネズミの愛らしい姿を見ると、満足するから不思議だ。
向かって右のネズミは雄で、学問を象徴する巻物を持っている。学業成就のご利益があるとされている。
向かって左のネズミは雌で、万物の根源である水玉を抱えている。あるいは、お神酒を抱えているとか、子宝をはぐくんでいるという説もある。また、無病息災のご利益があるとされている…という今京都。
《京都・左京区鹿ケ谷・大豊神社》
狛が話しかけてきそうな雰囲気だね
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今京都 哲学の道 2016/05/12 12:00 am
京都・東山の麓に哲学の道と呼ばれる絶好の散策スポットがある。南は永観堂の北東方向の若王子神社あたりから始まり、北は銀閣寺まで続く疎水に沿った散歩道。
京都疎水は明治時代の京都の一大事業として作られた人工の水路。南禅寺の水路閣も疎水の水を流すために作られたもの。哲学の道に流れている疎水は大津で取水されたあと長いトンネルを経て蹴上(けあげ)に到達。蹴上から分水して北上する疎水が南禅寺水路閣を経て哲学の道に流れている。
哲学の道は、疎水の西側に散歩用の石畳が敷かれ、日本の道百選にも選ばれている散歩には最適の道。南禅寺から銀閣寺に至る疎水は、桜がたくさん植えられ春は桜、秋は紅葉で散歩する人を和ませてくれる。
京都の哲学者、西田幾多郎がこの道を思索にふけりながら散歩していたことから「思索の小径」と言われていた。その後、西田幾多郎の愛弟子田辺元や三木清らも好んでこの道を散策したことからいつしか「哲学の道」とも言われるようになり、1972年に正式に「哲学の道」と銘々された。
哲学の道のなかほど、法然院のそばには西田幾多郎が詠んだ歌「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」が石碑に刻まれている…という今京都。
《京都・哲学の道》
京都疎水は明治時代の京都の一大事業として作られた人工の水路。南禅寺の水路閣も疎水の水を流すために作られたもの。哲学の道に流れている疎水は大津で取水されたあと長いトンネルを経て蹴上(けあげ)に到達。蹴上から分水して北上する疎水が南禅寺水路閣を経て哲学の道に流れている。
哲学の道は、疎水の西側に散歩用の石畳が敷かれ、日本の道百選にも選ばれている散歩には最適の道。南禅寺から銀閣寺に至る疎水は、桜がたくさん植えられ春は桜、秋は紅葉で散歩する人を和ませてくれる。
京都の哲学者、西田幾多郎がこの道を思索にふけりながら散歩していたことから「思索の小径」と言われていた。その後、西田幾多郎の愛弟子田辺元や三木清らも好んでこの道を散策したことからいつしか「哲学の道」とも言われるようになり、1972年に正式に「哲学の道」と銘々された。
哲学の道のなかほど、法然院のそばには西田幾多郎が詠んだ歌「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」が石碑に刻まれている…という今京都。
《京都・哲学の道》
ここは蛍でも有名。もう少ししたら蛍も飛ぶね