rrbのブログ - rrbさんのエントリ
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◆◆なう 地震の記憶 2016/02/22 12:00 am
もう20年以上も前のことであるが、1995(平成7)年1月17日5時46分52秒、それは突然やってきた。淡路島北部の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、M7.3の地震が発生。死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名と戦後に発生した地震災害としては東日本大震災に次ぐ規模であり、戦後に発生した自然災害では、犠牲者の数で伊勢湾台風の5,098人を上回った。東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。
神戸港震災メモリアルパークは、阪神淡路大震災によって被災したメリケン波止場の一部(岸壁60m)をそのままの状態で保存し、見学できるように整備した公園である。忘れたいけれど忘れてはいけない、忘れられてはいけないけれど忘れたい。矛盾するが、次の大事があったときの教訓としてはとても大切なことである。確かに爪痕のひとつではあるが、その光景はとても優しいものであり、当時の被害状況を想像させるものではないと感じてしまう。これが《風化》ということか…という神戸なう。
《神戸》
神戸港震災メモリアルパークは、阪神淡路大震災によって被災したメリケン波止場の一部(岸壁60m)をそのままの状態で保存し、見学できるように整備した公園である。忘れたいけれど忘れてはいけない、忘れられてはいけないけれど忘れたい。矛盾するが、次の大事があったときの教訓としてはとても大切なことである。確かに爪痕のひとつではあるが、その光景はとても優しいものであり、当時の被害状況を想像させるものではないと感じてしまう。これが《風化》ということか…という神戸なう。
《神戸》
嫌なことほど記憶に残るが、そこから次のステップへ行かなければ…ね
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◆◆なう バブル 2016/02/15 12:00 am
バブル経済やバブル景気などで使われる「バブル」。カタカナなので当然「外来語」である。これを大和言葉では何というか。
泡沫(うたかた)である。水に浮く泡を指し、そこから、はかなく消えやすいものに対する表現となった。古くは『方丈記』にその記述がある。どこにあるかって? 冒頭の部分だよ。みんなが暗記しているであろう「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の次だ。「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」。そして「世中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし」と続く。
意味は、「川の流れは、とどまる事はない。しかも、流れる水は同じ水ではない。水の淀みに浮かぶ泡沫(うたたか)は、消えてはまた現れ、永遠にそこに存在するものではない。人の世の中も同じようなもので、富貴名誉享楽とかいったものは、その場限りのものである」と、まぁ、多少、意訳したが、一言でいうならば、「万物は常に変化し続け、変わらないものはない」という意味だ…という神戸なう。
《神戸》
泡沫(うたかた)である。水に浮く泡を指し、そこから、はかなく消えやすいものに対する表現となった。古くは『方丈記』にその記述がある。どこにあるかって? 冒頭の部分だよ。みんなが暗記しているであろう「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の次だ。「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」。そして「世中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし」と続く。
意味は、「川の流れは、とどまる事はない。しかも、流れる水は同じ水ではない。水の淀みに浮かぶ泡沫(うたたか)は、消えてはまた現れ、永遠にそこに存在するものではない。人の世の中も同じようなもので、富貴名誉享楽とかいったものは、その場限りのものである」と、まぁ、多少、意訳したが、一言でいうならば、「万物は常に変化し続け、変わらないものはない」という意味だ…という神戸なう。
《神戸》
ふ〜ん、「もとの水にあらず」までしか覚えてないや
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◆◆なう 嫉妬・羨望 2016/02/08 12:00 am
人は生きていくうえで、つい誰かに嫉妬してしまうことや、羨望の気持ちを抱くことがある。嫉妬と羨望は、どちらも他人をうらやましく思い、他人と同じようにできない自分を否定的にみる気持ちのことだ。しかし、違いはある。嫉妬と羨望はどう違うのか?
嫉妬には、相手のマイナス面ばかり見て、「悔しい」「癪だ」という気持ちを憎悪にまで発展させる感情がある。羨望には、相手のプラス面もとらえて、「自分もそうなりたいなぁ」とうらやましく願う感情がある。もし、自分の中に誰かに対して「うらやましい」「悔しい」、あるいは「自分より劣っているくせに、自分より優遇されるなんて…」といった感情を抱いてしまったら、どうすればいいのだろうか。
まず、しなければならないことは、今抱いている気持ちをじっくり見つめることだ。次にそれが変えられることなのか、変えられないことなのかを見極める。たとえば、年齢を重ねることや天気や天災などは自分の力ではコントロールできない。しかし、年齢を重ねながらも健康的な生活を心がけ、若々しくいることはできる。天気や天災にそなえて準備することや、対策を考えておくことはできる。自分に降りかかる出来事を自分の力で変えられなくても、その出来事にどう取り組むのかは、自分の力で変えることができる。その出来事をどう感じるのかは自分の心ひとつで決められる。
自分の力では変えられないものを受け入れるという平静な心をもつこと。自分の力で変えられるものを「変えよう」とする勇気をもつこと。嫉妬や羨望の気持ちが湧いてきてたら、これらを大切にしなければならない、とアドラー心理学はのべている。
ここにも《事実を確認する》ことの重要性が基盤としてある…という神戸なう。
《神戸》
嫉妬には、相手のマイナス面ばかり見て、「悔しい」「癪だ」という気持ちを憎悪にまで発展させる感情がある。羨望には、相手のプラス面もとらえて、「自分もそうなりたいなぁ」とうらやましく願う感情がある。もし、自分の中に誰かに対して「うらやましい」「悔しい」、あるいは「自分より劣っているくせに、自分より優遇されるなんて…」といった感情を抱いてしまったら、どうすればいいのだろうか。
まず、しなければならないことは、今抱いている気持ちをじっくり見つめることだ。次にそれが変えられることなのか、変えられないことなのかを見極める。たとえば、年齢を重ねることや天気や天災などは自分の力ではコントロールできない。しかし、年齢を重ねながらも健康的な生活を心がけ、若々しくいることはできる。天気や天災にそなえて準備することや、対策を考えておくことはできる。自分に降りかかる出来事を自分の力で変えられなくても、その出来事にどう取り組むのかは、自分の力で変えることができる。その出来事をどう感じるのかは自分の心ひとつで決められる。
自分の力では変えられないものを受け入れるという平静な心をもつこと。自分の力で変えられるものを「変えよう」とする勇気をもつこと。嫉妬や羨望の気持ちが湧いてきてたら、これらを大切にしなければならない、とアドラー心理学はのべている。
ここにも《事実を確認する》ことの重要性が基盤としてある…という神戸なう。
《神戸》
人間には感情があり、それが喜怒哀楽をつくる。だから人生は楽しいのだろうね
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◆◆なう 最悪の事態はない 2016/02/01 12:00 am
人間関係のトラブルに遭遇すると、そのことにとらわれすぎ、夜も眠れなくなることがある。その理由は、「このままだと取り返しのつかないことになるのではないか」「もう最悪の事態だ」と、ドンドン悪いことに《妄想》を膨らませてしまうからである。
理解したいのは、《これらは、妄想に過ぎない》ということだ。仮に、妄想に近いことが現実に起こったとしても、最悪の事態になることはまずない。厳しい現実に直面したとしても、それで命をとられる確率はほとんどない。さらに起こった事態は、思考でコントロールできるものは何もない。
つまり、現実に任せておくしかなく、「最悪の事態はまずない」「命を取られることはない」と、究極の開き直りしかなく、事実だけを確認する冷静な自分をもちたい…という神戸なう。
《神戸》
理解したいのは、《これらは、妄想に過ぎない》ということだ。仮に、妄想に近いことが現実に起こったとしても、最悪の事態になることはまずない。厳しい現実に直面したとしても、それで命をとられる確率はほとんどない。さらに起こった事態は、思考でコントロールできるものは何もない。
つまり、現実に任せておくしかなく、「最悪の事態はまずない」「命を取られることはない」と、究極の開き直りしかなく、事実だけを確認する冷静な自分をもちたい…という神戸なう。
《神戸》
やっぱり事実だという証拠が重要だね
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◆◆なう 大和言葉(やまとことば) 2016/01/25 12:00 am
夢はいまもめぐりて 忘れがたきふるさと ♪
唱歌「ふるさと」は、日本人の心に染みる。その理由のひとつとして、歌詞のすべてが大和言葉であることが指摘されている。大和言葉とは、太古の昔に創り出された日本固有の言葉であり、あるいは、その伝統の上に生まれた言葉である。「山」「川」「夢」「ふるさと」、すべて大和言葉である。
日本語の単語は、漢語と外来語と大和言葉の3種類がある。漢語は中国から取り入れられた言葉で「山地」「河川」などである。漢字の読みで言えば、音読みで発音されるのが漢語となり、訓読みとなるのが大和言葉である。外来語は中国以外から来た言葉で、多くはカタカナ表記となっている。
本とか論文などの冒頭に使われている「はじめに」。「はじめに」は大和言葉であり、同じ意味の漢語は「開始」、同じく外来語は「スタート」となる。
大和言葉が日本人の心に染みるのは、日本の風土の中で生まれた言葉だからだ。
たとえば、「地面が盛り上がったところ」は、先祖たちにとって「や」「ま」という2つの音で表すのが一番しっくりきたのだろう。だから「やま」になった。つまり、大和言葉の一音一音が先祖たちの感性の投影である。もうひとつたとえば、「ふるさと」は、同じ意味の漢語は「故郷(こきょう)」である。漢語の「故郷」はその単語をひとつのユニットとして認知し、意味を理解するが、大和言葉の「ふるさと」は、「ふ」「る」「さ」「と」の一音一音が心に響くのである。冒頭の「ふるさと」の歌詞の最後の部分を「故郷(こきょう)」にしてみると、響きの違いがよくわかる。
このように大和言葉には、「心に染みる」特性があるといえる…という神戸なう。
《神戸》
言葉の乱れは生活の乱れ。優雅な言葉づかいができると素敵だね