rrbのブログ - 今京都のエントリ
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今京都 光悦茶会 2011/11/13 12:00 am
光悦茶会
11月11日からおこなわれる本阿弥光悦(ほんあみこうえつ・1558〜1637)をしのぶ茶会。本阿弥光悦は刀剣の手入れや鑑定を業とする家に生まれるが、その本業とともに書画、陶芸、蒔絵など芸術全般に才能を開花させ、各分野の職人らを引きつれ鷹峰(たかがみね)の地を徳川家康から拝領して芸術村を開いた。法華宗徒であった光悦がそのなかに建てた法華題目堂がのちに光悦寺になった。
寺内には大正初期、太虚庵、本阿弥庵などの茶室が建てられ、東京、大阪、京都、金沢などの美術商でつくる団体が茶会をひらいた。それが今日まで光悦茶会としてつづく。

光悦寺も自転車で行ける距離だ。しかし、鷹峰街道の坂は厳しく、自転車で登りきるには、相当の脚力が必要だ。最近の電動自転車であれは楽々だろうに…という『きょうの京都』の今京都。

11月11日からおこなわれる本阿弥光悦(ほんあみこうえつ・1558〜1637)をしのぶ茶会。本阿弥光悦は刀剣の手入れや鑑定を業とする家に生まれるが、その本業とともに書画、陶芸、蒔絵など芸術全般に才能を開花させ、各分野の職人らを引きつれ鷹峰(たかがみね)の地を徳川家康から拝領して芸術村を開いた。法華宗徒であった光悦がそのなかに建てた法華題目堂がのちに光悦寺になった。
寺内には大正初期、太虚庵、本阿弥庵などの茶室が建てられ、東京、大阪、京都、金沢などの美術商でつくる団体が茶会をひらいた。それが今日まで光悦茶会としてつづく。

光悦寺も自転車で行ける距離だ。しかし、鷹峰街道の坂は厳しく、自転車で登りきるには、相当の脚力が必要だ。最近の電動自転車であれは楽々だろうに…という『きょうの京都』の今京都。


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今京都 芭蕉忌 2011/11/12 12:00 am
芭蕉忌
俳聖松尾芭蕉が、1694(元禄7)年、旅先の大坂で病にたおれ、門人たちのはからいで御堂前花屋仁右衛門の貸座敷に臥す。そこで、「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」の句を残す。辞世とせず病中吟とした。その後、10月12日、51歳の生涯を閉じる。
芭蕉堂は1783(天明3)年に高桑闌更(たかくわらんこう)が建てて以来、11月12日に芭蕉をしのぶ連句の会を催している。堂内に蕉門十哲のひとり森川許六の作といわれる芭蕉の小像を安置して、法要をおこなったのち、参列者による連句一巻三十六句の奉納をする。

俳句という文学は最近はどうなっているのだろう。小学生俳句会などを時折見かけるが、文化の移ろいは否定できないのかな…という『きょうの京都』の今京都。

俳聖松尾芭蕉が、1694(元禄7)年、旅先の大坂で病にたおれ、門人たちのはからいで御堂前花屋仁右衛門の貸座敷に臥す。そこで、「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」の句を残す。辞世とせず病中吟とした。その後、10月12日、51歳の生涯を閉じる。
芭蕉堂は1783(天明3)年に高桑闌更(たかくわらんこう)が建てて以来、11月12日に芭蕉をしのぶ連句の会を催している。堂内に蕉門十哲のひとり森川許六の作といわれる芭蕉の小像を安置して、法要をおこなったのち、参列者による連句一巻三十六句の奉納をする。

俳句という文学は最近はどうなっているのだろう。小学生俳句会などを時折見かけるが、文化の移ろいは否定できないのかな…という『きょうの京都』の今京都。


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今京都 西陣の日 2011/11/11 12:00 am
西陣の日
今宮神社の境内には「杼(ひ)」に似せた石柱の立つ「織姫神社」がある。
祭神は七夕の話の織姫に機織を教えたという栲幡千戦姫命(はくはたちぢひめのみこと)で、江戸時代に今宮神社の氏子連である西陣の機業家が創建した。
11月11日は「西陣」(山名宗全の本陣)の名があらわれた応仁の乱が終息して、西陣に活気がもどった日として神事をおこなう。
西陣の発展と先人らの偉業を讃える。1969(昭和44)年から西陣織の業界団体によってはじめられたという。

西陣界隈は住んでいるところであるが、以前には聞こえていた機織の音が、最近では聞けなくなったように気がする。建物の普請が進んで音が漏れなくなったのか、それとも廃れているのか定かではないが、一説には件数は減っていると聞く…という『きょうの京都』の今京都。

今宮神社の境内には「杼(ひ)」に似せた石柱の立つ「織姫神社」がある。
祭神は七夕の話の織姫に機織を教えたという栲幡千戦姫命(はくはたちぢひめのみこと)で、江戸時代に今宮神社の氏子連である西陣の機業家が創建した。
11月11日は「西陣」(山名宗全の本陣)の名があらわれた応仁の乱が終息して、西陣に活気がもどった日として神事をおこなう。
西陣の発展と先人らの偉業を讃える。1969(昭和44)年から西陣織の業界団体によってはじめられたという。

西陣界隈は住んでいるところであるが、以前には聞こえていた機織の音が、最近では聞けなくなったように気がする。建物の普請が進んで音が漏れなくなったのか、それとも廃れているのか定かではないが、一説には件数は減っていると聞く…という『きょうの京都』の今京都。


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今京都 大田神社の里神楽 2011/11/10 12:00 am
大田神社の里神楽
宮中でおこなわれる御神楽に対して、村里や村社でおこなわれるひなびた神楽を「里神楽(さとかぐら)」というが、上賀茂神社の境外末社である大田神社の里神楽は、御神楽の原初の形といわれている。
高齢の男女二人ずつで、太鼓や小鼓、銅拍子(真鍮などで造り、指にはさんで鳴らすもの)にあわせて舞う。この日は大田神社の秋祭である。

日々、秋めいているが紅葉はまだまだのようだ。今年の紅葉はどうなのだろうか。近年、「綺麗」と感動するような紅葉に出会っていないように思うのは気のせいか
本は好きで東京の神田は徘徊したこみとがあるのだが…という『きょうの京都』の今京都。

宮中でおこなわれる御神楽に対して、村里や村社でおこなわれるひなびた神楽を「里神楽(さとかぐら)」というが、上賀茂神社の境外末社である大田神社の里神楽は、御神楽の原初の形といわれている。
高齢の男女二人ずつで、太鼓や小鼓、銅拍子(真鍮などで造り、指にはさんで鳴らすもの)にあわせて舞う。この日は大田神社の秋祭である。

日々、秋めいているが紅葉はまだまだのようだ。今年の紅葉はどうなのだろうか。近年、「綺麗」と感動するような紅葉に出会っていないように思うのは気のせいか
本は好きで東京の神田は徘徊したこみとがあるのだが…という『きょうの京都』の今京都。


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今京都 北山時雨 2011/11/09 12:00 am
北山時雨
北風が京都盆地の北の峰々にぶつかって、雨を降らせ、そののこりが山を越して、麓にパラパラとおちてくる.冷たい短時間の雨も「北山時雨」という。
薄い雲がビロードの衣のように山にかかり、風に舞うように近づいてくる。いま少し前まで晴れていたのに、と思う間もないほどで、寺の山門や本堂の軒をかりることになる。
そんな情景を平安家人は好んで詠んだし、のちの俳人にも句の題材にした。
「比叡あたご雲の根透けり村時雨」言水
「片しぐれ幾日つづくぞ小町寺」麦水

北山時雨には、他にも「寒さでひもじい」という感情を表わすと聞く。この時期は「雨」の日は陽気があったとしても肌寒いのが京都の特徴かも知れない。先日の雨も建物の中にいるにもかかわらず寒さを感じた。秋は「冬隣」というが言いえて妙だと思う…という『きょうの京都』の今京都。

北風が京都盆地の北の峰々にぶつかって、雨を降らせ、そののこりが山を越して、麓にパラパラとおちてくる.冷たい短時間の雨も「北山時雨」という。
薄い雲がビロードの衣のように山にかかり、風に舞うように近づいてくる。いま少し前まで晴れていたのに、と思う間もないほどで、寺の山門や本堂の軒をかりることになる。
そんな情景を平安家人は好んで詠んだし、のちの俳人にも句の題材にした。
「比叡あたご雲の根透けり村時雨」言水
「片しぐれ幾日つづくぞ小町寺」麦水

北山時雨には、他にも「寒さでひもじい」という感情を表わすと聞く。この時期は「雨」の日は陽気があったとしても肌寒いのが京都の特徴かも知れない。先日の雨も建物の中にいるにもかかわらず寒さを感じた。秋は「冬隣」というが言いえて妙だと思う…という『きょうの京都』の今京都。

