rrbのブログ - 天を仰いで思うことのエントリ
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天を仰いで思うこと にっちょ 2009/09/09 12:00 am
にっちょ
日曜日をニッチョと発音することがある。「今日、耳ニッチョ、聞こえまへん」というのは、都合の悪いことほ依頼されたり詰問されたりしたときの返事。耳が日曜日とは、耳がお休みで、頼み事はお断り、聞く耳をもたないこと。府庁をフチョ、校長をコーチョのようにチョーをチョと短く言うのも京都人の発音傾向であった。ニチヨービのヨーを高く発音するのは京都市中央部の人のアクセント。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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天を仰いで思うこと

9月になり、日中の暑さはともかく、朝夕はとても過ごしやすくなった。熱帯夜という言葉とは来年の夏まで出会うことはないだろう。夏の思い出といえば、夏祭り。夏祭りといえば、夜店。花火大会にしても神社の縁日にしても、欠かせないのが夜店。さて、その夜店の人気ベスト3は、「たこ焼き」「焼きそば」「お好み焼き(広島焼きを含む)」だそうだ。確かにどこに行ってもこの3店はある。かたや、姿を消していく夜店もある。最近ではあまり見ない「かるめやき」なんかがそうだという。夜店に関して、何か法則でもあるのか…と、気になり、少し調べた。

あった、あった。まず、綿あめ(綿菓子)は一番端っこに店を構える。神社などの場合、本殿に向かって右側の列のほうが売り上げがよい。カキ氷のシロップの一番人気はマンゴーで、二番人気は抹茶。などなど。
綿あめ(綿菓子)が一番端っこに店を構える理由は、周りに飛ぶと他の縁日屋台に迷惑をかけてしまうということと、お土産で買っていく人が多いからということから。隣の店にも気をつかうところなどは微笑ましい。売り上げに関しては、神社などは、何故か左側通行。そのため、本殿に向かって左列はこれから参拝に行く人が多いから、売り上げもイマイチ。確かに参拝を済ませてからのほうが、気兼ねなく買える。カキ氷については、自分としては抹茶が好きだ。さて、少し話はそれるが、このカキ氷にも関東風と関西風がある。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
その違いは見た目で明らかにわかる。関西風はカキ氷の上からシロップをかける。関東風はシロップの上にカキ氷をのせる。つまり、関西風は器にカキ氷をのせ、それからシロップをかける。関東風は器にシロップを入れ、その上にカキ氷をのせる。この違いがある。関東風では、夏の暑いときに味の濃い氷より、氷そのものの味を味わい、食べるのが進むにつれ味を楽しむ。関西風ではいきなり味から楽しむ、というわけだ。何かと比較される、関東と関西。着物の着方にも京好みと江戸好みがあるが、カキ氷にまであるとは驚きだ。夜店ひとつにしても、色々と興味深い話がある…と、天を仰いで思うこと。

日曜日をニッチョと発音することがある。「今日、耳ニッチョ、聞こえまへん」というのは、都合の悪いことほ依頼されたり詰問されたりしたときの返事。耳が日曜日とは、耳がお休みで、頼み事はお断り、聞く耳をもたないこと。府庁をフチョ、校長をコーチョのようにチョーをチョと短く言うのも京都人の発音傾向であった。ニチヨービのヨーを高く発音するのは京都市中央部の人のアクセント。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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天を仰いで思うこと

9月になり、日中の暑さはともかく、朝夕はとても過ごしやすくなった。熱帯夜という言葉とは来年の夏まで出会うことはないだろう。夏の思い出といえば、夏祭り。夏祭りといえば、夜店。花火大会にしても神社の縁日にしても、欠かせないのが夜店。さて、その夜店の人気ベスト3は、「たこ焼き」「焼きそば」「お好み焼き(広島焼きを含む)」だそうだ。確かにどこに行ってもこの3店はある。かたや、姿を消していく夜店もある。最近ではあまり見ない「かるめやき」なんかがそうだという。夜店に関して、何か法則でもあるのか…と、気になり、少し調べた。

あった、あった。まず、綿あめ(綿菓子)は一番端っこに店を構える。神社などの場合、本殿に向かって右側の列のほうが売り上げがよい。カキ氷のシロップの一番人気はマンゴーで、二番人気は抹茶。などなど。
綿あめ(綿菓子)が一番端っこに店を構える理由は、周りに飛ぶと他の縁日屋台に迷惑をかけてしまうということと、お土産で買っていく人が多いからということから。隣の店にも気をつかうところなどは微笑ましい。売り上げに関しては、神社などは、何故か左側通行。そのため、本殿に向かって左列はこれから参拝に行く人が多いから、売り上げもイマイチ。確かに参拝を済ませてからのほうが、気兼ねなく買える。カキ氷については、自分としては抹茶が好きだ。さて、少し話はそれるが、このカキ氷にも関東風と関西風がある。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
その違いは見た目で明らかにわかる。関西風はカキ氷の上からシロップをかける。関東風はシロップの上にカキ氷をのせる。つまり、関西風は器にカキ氷をのせ、それからシロップをかける。関東風は器にシロップを入れ、その上にカキ氷をのせる。この違いがある。関東風では、夏の暑いときに味の濃い氷より、氷そのものの味を味わい、食べるのが進むにつれ味を楽しむ。関西風ではいきなり味から楽しむ、というわけだ。何かと比較される、関東と関西。着物の着方にも京好みと江戸好みがあるが、カキ氷にまであるとは驚きだ。夜店ひとつにしても、色々と興味深い話がある…と、天を仰いで思うこと。


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天を仰いで思うこと てれこ 2009/09/07 12:00 am
てれこ
互い違い。あべこべ。逆さま。「その服、前と後ろとテレコと違うか」物事が行き違いになることにもいう。「テレコになってしもて、うまい具合に行きまへんのや」 もとは「手入れこ」から。テイレは手を加えること。コは交互にする物事を示す接尾語。歌舞伎楽屋用語のテイレコに基づく。歌舞伎脚本でふたつの異なる筋をひとつにまとめ、多少の関連を持たせ一幕おきに交互に筋を展開させること。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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天を仰いで思うこと

今年の夏は、お盆をすぎた頃になって近畿では夏らしい日々が続いた。でも、今年の夏は、やはり変。どこかおかしい、と感じる。イヤイヤ、今年の夏も、かも知れない。各地でずれ込んだ梅雨明けも、東北地方だけは気象台も特定できずじまい。農作物への影響も気になるが、天候異変は日本だけに限らない。台風8号が直撃した台湾では、土砂崩れで数百人が生き埋めになったともいわれ救出活動が続いている。豪州東部のブリスベーンでは7月の降水量が平年の5%に達せず、トルコ各地では逆に多雨続き、南米北部では異常高温が続く、など様々。

これらの要因とされるのが、エルニーニョ現象である。何年間かおきに、南米ペルー沖の海面水温が高くなり、太平洋赤道域を中心に、広い範囲で大気や海洋が変動する。気象庁によれば1949年以降、今年を含め14回起きているという。エルニーニョの年は夏場の気温が全国的に低めで、降水量は一部を除き多い。中でも北日本は低温多雨の傾向が見られ、冷害の心配がある。偏西風の蛇行など大気の流れにも異常をもたらし集中豪雨の恐れもあるそうだ。さらに気になるのは近年、局地的な集中豪雨が増えていることだ。エルニーニョと相乗効果を起こす恐れはないだろうか。兵庫県佐用町の惨事は、人ごとではない。防災でも、食の問題でも、視野を広げ、過去の教訓に学んで行動に生かしたい。そう考えれば、ことは天気に限った話ではなさそうだ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
もうひとつ、エルニーニョと関連の深いものがある。それは、楽天の野村監督。1993年にヤクルトで日本一になるなど、エルニーニョ現象が起こった年は強いというものがある。強さは、もちろんゲンだけではないが、今年の楽天を見ていると、野村監督とエルニーニョ現象のジンクスがあるような気がする。クライマックスシリーズに見事進出し、さらに日本シリーズへ…などとなると、「エルニーニョ、エルニーニョ。やっぱり今年は何か起きるぞ」と、笑う野村監督の姿があった場合、これも、ことは天気に限った話ではなさそうだ…と、天を仰いで思うこと。

互い違い。あべこべ。逆さま。「その服、前と後ろとテレコと違うか」物事が行き違いになることにもいう。「テレコになってしもて、うまい具合に行きまへんのや」 もとは「手入れこ」から。テイレは手を加えること。コは交互にする物事を示す接尾語。歌舞伎楽屋用語のテイレコに基づく。歌舞伎脚本でふたつの異なる筋をひとつにまとめ、多少の関連を持たせ一幕おきに交互に筋を展開させること。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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天を仰いで思うこと

今年の夏は、お盆をすぎた頃になって近畿では夏らしい日々が続いた。でも、今年の夏は、やはり変。どこかおかしい、と感じる。イヤイヤ、今年の夏も、かも知れない。各地でずれ込んだ梅雨明けも、東北地方だけは気象台も特定できずじまい。農作物への影響も気になるが、天候異変は日本だけに限らない。台風8号が直撃した台湾では、土砂崩れで数百人が生き埋めになったともいわれ救出活動が続いている。豪州東部のブリスベーンでは7月の降水量が平年の5%に達せず、トルコ各地では逆に多雨続き、南米北部では異常高温が続く、など様々。

これらの要因とされるのが、エルニーニョ現象である。何年間かおきに、南米ペルー沖の海面水温が高くなり、太平洋赤道域を中心に、広い範囲で大気や海洋が変動する。気象庁によれば1949年以降、今年を含め14回起きているという。エルニーニョの年は夏場の気温が全国的に低めで、降水量は一部を除き多い。中でも北日本は低温多雨の傾向が見られ、冷害の心配がある。偏西風の蛇行など大気の流れにも異常をもたらし集中豪雨の恐れもあるそうだ。さらに気になるのは近年、局地的な集中豪雨が増えていることだ。エルニーニョと相乗効果を起こす恐れはないだろうか。兵庫県佐用町の惨事は、人ごとではない。防災でも、食の問題でも、視野を広げ、過去の教訓に学んで行動に生かしたい。そう考えれば、ことは天気に限った話ではなさそうだ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
もうひとつ、エルニーニョと関連の深いものがある。それは、楽天の野村監督。1993年にヤクルトで日本一になるなど、エルニーニョ現象が起こった年は強いというものがある。強さは、もちろんゲンだけではないが、今年の楽天を見ていると、野村監督とエルニーニョ現象のジンクスがあるような気がする。クライマックスシリーズに見事進出し、さらに日本シリーズへ…などとなると、「エルニーニョ、エルニーニョ。やっぱり今年は何か起きるぞ」と、笑う野村監督の姿があった場合、これも、ことは天気に限った話ではなさそうだ…と、天を仰いで思うこと。


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天を仰いで思うこと せんぐり 2009/09/04 12:00 am
せんぐり
「セングリ車が通って危ない」「セングリ考えたけど、うまいこといきまへんな」 次から次へと、順々にの意味。先から先へと繰る「先繰り」から。もとはセングリニと言った。江戸時代後期ごろから、「ニ」を省いた。セングリセングリと、重ねていうこともある。「セングリセングリ用事が出来ましてな」「繰る」にはもと、引き寄せるの意味があり、順々に送り動かすことでもあった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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天を仰いで思うこと

パンパンと神社でかしわ手を打ったり、鈴をじゃらじゃら鳴らしたりするのは、「どうか私の願いに耳を傾けてください。では申し上げますからね」というシグナル。さまざまな相談事や願い事を持ち込まれ、多忙を極める神仏。その注意をひき、自分の居場所を知らせるには大きな音が一番ということなのだろう。
今、「静かすぎて困る。もう少し音を出して存在をアピールして」と、注文されているものがある。それは、ハイブリッド車。エンジンとモーターを組み合わせて走るハイブリッド車。特にスタート時や低速時はモーターだけで走れるので、ほとんど音がしない。それが、住宅地の角を曲がったら目の前に車がいた、とか、自転車が、後ろから忍者のように接近してきた車に気づかず接触しそうになった、という事例があって、国土交通省や業界が対策に乗り出すこととなったらしい。

自動車の音問題といえば、騒音がうるさいというのが常識だ。テクノロジーの進展と開発者の努力が新たな音問題を生んだのだから皮肉なものだ。1910年代に「T型フォード」の量産が始まって以来、自動車メーカーはエンジンやタイヤの改良を続け、静かな車作りを目指してきた。最も静かなガソリンエンジン車が製造されたのは1960年ごろのことだったという。
しかし、60年代には、再びもっと大きな音のするのを作り始め、70年代にはデトロイトの製造業者は、自分たちの自動車の騒音増大を宣伝の呼び物にするようになった、というから驚きだ。70年代の雑誌には、高性能の怪獣。アクセルを踏めば、こいつは吠える。大型排気量と高圧縮比の導入で、エンジン騒音、吸入、排気騒音の増大が促進されます、といった広告が堂々と載った、という。
ラジオや音楽が聴きたいからリビングルーム並みの静かさが欲しいという人もいれば、飛ばしている感じがしない、と大きな音を求める若者らもいた。昔も今も、消費者の要望に応えることは容易でない。ハイブリッド車の静音対策は、人工音を出す装置を搭載するといった方向で検討されるようだ。将来、さらに静粛性に優れた電気自動車が普及すると、静音問題は一層「深刻」なものになる心配もある。ここで一定の方向性を示しておくことは重要だが、注目されるのは、どんな人工音が採用されるか、だ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
今、街にはさまざまな電子音にあふれている。歩行者や自転車が「車が来た」とちゃんと判別できるものでないと意味がない。しかし、パンパン、ジャラジャラは採用されないだろう。昔、京都の路面電車には「電車がきまっせ、あぶのおっせ」と、電車の前を走って通行人に危険を知らせる「先走り」という少年(←クリック)がいた。初期の電車は時速約10kmと遅いので、直前を横切る人も多く、かえって危険なために、昼は旗、夜は提灯をもって少年が先を走ったのだとか。なんとものどかな雰囲気で微笑ましい感じがする。このことにヒントを得て、「車がきまっせ、あぶのおっせ」という電子音声はどうだろうか…と、天を仰いで思うこと。

「セングリ車が通って危ない」「セングリ考えたけど、うまいこといきまへんな」 次から次へと、順々にの意味。先から先へと繰る「先繰り」から。もとはセングリニと言った。江戸時代後期ごろから、「ニ」を省いた。セングリセングリと、重ねていうこともある。「セングリセングリ用事が出来ましてな」「繰る」にはもと、引き寄せるの意味があり、順々に送り動かすことでもあった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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天を仰いで思うこと

パンパンと神社でかしわ手を打ったり、鈴をじゃらじゃら鳴らしたりするのは、「どうか私の願いに耳を傾けてください。では申し上げますからね」というシグナル。さまざまな相談事や願い事を持ち込まれ、多忙を極める神仏。その注意をひき、自分の居場所を知らせるには大きな音が一番ということなのだろう。
今、「静かすぎて困る。もう少し音を出して存在をアピールして」と、注文されているものがある。それは、ハイブリッド車。エンジンとモーターを組み合わせて走るハイブリッド車。特にスタート時や低速時はモーターだけで走れるので、ほとんど音がしない。それが、住宅地の角を曲がったら目の前に車がいた、とか、自転車が、後ろから忍者のように接近してきた車に気づかず接触しそうになった、という事例があって、国土交通省や業界が対策に乗り出すこととなったらしい。

自動車の音問題といえば、騒音がうるさいというのが常識だ。テクノロジーの進展と開発者の努力が新たな音問題を生んだのだから皮肉なものだ。1910年代に「T型フォード」の量産が始まって以来、自動車メーカーはエンジンやタイヤの改良を続け、静かな車作りを目指してきた。最も静かなガソリンエンジン車が製造されたのは1960年ごろのことだったという。
しかし、60年代には、再びもっと大きな音のするのを作り始め、70年代にはデトロイトの製造業者は、自分たちの自動車の騒音増大を宣伝の呼び物にするようになった、というから驚きだ。70年代の雑誌には、高性能の怪獣。アクセルを踏めば、こいつは吠える。大型排気量と高圧縮比の導入で、エンジン騒音、吸入、排気騒音の増大が促進されます、といった広告が堂々と載った、という。
ラジオや音楽が聴きたいからリビングルーム並みの静かさが欲しいという人もいれば、飛ばしている感じがしない、と大きな音を求める若者らもいた。昔も今も、消費者の要望に応えることは容易でない。ハイブリッド車の静音対策は、人工音を出す装置を搭載するといった方向で検討されるようだ。将来、さらに静粛性に優れた電気自動車が普及すると、静音問題は一層「深刻」なものになる心配もある。ここで一定の方向性を示しておくことは重要だが、注目されるのは、どんな人工音が採用されるか、だ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
今、街にはさまざまな電子音にあふれている。歩行者や自転車が「車が来た」とちゃんと判別できるものでないと意味がない。しかし、パンパン、ジャラジャラは採用されないだろう。昔、京都の路面電車には「電車がきまっせ、あぶのおっせ」と、電車の前を走って通行人に危険を知らせる「先走り」という少年(←クリック)がいた。初期の電車は時速約10kmと遅いので、直前を横切る人も多く、かえって危険なために、昼は旗、夜は提灯をもって少年が先を走ったのだとか。なんとものどかな雰囲気で微笑ましい感じがする。このことにヒントを得て、「車がきまっせ、あぶのおっせ」という電子音声はどうだろうか…と、天を仰いで思うこと。


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天を仰いで思うこと ちょっとそこまで 2009/09/02 12:00 am
ちょっとそこまで
近所の人が出掛けるのを見て「どこ行きどす」と話しかけると、「チョットソコマデ」と返事が返ってくる。それ以上、行き先を追求するつもりはない。チョットソコマデの「そこ」がどこかはっきりさせるわけではない。遠回しに表現するが、京ことばの特性の一つ。買い物に行って、店の釣り銭が違っていた時、「ちごうてます」と言わないで、「ちょっと足らんように思いますけど」と遠回しに言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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天を仰いで思うこと
滋賀県に「芋競べ祭」という奇祭があると新聞に掲載されていた。東西二つの集落の若者が、それぞれの地区で育った里芋の長さを競い農作物の豊凶を占う神事。たわいもない競争のようだが、祭りは真剣極まりないというから驚きだ。集落で最も長い里芋を選び、洗い清めた石を敷き詰めた祭場に運び込む。長さを測った後も「西の芋より東の芋は5〜6丈も長い」「東の芋より西の芋は5〜6丈も長い」と譲らない。何度も測り直し、日が暮れても続いたことがあったとか。

真剣さの背景に両集落の対抗意識があるのはもちろんだが、かつて勝敗が水利権などに結びついていたためともされている。生活がかかった昔、より白熱したというのも無理はないことだろう。今年も祭りに向け、若者たちはいま所作の練習を続けているらしい。

さて、民主党の大勝で終えた衆院選。こちらは政権をかけての勝負だけに、どの党もいつもに増して真剣だった。互いに政策の優位を訴え続けていた。芋競べは両集落に緊張感を生み、地域に活力をもたらしたと評価される。政党間にみなぎる緊張感も大いに歓迎すべきことだろう。日本の政治に活力をもたらすのは間違いないことだろう。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
しかし、衆院選は芋競べとは別のものである。選挙の結果は国民全体の暮らし全般に直結する。政権交代の夢を果たした民主党。今後は、どうなっていくか、今まで以上の真剣さで政策を見極めねばならないかもしれない…と、天を仰いで思うこと。

近所の人が出掛けるのを見て「どこ行きどす」と話しかけると、「チョットソコマデ」と返事が返ってくる。それ以上、行き先を追求するつもりはない。チョットソコマデの「そこ」がどこかはっきりさせるわけではない。遠回しに表現するが、京ことばの特性の一つ。買い物に行って、店の釣り銭が違っていた時、「ちごうてます」と言わないで、「ちょっと足らんように思いますけど」と遠回しに言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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天を仰いで思うこと
滋賀県に「芋競べ祭」という奇祭があると新聞に掲載されていた。東西二つの集落の若者が、それぞれの地区で育った里芋の長さを競い農作物の豊凶を占う神事。たわいもない競争のようだが、祭りは真剣極まりないというから驚きだ。集落で最も長い里芋を選び、洗い清めた石を敷き詰めた祭場に運び込む。長さを測った後も「西の芋より東の芋は5〜6丈も長い」「東の芋より西の芋は5〜6丈も長い」と譲らない。何度も測り直し、日が暮れても続いたことがあったとか。

真剣さの背景に両集落の対抗意識があるのはもちろんだが、かつて勝敗が水利権などに結びついていたためともされている。生活がかかった昔、より白熱したというのも無理はないことだろう。今年も祭りに向け、若者たちはいま所作の練習を続けているらしい。

さて、民主党の大勝で終えた衆院選。こちらは政権をかけての勝負だけに、どの党もいつもに増して真剣だった。互いに政策の優位を訴え続けていた。芋競べは両集落に緊張感を生み、地域に活力をもたらしたと評価される。政党間にみなぎる緊張感も大いに歓迎すべきことだろう。日本の政治に活力をもたらすのは間違いないことだろう。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
しかし、衆院選は芋競べとは別のものである。選挙の結果は国民全体の暮らし全般に直結する。政権交代の夢を果たした民主党。今後は、どうなっていくか、今まで以上の真剣さで政策を見極めねばならないかもしれない…と、天を仰いで思うこと。


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天を仰いで思うこと しんどい 2009/08/31 12:00 am
しんどい
つらい。苦しい。疲れている。「マラソン走ってシンドイわ」「社長さんの話は聞いててシンドイ」「辛労」にイを付け形容詞化した「辛労い」がなまって、シンドイとなった。シンロウをシンドウといった。安原貞室の『片言』に「辛労を、しんだうと云ふこと如何」とある。『東京京阪言語違』(明治19年刊)には、京阪のシンドイを東京のクタビレタ、京阪のシンドヤノーを東京のガッカリシタと比べている。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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天を仰いで思うこと



(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
今日は写真の掲載のみで…と、天を仰いで思うこと。

つらい。苦しい。疲れている。「マラソン走ってシンドイわ」「社長さんの話は聞いててシンドイ」「辛労」にイを付け形容詞化した「辛労い」がなまって、シンドイとなった。シンロウをシンドウといった。安原貞室の『片言』に「辛労を、しんだうと云ふこと如何」とある。『東京京阪言語違』(明治19年刊)には、京阪のシンドイを東京のクタビレタ、京阪のシンドヤノーを東京のガッカリシタと比べている。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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天を仰いで思うこと



(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
今日は写真の掲載のみで…と、天を仰いで思うこと。

