rrbのブログ - 今京都のエントリ
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今京都 新嘗祭 2011/11/23 12:00 am
新嘗祭
古くは新嘗祭、いまは勤労感謝の日。旧祝祭日は戦前にあった「祝日」と「大祭日」で、祝日は四大節、大祭日は「元始祭」(1月3日)、「新年宴会」(1月5日)、「春季皇霊祭」(春分の日)、「神武天皇祭」(11月23日)、「大正天皇祭」(12月25日)だった。
新嘗祭は、農業国日本としては重要な儀式とされていて、天皇は新穀を天神地祇(てんじんちぎ)にすすめて神を祀り、自らも食する。飛鳥時代の皇極天皇の世からはじまるというその年の収穫に感謝するもの。
伏見稲荷大社や石清水八幡宮などで神事がおこなわれる。

勤労感謝の日に仕事。働けることに感謝をしながら一生懸命働くことにしよう…という『きょうの京都』の今京都。

古くは新嘗祭、いまは勤労感謝の日。旧祝祭日は戦前にあった「祝日」と「大祭日」で、祝日は四大節、大祭日は「元始祭」(1月3日)、「新年宴会」(1月5日)、「春季皇霊祭」(春分の日)、「神武天皇祭」(11月23日)、「大正天皇祭」(12月25日)だった。
新嘗祭は、農業国日本としては重要な儀式とされていて、天皇は新穀を天神地祇(てんじんちぎ)にすすめて神を祀り、自らも食する。飛鳥時代の皇極天皇の世からはじまるというその年の収穫に感謝するもの。
伏見稲荷大社や石清水八幡宮などで神事がおこなわれる。

勤労感謝の日に仕事。働けることに感謝をしながら一生懸命働くことにしよう…という『きょうの京都』の今京都。


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今京都 報恩講 2011/11/22 12:00 am
報恩講
この時期、浄土真宗の各本山で宗祖親鸞の遺徳をしのぶ「報恩講」が開催され、28日の親鸞の忌日まで続けられる。東本願寺、仏光寺、興正寺などでおこなわれるが、西本願寺では親鸞の命日を新暦にあらため1月16日とするところから、1月の開催となる。
宗門では最大の儀式で、東本願寺は全国から集まる門徒衆でごったがえす。
21日午後2時の逮夜法要からはじまり、25日には宗祖の生涯を描いた「御伝鈔(ごでんしょう)」の拝読があり、28日の結願の日には、僧侶が体を前後にゆらして読経する「板東曲」(親鸞の配流の状況をあらわす)が唱えられる。

いきなり寒くなったから体調管理が大変だ。風邪をひかないように気をつけたい…という『きょうの京都』の今京都。

この時期、浄土真宗の各本山で宗祖親鸞の遺徳をしのぶ「報恩講」が開催され、28日の親鸞の忌日まで続けられる。東本願寺、仏光寺、興正寺などでおこなわれるが、西本願寺では親鸞の命日を新暦にあらため1月16日とするところから、1月の開催となる。
宗門では最大の儀式で、東本願寺は全国から集まる門徒衆でごったがえす。
21日午後2時の逮夜法要からはじまり、25日には宗祖の生涯を描いた「御伝鈔(ごでんしょう)」の拝読があり、28日の結願の日には、僧侶が体を前後にゆらして読経する「板東曲」(親鸞の配流の状況をあらわす)が唱えられる。

いきなり寒くなったから体調管理が大変だ。風邪をひかないように気をつけたい…という『きょうの京都』の今京都。


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今京都 一休寺開山忌 2011/11/21 12:00 am
一休寺開山忌
一休宗純はとんちの一休さんである。後小松天皇のご落胤として1394(応永元)年に生まれ、竹の寺(地蔵院)で育ったという。6歳で出家し天龍寺や建仁寺でも修行。のちに滋賀堅田の祥瑞庵に隠棲していた華叟宗曇(かそうそうどん)に師事、一休の号をあたえられ、27歳のとき琵琶湖岸で坐禅して、鴉(からす)の鳴き声で大悟する。
その後、各地を転々とすると同時に禅僧としての名は高まり、大徳寺四十七世となる。しかし、大徳寺には住まず、自身が再興した京田辺の酬恩庵(しゅうおんあん・一休寺)から出なかった。晩年には盲目の美女を侍らせ、自由奔放に生きた。1481(文明13)年11月21日、88歳で示寂した。

トンチの一休は有名であるが、トンチというより屁理屈という印象がある。しかし、頭の回転は漫画で見る限り良さそうだ。それにしても昔の著名人は逸話がたくさんある。現代においてはどうなんだろう。現代に生きている人もやがては伝説人になるのだろうか。その対象となる人物は…と考えるが、先日、亡くなったスティーブン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs)氏しか思いつかないな…という『きょうの京都』の今京都。

一休宗純はとんちの一休さんである。後小松天皇のご落胤として1394(応永元)年に生まれ、竹の寺(地蔵院)で育ったという。6歳で出家し天龍寺や建仁寺でも修行。のちに滋賀堅田の祥瑞庵に隠棲していた華叟宗曇(かそうそうどん)に師事、一休の号をあたえられ、27歳のとき琵琶湖岸で坐禅して、鴉(からす)の鳴き声で大悟する。
その後、各地を転々とすると同時に禅僧としての名は高まり、大徳寺四十七世となる。しかし、大徳寺には住まず、自身が再興した京田辺の酬恩庵(しゅうおんあん・一休寺)から出なかった。晩年には盲目の美女を侍らせ、自由奔放に生きた。1481(文明13)年11月21日、88歳で示寂した。

トンチの一休は有名であるが、トンチというより屁理屈という印象がある。しかし、頭の回転は漫画で見る限り良さそうだ。それにしても昔の著名人は逸話がたくさんある。現代においてはどうなんだろう。現代に生きている人もやがては伝説人になるのだろうか。その対象となる人物は…と考えるが、先日、亡くなったスティーブン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs)氏しか思いつかないな…という『きょうの京都』の今京都。


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今京都 大福梅 2011/11/20 12:00 am
大福梅
初夏に収穫した梅の実をこのころ正月の縁起物として袋詰めする作業が北野天満宮ではじまる。約3トンの天日干しされた梅のみを六個一袋で三万袋ほどつくる。正月にその梅を白湯に入れて飲むとその年は無病息災で過ごせるという。
その起源は村上天皇(在位946〜67)が病に臥せったとき、これを飲んだら回復をえて、「王服」の茶とし、のちに「大福」の字をあてたとされる。
空也上人が951(天暦5)年に疾病で苦しむ庶民に茶と梅と昆布を混ぜてあたえて掬った「皇服茶(おうぶくちゃ)」の話は六波羅蜜寺に残る。
なお「大福梅」は「おおふくうめ」と読む。

梅は健康にいいとされる。祖母は申年によく梅をつけていた。申年の梅は病気に利くとされ、その壺には日常は手を出さない。そんな記憶がある。また、自分の中で毎日のように飲んでいるのが梅干紅茶だ。カップに梅干を一粒入れ、ティーパックを入れる。そこに湯を注ぐだけなのだが、注意は紅茶を入れた後に梅干を入れてはダメだということ。あくまでも同時。紅茶を飲み干した後にパクッと梅干を食べればよい。効能は血液をサラサラにしてくれる。一度お試しあれ…という『きょうの京都』の今京都。

初夏に収穫した梅の実をこのころ正月の縁起物として袋詰めする作業が北野天満宮ではじまる。約3トンの天日干しされた梅のみを六個一袋で三万袋ほどつくる。正月にその梅を白湯に入れて飲むとその年は無病息災で過ごせるという。
その起源は村上天皇(在位946〜67)が病に臥せったとき、これを飲んだら回復をえて、「王服」の茶とし、のちに「大福」の字をあてたとされる。
空也上人が951(天暦5)年に疾病で苦しむ庶民に茶と梅と昆布を混ぜてあたえて掬った「皇服茶(おうぶくちゃ)」の話は六波羅蜜寺に残る。
なお「大福梅」は「おおふくうめ」と読む。

梅は健康にいいとされる。祖母は申年によく梅をつけていた。申年の梅は病気に利くとされ、その壺には日常は手を出さない。そんな記憶がある。また、自分の中で毎日のように飲んでいるのが梅干紅茶だ。カップに梅干を一粒入れ、ティーパックを入れる。そこに湯を注ぐだけなのだが、注意は紅茶を入れた後に梅干を入れてはダメだということ。あくまでも同時。紅茶を飲み干した後にパクッと梅干を食べればよい。効能は血液をサラサラにしてくれる。一度お試しあれ…という『きょうの京都』の今京都。


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今京都 宗旦忌 2011/11/19 12:00 am
宗旦忌
この日は、千宗旦(1578〜1658)の命日として法要と追善の茶会が裏千家で多数の門人が列席するなか、おこなわれる。
千宗旦は、千利休の婿養子小庵の子で、はじめ大徳寺に入り修行をしていたが、祖父利休の死により、家にもどり、父小庵とともに千家の再興を担った。生涯清貧にあまんじ、四人の子のうち三人を表千家(宗左)、裏千家(宗室)、武者小路家(宗守)を育てた。茶事においては、禅味を強調し、金森宗和と比較され、「乞食(わび)宗旦、姫(ひめ)宗和」といわれた。
12月19日が命日だが、現在はひと月繰り上げておこなわれている。

お茶といえば「抹茶」だ。その抹茶はもちろんだが、煎茶・玉露も手ほどきを受けた。自分の中では「玉露」が楽しい。茶器もこじんまりとしてカワイイから好きだ。最近は紅茶・中国茶も嗜むようになった。抹茶、煎茶・玉露、紅茶、中国茶という4種では、中国茶、紅茶、煎茶・玉露、抹茶という順番になるかな…という『きょうの京都』の今京都。

この日は、千宗旦(1578〜1658)の命日として法要と追善の茶会が裏千家で多数の門人が列席するなか、おこなわれる。
千宗旦は、千利休の婿養子小庵の子で、はじめ大徳寺に入り修行をしていたが、祖父利休の死により、家にもどり、父小庵とともに千家の再興を担った。生涯清貧にあまんじ、四人の子のうち三人を表千家(宗左)、裏千家(宗室)、武者小路家(宗守)を育てた。茶事においては、禅味を強調し、金森宗和と比較され、「乞食(わび)宗旦、姫(ひめ)宗和」といわれた。
12月19日が命日だが、現在はひと月繰り上げておこなわれている。

お茶といえば「抹茶」だ。その抹茶はもちろんだが、煎茶・玉露も手ほどきを受けた。自分の中では「玉露」が楽しい。茶器もこじんまりとしてカワイイから好きだ。最近は紅茶・中国茶も嗜むようになった。抹茶、煎茶・玉露、紅茶、中国茶という4種では、中国茶、紅茶、煎茶・玉露、抹茶という順番になるかな…という『きょうの京都』の今京都。

