rrbのブログ - 天を仰いで思うことのエントリ
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天を仰いで思うこと 天は二物を与えずの「二物」 2017/07/07 12:00 am
広辞苑によると「一個の人間は、そう幾つもの才能や長所を持っているものではない」ということだ。ここでいう「物」は才能や資質のこと。「美しい顔の持ち主は、えてして性格が悪い」「頭がよくても金儲けの才能はない」等のことをいう。
なかには、「天は二物は与えないが、一物は与える」と誤解している人もいるようだが、「ほとんどの人に一物さえ与えない」のが厳しい現実という説も。
そうは言っても、「二物」って何?という話になる。こういうこだわり話をするのが好きな人がウチの職場にはいる。その人曰く、たとえば「スタイルはバツグンなのに、顔はブス」という場合には使えない? 「性格もスタイルもいいのに顔はブス」という場合にも使えない? 「仕事はできるけど、背が低くて、スタイルもたいしたことなくて、男勝り」という場合には使えない? としつこいくらいいじってくる。無視が一番なんだが、すねさせると厄介。で、いつものようにバトル。仲が良いのか悪いのか、よーわからん…と、天を仰いで思うこと。

なかには、「天は二物は与えないが、一物は与える」と誤解している人もいるようだが、「ほとんどの人に一物さえ与えない」のが厳しい現実という説も。
そうは言っても、「二物」って何?という話になる。こういうこだわり話をするのが好きな人がウチの職場にはいる。その人曰く、たとえば「スタイルはバツグンなのに、顔はブス」という場合には使えない? 「性格もスタイルもいいのに顔はブス」という場合にも使えない? 「仕事はできるけど、背が低くて、スタイルもたいしたことなくて、男勝り」という場合には使えない? としつこいくらいいじってくる。無視が一番なんだが、すねさせると厄介。で、いつものようにバトル。仲が良いのか悪いのか、よーわからん…と、天を仰いで思うこと。

天ときたから七夕ネタかと思ったけど、二物ね
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天を仰いで思うこと 集中力 2017/06/30 12:00 am
過日、テレビで集中力を鍛える方法というものをやっていた。一つは、鏡を置く。たとえば、仕事の机の上に鏡を自分の顔が写るように置く。鏡の自分と目があったら集中していないということ。もう一つは、25分間。25分間集中したら5分休憩。この2つを同時にすればいいとのこと。
早速やってみた。
鑑の自分とは目が合わないが、25分は短すぎ。25分なんてあっという間に過ぎる。それでも無理矢理5分は休憩するようにしたが、無理。休憩にならないし、ホンマに短すぎる。
で、結局、25分間のほうは採用せず、鏡だけを現在も継続中。ホンマに集中力がアップしたのだろうか…と、天を仰いで思うこと。

早速やってみた。
鑑の自分とは目が合わないが、25分は短すぎ。25分なんてあっという間に過ぎる。それでも無理矢理5分は休憩するようにしたが、無理。休憩にならないし、ホンマに短すぎる。
で、結局、25分間のほうは採用せず、鏡だけを現在も継続中。ホンマに集中力がアップしたのだろうか…と、天を仰いで思うこと。

どうだろうね、結構、もうこんな時間?と言ってるやん。
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天を仰いで思うこと 文章題の非現実性 2017/06/23 12:00 am
先日、小学校算数の文章題を目にすることがあり、見ていて気づいたことがある。
それは、算数の「文章題」は、本来ならば、「たす」とか「ひく」とかの演算操作の本当の意味を、現実の問題状況のなかで考えさせるというところに主眼があるべきではないか。ところが多くの場合「文章題」の文章は、日常用いる文章とは異質の、いかにも奇妙な文章であり、まともに「文章から意味を引き出そう」などと考えるとわけがわからなくなる。「文章題」とは「答えの出し方」という儀式(計算のしかた)が決まっていて、どの儀式を取り行うべきかを決めるKEY WORDが必要最小限に埋め込まれた「文章」ということだ。つまり、文章題の非現実性ということだ。
たとえば、「あめが7つあります。4つもらうと、ぜんぶでいくつになりますか?」という問題。この文章で、まず「もらう」という語でひっかかる。「もらう」という言葉は誰かが誰か他の人から「もらう」ということだが、この文章には登場する人物が全くいない。さらに最初の「あめが7つあります」は、ただそこにあるだけなのか、それとも誰かの所有物なのかわからない。そのあとに「ぜんぶ」という語がでてきても、はじめの7つとあとの4つを合計してよいのかどうかも判断つかない文章である。
学校では、「答えを出す」ということを、何かしら「正しい手順」に従ってとり行う儀式のように考えてしまいがちなのかもしれない。授業では、どういう種類の「問題」のときは、どのような「答えの出し方」に従った儀式をとりおこなうべきか、まずその模範を「例題」で示す。例題では儀式の執行にあたっての注意すべきところが説明され、そのあとは「応用問題」や「演習問題」で、儀式の練習をする。
先の文章を考えた人は、「もらう」を「たす」という儀式と結びつけ、「たす」という儀式を執り行わせようとすることだけに意識が向き過ぎ、その場の状況はどうでもよい文章としてしまっているのではないか。せめて、「花子さんはアメを7つ持っています。おばあさんからアメを4つもらいました。花子さんは全部でいくつのアメを持ちましたか?」くらいにしても罰は当たらんのでは…と、天を仰いで思うこと。

それは、算数の「文章題」は、本来ならば、「たす」とか「ひく」とかの演算操作の本当の意味を、現実の問題状況のなかで考えさせるというところに主眼があるべきではないか。ところが多くの場合「文章題」の文章は、日常用いる文章とは異質の、いかにも奇妙な文章であり、まともに「文章から意味を引き出そう」などと考えるとわけがわからなくなる。「文章題」とは「答えの出し方」という儀式(計算のしかた)が決まっていて、どの儀式を取り行うべきかを決めるKEY WORDが必要最小限に埋め込まれた「文章」ということだ。つまり、文章題の非現実性ということだ。
たとえば、「あめが7つあります。4つもらうと、ぜんぶでいくつになりますか?」という問題。この文章で、まず「もらう」という語でひっかかる。「もらう」という言葉は誰かが誰か他の人から「もらう」ということだが、この文章には登場する人物が全くいない。さらに最初の「あめが7つあります」は、ただそこにあるだけなのか、それとも誰かの所有物なのかわからない。そのあとに「ぜんぶ」という語がでてきても、はじめの7つとあとの4つを合計してよいのかどうかも判断つかない文章である。
学校では、「答えを出す」ということを、何かしら「正しい手順」に従ってとり行う儀式のように考えてしまいがちなのかもしれない。授業では、どういう種類の「問題」のときは、どのような「答えの出し方」に従った儀式をとりおこなうべきか、まずその模範を「例題」で示す。例題では儀式の執行にあたっての注意すべきところが説明され、そのあとは「応用問題」や「演習問題」で、儀式の練習をする。
先の文章を考えた人は、「もらう」を「たす」という儀式と結びつけ、「たす」という儀式を執り行わせようとすることだけに意識が向き過ぎ、その場の状況はどうでもよい文章としてしまっているのではないか。せめて、「花子さんはアメを7つ持っています。おばあさんからアメを4つもらいました。花子さんは全部でいくつのアメを持ちましたか?」くらいにしても罰は当たらんのでは…と、天を仰いで思うこと。

突然、どないした? もしかして学校教育に興味を持った?
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天を仰いで思うこと 偶然のGitanes(ジタン) 2017/06/16 12:00 am
過日、 ジタン (←クリック)を取り上げた。な、なんと、先日お友達と行った炉端風居酒屋でこのジタンを吸っている人の隣に座った。あるんだね〜こんな偶然。
庄野真代さんの『飛んでイスタンブール』にある
♪ あの日しゃれたグラス 目の前にすべらせて くれただけ… ♪
みたいなシーンはなかったが、いい香り! 吸っている人は渋めな感じで、悪くない<と、やや上から目線(^^)
この香り、確かに賛否は別れる気がする。けど、嫌な香りではない。好きだと思った。
香りを味わいながら、日本酒をいただく。この香りに日本酒は合わないかも…と思ったが、ちょっと吸っている気分を味わいながら…日本酒。意外とイケル!
しゃべり口調もいつもと違ったようだ。お友達が「どないした?」と顔を覗き込む。
「この匂い…」
「んっ? ジタンやね」
「なんで知ってる!?」
「大人の事情…」
なんとも謎の多いお友達。つきあいは長いが未知がいっぱい。そのうち素っ裸にしてやる…と、天を仰いで思うこと。

庄野真代さんの『飛んでイスタンブール』にある
みたいなシーンはなかったが、いい香り! 吸っている人は渋めな感じで、悪くない<と、やや上から目線(^^)
この香り、確かに賛否は別れる気がする。けど、嫌な香りではない。好きだと思った。
香りを味わいながら、日本酒をいただく。この香りに日本酒は合わないかも…と思ったが、ちょっと吸っている気分を味わいながら…日本酒。意外とイケル!
しゃべり口調もいつもと違ったようだ。お友達が「どないした?」と顔を覗き込む。
「この匂い…」
「んっ? ジタンやね」
「なんで知ってる!?」
「大人の事情…」
なんとも謎の多いお友達。つきあいは長いが未知がいっぱい。そのうち素っ裸にしてやる…と、天を仰いで思うこと。

謎めいてるお友達…魅力的やん
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天を仰いで思うこと 正式な梅雨入り宣言 2017/06/09 12:00 am
先日、テレビで「正式な梅雨入り宣言はいつか?」ということを語っていた。9月だそうだ。つまり、「今年の梅雨入りは○月○日だった」という振り返り発表が正式なものとのことだ。
6月の発表は、あくまでも予想。梅雨入り宣言はするが、それは予想。だから梅雨入り宣言後に1週間快晴とかはあっても仕方のないことなんだって。
天気予報の意外なことのひとつだ…と、天を仰いで思うこと。

6月の発表は、あくまでも予想。梅雨入り宣言はするが、それは予想。だから梅雨入り宣言後に1週間快晴とかはあっても仕方のないことなんだって。
天気予報の意外なことのひとつだ…と、天を仰いで思うこと。

当たって当たり前、外れて文句を言われる代表が天気予報かな