rrbのブログ - 天を仰いで思うことのエントリ
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天を仰いで思うこと ぼったくり 2010/03/17 12:00 am
ぼったくり
無理やりに奪い取ること。価格以上の値段でふんだくること。「こんな売り方してほんまにボッタクリやんか」 動詞はボッタクル。「うまいこと言うてボッタクラレてしもた」 ブッタクル(打っ手繰る)から。タクルは引ったくる、荒々しく奪い取る。「やらずボッタクリ」というのは、人に遣る(与える)ことをしないで他人から物を奪い取り上げるだけのこと。ブッ・ボッは強意の接頭語。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
合わせる

昨年末のことだけれど、テレビの深夜番組で聴いた歌が忘れられない。元オフコースの小田和正さんの呼びかけで集まった総勢21組34人だったか、による合唱だ。財津和夫さんや一青窈さん、スキマスイッチら一流ミュージシャンが勢ぞろい。歌は出演者の代表曲をメドレーでつなぐ大作で、演奏時間「22分50秒」がタイトルだったと記憶している。いずれも所属プロダクションの看板アーティスト。若手からベテランまで一家言ありそうな面々ばかり。話によると、企画段階で意見が衝突したという。番組は難航した実現までの数カ月も映し出す。舞台が幕を開けた。全員が力の限り歌った。ソロの後ろで懸命に声を合わせた。徐々に通い合う心が画面にあふれてくる。

考えてみれば、万葉の歌垣、キリスト教の賛美歌、仏教の声明など、人は歌を通して心を合わせてきた。太古には、音が言葉より早くコミュニケーションの手段となり、社会を形づくってきたと聞く。いま、遠く早く伝える道具を手にした私たちは、面と向かって伝えるのが苦手な状況となっているともいえる。触れ合い、助け合い、譲り合い。口にはしても照れや疑心が先に立ち、ついつい及び腰になってしまう。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
逆に憎み合い、ののしり合う事件は後を絶たない。「22分50秒」を歌い切った34人は、高揚した表情で何度も抱き合っていた。万雷の拍手は数分間、鳴りやまない。小田さんは「一生の中で一番長い拍手だと思います」と語るのが精いっぱいだったという。この瞬間、忘れかけていた「合わせる」喜びが十分に伝わったのではないか…と、天を仰いで思うこと。
★関連記事はここ(←クリック)

無理やりに奪い取ること。価格以上の値段でふんだくること。「こんな売り方してほんまにボッタクリやんか」 動詞はボッタクル。「うまいこと言うてボッタクラレてしもた」 ブッタクル(打っ手繰る)から。タクルは引ったくる、荒々しく奪い取る。「やらずボッタクリ」というのは、人に遣る(与える)ことをしないで他人から物を奪い取り上げるだけのこと。ブッ・ボッは強意の接頭語。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
合わせる

昨年末のことだけれど、テレビの深夜番組で聴いた歌が忘れられない。元オフコースの小田和正さんの呼びかけで集まった総勢21組34人だったか、による合唱だ。財津和夫さんや一青窈さん、スキマスイッチら一流ミュージシャンが勢ぞろい。歌は出演者の代表曲をメドレーでつなぐ大作で、演奏時間「22分50秒」がタイトルだったと記憶している。いずれも所属プロダクションの看板アーティスト。若手からベテランまで一家言ありそうな面々ばかり。話によると、企画段階で意見が衝突したという。番組は難航した実現までの数カ月も映し出す。舞台が幕を開けた。全員が力の限り歌った。ソロの後ろで懸命に声を合わせた。徐々に通い合う心が画面にあふれてくる。

考えてみれば、万葉の歌垣、キリスト教の賛美歌、仏教の声明など、人は歌を通して心を合わせてきた。太古には、音が言葉より早くコミュニケーションの手段となり、社会を形づくってきたと聞く。いま、遠く早く伝える道具を手にした私たちは、面と向かって伝えるのが苦手な状況となっているともいえる。触れ合い、助け合い、譲り合い。口にはしても照れや疑心が先に立ち、ついつい及び腰になってしまう。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
逆に憎み合い、ののしり合う事件は後を絶たない。「22分50秒」を歌い切った34人は、高揚した表情で何度も抱き合っていた。万雷の拍手は数分間、鳴りやまない。小田さんは「一生の中で一番長い拍手だと思います」と語るのが精いっぱいだったという。この瞬間、忘れかけていた「合わせる」喜びが十分に伝わったのではないか…と、天を仰いで思うこと。
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天を仰いで思うこと しなこい 2010/03/13 12:00 am
しなこい
柔軟な。しなやかな。弾力性があり、やわらかな形容。「竹を薄う割ってシナコイし、竹細工しやすおすわ」「ヤラコイ」は「柔らかい」で「今日のご飯はちょっとヤラコイな」 ヤラカイとも。「ややさん(赤ちゃん)の手はヤラコおすな」 ヤニコイは壊れやすい。「この椅子ヤニコイなあ、座っただけでぐらぐらする」「ひ弱い」の意味でも使う。「あの子はヤニコイな、すぐ泣かはる」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
太陽の塔・芸術は爆発だ

あの人なら、この時代をどう語るだろう。岡本太郎さんが逝って14年。大阪万博で「太陽の塔」が6400万人もの目をくぎ付けにしてから、今年で40年になる。時は高度成長の絶頂、万博は勤勉な労働力に向け「人類の進歩と調和」をうたう格好の機会だった。「お上のお先棒を担ぐなんて」と周囲は猛反対。そこが太郎さんらしい。そんなに言うならやってやろうと引き受けた。「とにかくベラボーなものを作ってやる」とひたすら構想を練った。進歩を誇るべく、地上30mに大屋根を造る計画が固まっていた。模型を見るうちに、それを突き破る「ベラボーなもの」、70mの人間像が浮かぶ。紆余曲折を経て出来あがった前衛的で巨大なシンボルタワー「太陽の塔」は、当時の一部の知識人などから「牛乳瓶のお化け」「日本の恥辱」などと痛烈な批判を浴びた。

しかし、岡本太郎さんがこの前衛的な塔に込めたのは、文明の発達や進歩の中で、人々の生活も豊かになるのに反比例し、システムに組み込まれ、心がどんどん不自由になり貧しくなっていく全体性を失った当時の現代人への彼なりのアンチテーゼであった。また、主催者側が「人類の進歩と調和」というテーマに基づき、塔の地下に人類の発展に寄与した偉人の写真を並べるつもりだったのに対し、「世界を支えているのは、無名の人たち」と、世界中の人々の写真や民具を並べるように進言したという。
人類は進歩などしていない。太郎さんが、ど真ん中で万博に突きつけた「ノー」に、観客は共鳴する。「命を質に置いても来てよかったねぇ」との、あるおばあさんのつぶやきは岡本太郎さんを喜ばせたという。空間メディアプロデューサーなどの話によると、太陽の塔は「万博史に刻まれた唯一の異物」だそうだ。皮肉にもそれだけが残っている。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
今月15日で開幕40年を迎える日本万国博覧会(大阪万博)を記念して、万博の際にパビリオンとして使われた鉄鋼館が当時の資料を集めた「EXPO’70パビリオン」としてリニューアルされ、今日から公開される。パビリオンでは高度経済成長期の日本や万博期間中の華やかな様子を映像や写真パネルを使って紹介。万博の象徴で当時はモニュメントが展示されていた太陽の塔内部も再現され、岡本太郎さんの未公開映像の肉声も公開されるという。さらに音楽堂も40年ぶりの公開となり、レーザーを用いた光のショーが見られるという。太陽の塔は何を見つめているか。流れる雲か降り注ぐ雨か。誕生した時代とは両極の不況の時代か。知る由もないが、今日も変わらず、何かを見つめているには違いない。「平気で己を開き、野放図にふくらむ精神が現れてきたら、私の万国博への賭けは大成功だ」と、全存在をぶつけた岡本太郎さん。その覚悟に時代はまだ追いつけていないのではないか…と、天を仰いで思うこと。

柔軟な。しなやかな。弾力性があり、やわらかな形容。「竹を薄う割ってシナコイし、竹細工しやすおすわ」「ヤラコイ」は「柔らかい」で「今日のご飯はちょっとヤラコイな」 ヤラカイとも。「ややさん(赤ちゃん)の手はヤラコおすな」 ヤニコイは壊れやすい。「この椅子ヤニコイなあ、座っただけでぐらぐらする」「ひ弱い」の意味でも使う。「あの子はヤニコイな、すぐ泣かはる」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
太陽の塔・芸術は爆発だ

あの人なら、この時代をどう語るだろう。岡本太郎さんが逝って14年。大阪万博で「太陽の塔」が6400万人もの目をくぎ付けにしてから、今年で40年になる。時は高度成長の絶頂、万博は勤勉な労働力に向け「人類の進歩と調和」をうたう格好の機会だった。「お上のお先棒を担ぐなんて」と周囲は猛反対。そこが太郎さんらしい。そんなに言うならやってやろうと引き受けた。「とにかくベラボーなものを作ってやる」とひたすら構想を練った。進歩を誇るべく、地上30mに大屋根を造る計画が固まっていた。模型を見るうちに、それを突き破る「ベラボーなもの」、70mの人間像が浮かぶ。紆余曲折を経て出来あがった前衛的で巨大なシンボルタワー「太陽の塔」は、当時の一部の知識人などから「牛乳瓶のお化け」「日本の恥辱」などと痛烈な批判を浴びた。

しかし、岡本太郎さんがこの前衛的な塔に込めたのは、文明の発達や進歩の中で、人々の生活も豊かになるのに反比例し、システムに組み込まれ、心がどんどん不自由になり貧しくなっていく全体性を失った当時の現代人への彼なりのアンチテーゼであった。また、主催者側が「人類の進歩と調和」というテーマに基づき、塔の地下に人類の発展に寄与した偉人の写真を並べるつもりだったのに対し、「世界を支えているのは、無名の人たち」と、世界中の人々の写真や民具を並べるように進言したという。
人類は進歩などしていない。太郎さんが、ど真ん中で万博に突きつけた「ノー」に、観客は共鳴する。「命を質に置いても来てよかったねぇ」との、あるおばあさんのつぶやきは岡本太郎さんを喜ばせたという。空間メディアプロデューサーなどの話によると、太陽の塔は「万博史に刻まれた唯一の異物」だそうだ。皮肉にもそれだけが残っている。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
今月15日で開幕40年を迎える日本万国博覧会(大阪万博)を記念して、万博の際にパビリオンとして使われた鉄鋼館が当時の資料を集めた「EXPO’70パビリオン」としてリニューアルされ、今日から公開される。パビリオンでは高度経済成長期の日本や万博期間中の華やかな様子を映像や写真パネルを使って紹介。万博の象徴で当時はモニュメントが展示されていた太陽の塔内部も再現され、岡本太郎さんの未公開映像の肉声も公開されるという。さらに音楽堂も40年ぶりの公開となり、レーザーを用いた光のショーが見られるという。太陽の塔は何を見つめているか。流れる雲か降り注ぐ雨か。誕生した時代とは両極の不況の時代か。知る由もないが、今日も変わらず、何かを見つめているには違いない。「平気で己を開き、野放図にふくらむ精神が現れてきたら、私の万国博への賭けは大成功だ」と、全存在をぶつけた岡本太郎さん。その覚悟に時代はまだ追いつけていないのではないか…と、天を仰いで思うこと。


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天を仰いで思うこと なんにもおへんけど 2010/03/10 12:00 am
なんにもおへんけど
直接の意味は「何もありませんが」。食事を客にすすめるときの慣用句。謙遜してへりくだっていうのが京ことばの特徴で、贈り物をするとき「あらあらしいもんどすが」などという。「ほんまにアラアラシイモンドスガ どうぞおひとつおあがりやしとくれやす」 あらあらしいはもとは粗野で繊細さがないこと。アラクタイは荒っぽい。「そんなアラクタイ積み方して砕けるよ」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
鉄人28号

確かにでっかい。想像以上にでっかい。神戸市長田区のJR新長田駅に昨年秋完成した「鉄人28号」を見上げた。大地に踏ん張り、こぶしを突き出す姿は、嬉しい時は「やったな!」、悲しい時には「元気出せ!」。そんな声が聞こえてきそうな雰囲気だ。近くにいたおじさんが「元気のない時はここへ来る、元気のある時もここへ来る」と言っていたが、その気持ち、なんとなく理解できる。

原作者の故横山光輝さんは神戸市出身。古里を焦土にしたB29爆撃機の強烈な記憶から着想し、22歳の時、雑誌「少年」に、鉄人28号を描いた。この鉄人、登場時は「破壊王」だったが、人気に応えて、金田正太郎少年が操る正義のロボットになっていったという。4年ほど前、鉄人誕生50年を知った新長田駅南の商店主らは、「これだと思った」という。がれきから立ち上がる姿がいい、原作者も身近な存在だ。そうして「KOBE鉄人プロジェクト」が発進した。

阪神大震災で長田区は約7割が被災した。人情自慢の商店街も多くが倒壊、焼失した。時間とともに、復興は進み、新しい再開発ビルに店と人は収まり、長田は整然ときれいになった。
しかし、買う人と商う人が混然とにぎわった下町の熱気が戻らない。賃貸料に悩み廃業する店も多く、得意客だった地場産業の職人も減ったということだ。

「鉄人を起爆剤に」と商店主らは、地域の説得や1億円近い寄付集めに歩いた。完成から3カ月めに100万人が訪れた。スタンプラリー、そばめし地図など見物客を商店街に呼び込む努力が今も続いている。震災から15年たった今、行政支援は年々減り、「これからが復興本番や」と商店主らはいう。「鉄人〜」と正太郎少年さながらに駆け寄る子どもたちもいた。平成の時代に新たに始まった鉄人とこの町の二人三脚を京都からも応援したい…と、天を仰いで思うこと。

直接の意味は「何もありませんが」。食事を客にすすめるときの慣用句。謙遜してへりくだっていうのが京ことばの特徴で、贈り物をするとき「あらあらしいもんどすが」などという。「ほんまにアラアラシイモンドスガ どうぞおひとつおあがりやしとくれやす」 あらあらしいはもとは粗野で繊細さがないこと。アラクタイは荒っぽい。「そんなアラクタイ積み方して砕けるよ」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
鉄人28号

確かにでっかい。想像以上にでっかい。神戸市長田区のJR新長田駅に昨年秋完成した「鉄人28号」を見上げた。大地に踏ん張り、こぶしを突き出す姿は、嬉しい時は「やったな!」、悲しい時には「元気出せ!」。そんな声が聞こえてきそうな雰囲気だ。近くにいたおじさんが「元気のない時はここへ来る、元気のある時もここへ来る」と言っていたが、その気持ち、なんとなく理解できる。

原作者の故横山光輝さんは神戸市出身。古里を焦土にしたB29爆撃機の強烈な記憶から着想し、22歳の時、雑誌「少年」に、鉄人28号を描いた。この鉄人、登場時は「破壊王」だったが、人気に応えて、金田正太郎少年が操る正義のロボットになっていったという。4年ほど前、鉄人誕生50年を知った新長田駅南の商店主らは、「これだと思った」という。がれきから立ち上がる姿がいい、原作者も身近な存在だ。そうして「KOBE鉄人プロジェクト」が発進した。

阪神大震災で長田区は約7割が被災した。人情自慢の商店街も多くが倒壊、焼失した。時間とともに、復興は進み、新しい再開発ビルに店と人は収まり、長田は整然ときれいになった。
しかし、買う人と商う人が混然とにぎわった下町の熱気が戻らない。賃貸料に悩み廃業する店も多く、得意客だった地場産業の職人も減ったということだ。

「鉄人を起爆剤に」と商店主らは、地域の説得や1億円近い寄付集めに歩いた。完成から3カ月めに100万人が訪れた。スタンプラリー、そばめし地図など見物客を商店街に呼び込む努力が今も続いている。震災から15年たった今、行政支援は年々減り、「これからが復興本番や」と商店主らはいう。「鉄人〜」と正太郎少年さながらに駆け寄る子どもたちもいた。平成の時代に新たに始まった鉄人とこの町の二人三脚を京都からも応援したい…と、天を仰いで思うこと。


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天を仰いで思うこと ひがいそな 2010/03/09 12:00 am
ひがいそな
体が貧弱な。体が細くて弱々しい。「ヒガイソナ子どすさかい、あんじょう遊んだげてや」 ヒガイショーナとも。痩せた人をヒガイスと言ったことからか。江戸時代から使用。琵琶湖のヒガイ(ヒガイス)という魚は形が痩せて骨っぽいことから名付けたという。貧相な子をシガンダという。「なんぼ悲しいから言うて、シガンダみたいな顔せんとき」「しがむ(くちゃくちゃ噛む)」に基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
いち写真ファンとして

現在の京都府南丹市の旧国鉄山陰線などで26年前、通信ケーブルが切断される列車妨害事件が発生した。沿線の駅に「電化反対同盟のものだ。列車に爆弾を仕掛けた」との電話もあり、関係者の間に緊張が走る。約1カ月後に逮捕されたのはテロリストではなく鉄道ファンの医大生ら3人。動機は「シャッターチャンスを逃して腹が立った」という。また、線路にコンクリートのU字溝を置いた別件については「救援車を撮影したかった」と供述したという。

それから26年、こんな非常識なことはなくなったかのように思えたが、そうでもなかった。ら先月(2月)、草津市のJR東海道線などで、お座敷列車を撮影するファンが線路敷地内に入り、列車の運行を妨げた事件があった。後続などにも影響し、新聞に大きく取り上げられていた。
何より、危険極まりない。JRが被害届を出し、警察は捜査を始めた。新幹線500系や阪急京都線6300系の引退運行もあり、担当者は対策に頭を抱える。鉄道ファン、いわゆる「鉄ちゃん」は形式や装置を研究する「車両鉄」、切符やスタンプを集める「収集鉄」、未乗車区間を踏破する「乗り鉄」などに分類されるそうだ。“暴走”“脱線”を繰り返すのは列車を撮影する「撮り鉄」のごく一部だという。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
マナーを守らず、同じ「撮り鉄」など「鉄ちゃん」の怒りも買い、別の写真ファンからも怒りを買っていると聞く。細分化された集団にいては、視野が狭くなるのはありがちだ。だからこそ、少し離れて、周囲を見渡す配慮が欲しい。一説によると、「ルールを諭す取扱説明書のようなものも要るのではないか」と囁かれている。つまり、「撮り鉄」には、「取(とり)説」というわけだ。この皮肉、「うまい!」と、もろ手を挙げて喜ぶことができない。撮る被写体は違っても、手にカメラを持っている同じ写真仲間。写真ファンとしては、なんとも遺憾な事件だ。カメラを手にしている人は、マナーを守る人といわれるようにしたいものだ…と、天を仰いで思うこと。

体が貧弱な。体が細くて弱々しい。「ヒガイソナ子どすさかい、あんじょう遊んだげてや」 ヒガイショーナとも。痩せた人をヒガイスと言ったことからか。江戸時代から使用。琵琶湖のヒガイ(ヒガイス)という魚は形が痩せて骨っぽいことから名付けたという。貧相な子をシガンダという。「なんぼ悲しいから言うて、シガンダみたいな顔せんとき」「しがむ(くちゃくちゃ噛む)」に基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
いち写真ファンとして

現在の京都府南丹市の旧国鉄山陰線などで26年前、通信ケーブルが切断される列車妨害事件が発生した。沿線の駅に「電化反対同盟のものだ。列車に爆弾を仕掛けた」との電話もあり、関係者の間に緊張が走る。約1カ月後に逮捕されたのはテロリストではなく鉄道ファンの医大生ら3人。動機は「シャッターチャンスを逃して腹が立った」という。また、線路にコンクリートのU字溝を置いた別件については「救援車を撮影したかった」と供述したという。

それから26年、こんな非常識なことはなくなったかのように思えたが、そうでもなかった。ら先月(2月)、草津市のJR東海道線などで、お座敷列車を撮影するファンが線路敷地内に入り、列車の運行を妨げた事件があった。後続などにも影響し、新聞に大きく取り上げられていた。
何より、危険極まりない。JRが被害届を出し、警察は捜査を始めた。新幹線500系や阪急京都線6300系の引退運行もあり、担当者は対策に頭を抱える。鉄道ファン、いわゆる「鉄ちゃん」は形式や装置を研究する「車両鉄」、切符やスタンプを集める「収集鉄」、未乗車区間を踏破する「乗り鉄」などに分類されるそうだ。“暴走”“脱線”を繰り返すのは列車を撮影する「撮り鉄」のごく一部だという。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
マナーを守らず、同じ「撮り鉄」など「鉄ちゃん」の怒りも買い、別の写真ファンからも怒りを買っていると聞く。細分化された集団にいては、視野が狭くなるのはありがちだ。だからこそ、少し離れて、周囲を見渡す配慮が欲しい。一説によると、「ルールを諭す取扱説明書のようなものも要るのではないか」と囁かれている。つまり、「撮り鉄」には、「取(とり)説」というわけだ。この皮肉、「うまい!」と、もろ手を挙げて喜ぶことができない。撮る被写体は違っても、手にカメラを持っている同じ写真仲間。写真ファンとしては、なんとも遺憾な事件だ。カメラを手にしている人は、マナーを守る人といわれるようにしたいものだ…と、天を仰いで思うこと。


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天を仰いで思うこと なんしか 2010/03/08 12:00 am
なんしか
とにかく。「ナンシカこれだけしかあらへんのやさかい、あんじょう分けなはい」「ナンシカ京都の冬は寒いことどすわ」「何しか」から。シは強意の助詞。ナンシ、ナンセとも。「何しろ」「何にせよ」の意。「ナンシ(セ)急なことやったしなあ」「何」をナンと発音して、ナンカスネン(何を言うか)、ナンカシテカツケンネン(何をほざくか)。ナンカスは「何をぬかす」。ケツカルは罵倒表現。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
いち航空ファンとして

1960年代に「夢のジェット機727…」と歌われた鶴のマークの日本航空(JAL)は輝いて見えたという。一度はあの飛行機で海外へ旅したい、と多くの人々が夢を抱いたとのことだ。庶民の夢が現実となり、年に1500万人以上が海外へ出掛ける時代になり、その時代に日航が経営破綻するのは何とも皮肉なものだ。
種々の原因が指摘されるが、安全に対する信頼感が薄れたことも大きな要因であろう。群馬県の御巣鷹山でジャンボ機が墜落した1985年の事故をきっかけに、同社の問題点は広く知られるようになった。また、経営陣も組合も対立ばかりで、その上に安全面のトラブルも続出では、誰でも不安になる。客が離れたのも、当然だといえる。

2005年に国から事業改善命令を受けたのも記憶に新しいことだ。作家の柳田邦男さんらをアドバイザーに、安全文化の育成に努めてきた結果、安全トラブルは減った。だが、失った信用を取り戻すのは容易ではない。社内対立も消えてはいないし、安全への投資で納得できるだけの説明もない。稲盛和夫・最高経営責任者(CEO)の下で出直す新生JALに望むのは、今度こそ社員が一丸となり世界一安全な飛行機をめざして欲しいということだ。その上で値段や機内サービスを工夫すれば人気回復も夢ではない。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
海外から帰国する際、JALを利用すると、NHKニュースが映る。「機内は既に日本」という雰囲気は独特だ。往年の輝きを再び、と願う人は少なくないだろうし、今もJALへの憧れを持ち続けている人もいるに違いない。この件以来、JALの機体を見ても、どこか寂しげで悲しげだ。航空写真も撮る一人の写真ファンとしては、威風堂堂としたJAL復帰を願いたい…と、天を仰いで思うこと。

とにかく。「ナンシカこれだけしかあらへんのやさかい、あんじょう分けなはい」「ナンシカ京都の冬は寒いことどすわ」「何しか」から。シは強意の助詞。ナンシ、ナンセとも。「何しろ」「何にせよ」の意。「ナンシ(セ)急なことやったしなあ」「何」をナンと発音して、ナンカスネン(何を言うか)、ナンカシテカツケンネン(何をほざくか)。ナンカスは「何をぬかす」。ケツカルは罵倒表現。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
いち航空ファンとして

1960年代に「夢のジェット機727…」と歌われた鶴のマークの日本航空(JAL)は輝いて見えたという。一度はあの飛行機で海外へ旅したい、と多くの人々が夢を抱いたとのことだ。庶民の夢が現実となり、年に1500万人以上が海外へ出掛ける時代になり、その時代に日航が経営破綻するのは何とも皮肉なものだ。
種々の原因が指摘されるが、安全に対する信頼感が薄れたことも大きな要因であろう。群馬県の御巣鷹山でジャンボ機が墜落した1985年の事故をきっかけに、同社の問題点は広く知られるようになった。また、経営陣も組合も対立ばかりで、その上に安全面のトラブルも続出では、誰でも不安になる。客が離れたのも、当然だといえる。

2005年に国から事業改善命令を受けたのも記憶に新しいことだ。作家の柳田邦男さんらをアドバイザーに、安全文化の育成に努めてきた結果、安全トラブルは減った。だが、失った信用を取り戻すのは容易ではない。社内対立も消えてはいないし、安全への投資で納得できるだけの説明もない。稲盛和夫・最高経営責任者(CEO)の下で出直す新生JALに望むのは、今度こそ社員が一丸となり世界一安全な飛行機をめざして欲しいということだ。その上で値段や機内サービスを工夫すれば人気回復も夢ではない。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
海外から帰国する際、JALを利用すると、NHKニュースが映る。「機内は既に日本」という雰囲気は独特だ。往年の輝きを再び、と願う人は少なくないだろうし、今もJALへの憧れを持ち続けている人もいるに違いない。この件以来、JALの機体を見ても、どこか寂しげで悲しげだ。航空写真も撮る一人の写真ファンとしては、威風堂堂としたJAL復帰を願いたい…と、天を仰いで思うこと。

