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rrbのブログ - 天を仰いで思うことのエントリ

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天を仰いで思うこと ツクツクボウシ 2010/08/24 12:00 am

クツクボウシ
昨日(8/23)の朝、ツクツクボウシの鳴き声を耳にした。ツクツクボウシは、「つくつく法師」「寒蝉(Meimuna opalifera)」とされ、カメムシ目(半翅目)・ヨコバイ亜目(同翅亜目)・セミ科に分類されるセミの一種である、と辞書にはある。さらに、晩夏から初秋に発生するセミで、特徴的な鳴き声をもつ、ともある。
昨日(8/23)は処暑であり、暑かった夏も終わりを告げる頃とされている。連日の暑さにも関わらず、暦の上では「晩夏」であり、「初秋」でもある。自然がおりなす虫の生態は正直なものだ。ツクツクボウシの鳴き声により今年の夏の終わりを知らされた気分になった。



この夏は何冊かの本を読むという目的を掲げていた。「何冊かの本」ということで、具体的には冊数は決めていない。今のところ7冊くらいは読んだだろうか。いずれもあまり頭に残っていない。文字を追いかける読み方しかできていないのだろうか。それとも選択した本がいけなかったのだろうか。色々と悩むが過ぎ去った時間を取り戻すこともできない。文字とたくさん触れ合ったという経験だけは確実に残ったと考えている。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

その中でも、まだ読み終わっていないが、『これからの「正義」の話をしよう』が言葉には表わしにくいが妙に考えさせられる。明確な答えを書いてくれているわけではない。人間の道徳心について考えさせられる哲学だ。「そうも考えられるし、こうも考えられる。あなたはどう考える?」というような展開だ。読み終わるのにはまだまだ時間がかかりそうだ。この本を読みながらも別の本も同時に読んでいる。だから頭に残りにくいのだろうか。



ツクツクボウシにより夏の終わりを意識することができたが、まだまだ酷暑が続いている。夏バテに気をつけながらも、もう少し本を読みたい…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと 改める 2010/08/21 12:00 am

める
1990年の経済のグローバル化から日本の企業(会社)のあり方が大きく変化した。変化の一番の特徴は「年功序列と終身雇用」の崩壊であろう。それらが崩壊し、「実力主義」が囁かれ、企業戦術のひとつとして低賃金化競争へと変わっていった。この企業戦術が変化したが、変化が追いついていないものがひとつあると感じる。それは、「企業戦士の意識」だ。



「実力主義」になったその瞬間から、今までのことは一度リセットしなければならないはずだ。果たしてリセットできているのであろうか。つまり、「部長」「次長」「課長」などの管理職のその地位は「実力で掴んだものなのか」それとも「年功序列で掴んだものなのか」を自問自答する必要があるのではないか、ということだ。その地位が「実力で掴んだもの」とするならば、「どんな功績で掴んだのか」とさらに問わなければならない。おおよそは、ルーチンを無難にこなしていただけというのが実体ではないだろうか。「ルーチンを無難にこなしていただけ」や「人当たりがよい」だけでは実力とは言いがたいものがある。その企業内での実力とは何かを正しく定義しなければ、「実力主義」の導入は難しい。明確な尺度は、企業に損失を与えないのは当り前の能力であり、企業戦士としての当然の資質。それを実力としてはいけない。「企業にとって有益となる何かを残したか」「企業にとって有益となる何かを作り上げたか」を問うべきであろうと考える。
さらに、この尺度の評価に対しては「誰が評価するのか」ということを指摘する輩がいる。「誰々」という個人が評価をするものではない。評価は必然的についてくるものではないだろうか。その企業内の他者が必然的にその存在を認めてくる、それが本物の評価であると考えている。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

こういう話をすると類漏れなく批判が集中する。最近は、その批判がひとつの快感ともなっている自分が怖い。快感となっているが別に変態ではない。批判があると「会話ができる」から嬉しいのである。また、批判は、「自分の理念」に対する意見でもあるから「自分の理念」を問いただす機会にもなる。「理念のない仕事はしたくない」というのが本音であり、理念だけではなく行動力が伴わなければ「力」とはいえない、というのも信念である。簡単に表現すると、「理論知ばかりではなく、実践知を持ってこそ実力となっていく」ということであり、それが自分の究極の信念でもある。
さて、改めて問いたい。
「あなたはあなたの属する企業にとって有益となる何を残すことができる?」
「あなたが、『この指とまれ』と指を差し出した場合、とまってくれる人がいると確信できているか?」



ツラツラと哲学者のような内容を書き綴ったが、さらに一言付け加えたい。「どうすればうまくいくかではなく、うまくいかないときにどうするか」が「実力」のひとつではないかとも考えている。さて、自分自身を振り返り、これらのことを改めて自問自答をしてみよう…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと 5月の空と鯉のぼり 2010/05/01 12:00 am

5月の空と鯉のぼり



5月の空と鯉のぼり。この光景を、故岡本太郎さんは好きだったという。ある文献によると、「あんな大きな魚が空を泳ぐんだよ。凄いイマジネーションじゃないか」とのことだ。考えてみると、岡本さんの立ち位置はいつも子どものそばのような気がする。「表現欲」というのは一種の生命力で思いのほかに激しいもの。子どもの場合などをみると、非常によくわかる」とは『今日の芸術』(光文社)だ。表現スペース「子ども工房」(京都市北区)では、その生命力に触れることができると聞く。紙と絵の具に飽き足らず、多様な材料で表現を膨らませる子どもたち。見守る大人は決して「無理」と言わない。表現を通じて心を開放してほしいと願うからだという。



ある日、男の子が電車に見立てた硬い木に、車輪を通す穴を開けると言い出した。錐(きり)と格闘すること2時間。見事に穴が貫通した。その日以来、その子は泣かなくなった。これは「子ども工房」でのワンシーンだという。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

「それぞれのキラッと光るものを育て、自信をつけてあげたい」。人の模倣を強いられず、自由に表現できた喜び。それは成長した時に一歩踏み出す力になると、「子ども工房」は信じている。大切なのは、大人が子の「キラッ」に敏感になれるかだろう。ならば、大人こそ自由でありたい。岡本さんはそんな大人を「これはやってはいけないことだと思われるようなことこそ、大ていの場合、むしろやらなきゃいけないことである」(「芸術と青春」光文社)で励ます。この言葉を胸に、今年の「こどもの日」を過ごしてみたい…と、天を仰いで思うこと。

すみません しばらく更新を休みます


 

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天を仰いで思うこと 正念場 2010/04/28 12:00 am

念場



「正念」は仏教語で雑念を離れて仏道を思い念ずること。それが転じ正念場は、ここぞという大事な場面、歌舞伎などの重要な個所で演技者が一心に演ずべき場面の意となったという。「国民と一緒に新しい国民のための政治をつくりあげる正念場の一年だ」。仕事始めの日、鳩山由紀夫首相が並々ならぬ決意で年頭会見に臨んだのは記憶に新しい。政権発足から100日余り、大目に見てもらえる「蜜月」は過ぎたというのに国内外に難問が山積。景気、基地、献金の3Kに至っては、解決の糸口さえ見えない。



元日に東京都の失業者向け年越し宿泊施設を視察した首相は、厳しい現状を肌で感じたのだろう。会見で「命を守る」の言葉を繰り返していた。景気の二番底を招かぬよう、補正予算と本予算の早期成立に全力を尽くす、と強調したのは理解できる。普天間飛行場移設問題にも言及したのはいいが、「沖縄県民の気持ち」と「日米合意」両立の解を見つけられるか、不安が残る。偽装献金問題も「できる限り説明する」、使い道は「それなりの説明」では国民は納得すまい。首相が言うように政権交代は目的ではない、スタートだ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

国のかたちを変える前に足元の「政治とカネ」でつまずくようでは情けない。今、色々と揺れ動く政治の世界にとっては、ある意味での正念場だろう。かくゆう自分もひとつの正念場である…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと 悪魔の証明 2010/04/27 12:00 am

魔の証明
と、いっても自分のことではない。「ある」ことを証明するには具体的に一つを提示すればいいけれど、「ない」ことを証明するのは極めて難しく、これを「悪魔の証明」と呼んでいるらしい。



米公聴会でトヨタ自動車の豊田章男社長らが「悪魔の証明」を求められたのは記憶に新しいところだ。急加速したトヨタ車の電子制御システムに疑問が投げかけられ、「設計上の問題はない」と明言した。しかし、システムに異常が「ない」ことを証明するのは至難の業。これまでトヨタ社内や米当局の調査で誤作動は見つかっていないといい、あらゆる状況を想定し再現してみるのは不可能に近い。米公聴会の方も根拠を持っているわけではなく、結論が出るまで長い時間がかかりそうな雰囲気だ。いつの間にか自動車は、精密なコンピューターの指示で走るようになっていた。ブレーキやアクセルなど多くが、プログラムを書き込、だソフトウエアによって制御される。高度で複雑なブラックボックスとなり、トラブル原因がつかみにくい。



社会を便利にし、生活を快適にするコンピューター技術だがその中身はのぞき込んでもわからない。突然ストップしたり暴走すれば、専門技術者でも即座に手を出せないことがある。それでも毎日、起動ボタンを押さなければ、社会は動かない。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

いつも使っているパソコンも時には暴走。原因がサッパリ分からないことも多々ある。便利だけれどそれは自分の意図するとおりに動いているときだけの感情。ひとたび意図しない動きをしだすとたちまち不便・厄介な存在に変身する。厄介な時代だが、賢く向き合うしかない。苦しみながらも今日もなんとかブログの更新ができた。「時間がない」と苦しんでいるが、更新しているということは「時間がある」という証明をしてしまっているようだ。究極に切羽詰まったら、更新をしないということで、「悪魔の証明」をしよう…と、天を仰いで思うこと。


 

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