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rrbのブログ - 今京都のエントリ

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今京都 こんな狛も…ある 2016/05/17 12:00 am

大豊神社(おおとよじんじゃ)には、他に、火伏せの狛鳶(とび)の愛宕社、鬼門除けの狛猿の日吉社、商売繁昌のお稲荷さんもお参りできる…という今京都。








《京都・左京区鹿ケ谷・大豊神社》

ちょっとピントが甘い? ここ、もう一度のんびりと行こうね

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今京都 大豊神社(おおとよじんじゃ) 2016/05/16 12:00 am

大豊神社は、狛犬ならぬ狛ネズミがある小さな神社。この神社は、889年に宇多天皇の病気平癒の祈願のために創建された、古い歴史のあるお社。狛ネズミがつくられたのは、ずっと新しく1969(昭和44)年のこと。大国主命(おおくにぬしのみこと)が野火に囲まれ困っているとき、ネズミが洞穴に導いて命を救ったという『古事記』の記述に依っている。

全国にある約8万社の神社のうち、狛ネズミがあるのはここだけ。実際に行ってみると、大豊神社は東山の住宅地にある小さな神社で、狛ネズミ以外にとくに見所があるわけではない。それでも狛ネズミの愛らしい姿を見ると、満足するから不思議だ。

向かって右のネズミは雄で、学問を象徴する巻物を持っている。学業成就のご利益があるとされている。
向かって左のネズミは雌で、万物の根源である水玉を抱えている。あるいは、お神酒を抱えているとか、子宝をはぐくんでいるという説もある。また、無病息災のご利益があるとされている…という今京都。






《京都・左京区鹿ケ谷・大豊神社》

狛が話しかけてきそうな雰囲気だね

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今京都 哲学の道 2016/05/12 12:00 am

京都・東山の麓に哲学の道と呼ばれる絶好の散策スポットがある。南は永観堂の北東方向の若王子神社あたりから始まり、北は銀閣寺まで続く疎水に沿った散歩道。

京都疎水は明治時代の京都の一大事業として作られた人工の水路。南禅寺の水路閣も疎水の水を流すために作られたもの。哲学の道に流れている疎水は大津で取水されたあと長いトンネルを経て蹴上(けあげ)に到達。蹴上から分水して北上する疎水が南禅寺水路閣を経て哲学の道に流れている。

哲学の道は、疎水の西側に散歩用の石畳が敷かれ、日本の道百選にも選ばれている散歩には最適の道。南禅寺から銀閣寺に至る疎水は、桜がたくさん植えられ春は桜、秋は紅葉で散歩する人を和ませてくれる。

京都の哲学者、西田幾多郎がこの道を思索にふけりながら散歩していたことから「思索の小径」と言われていた。その後、西田幾多郎の愛弟子田辺元や三木清らも好んでこの道を散策したことからいつしか「哲学の道」とも言われるようになり、1972年に正式に「哲学の道」と銘々された。

哲学の道のなかほど、法然院のそばには西田幾多郎が詠んだ歌「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」が石碑に刻まれている…という今京都。




《京都・哲学の道》

ここは蛍でも有名。もう少ししたら蛍も飛ぶね

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今京都 日数を限って祈願/安祥院・日限地蔵(ひぎりじぞう) 2016/05/09 12:00 am

観光客でにぎわう京都市東山区の五条坂。その途中にある安祥院は、通称「日限(ひぎり)さん」と呼ばれる。境内の西側に立つ地蔵堂に「日限地蔵」が安置され、日を限って願い事をすると開運、厄よけ、安産など諸願がかなうと伝わる。

高さ2.6mの金銅製で、おだやかな表情を見せる。地蔵の背面には、安祥院をこの地に建立した正禅上人が1730(享保15)年に作った、と刻まれている。1728(享保13)年、霊元法皇の女官が病気で亡くなった時、正禅上人が供養した。その後、法皇は上人から地蔵建立の願いがあることを聞き、白銀や鏡を寄進し、それが基で地蔵ができたという。いつから、なぜ日限地蔵と親しまれるようになったのかは定かではないが、明治前期に亡くなった住職のころに、名前が広まったのではないかと推測されている。

地蔵堂の壁には「謝恩」と題した額が掛かる。1928(昭和3)年に夫婦とみられる京都市内の2人が、13歳の女性の病気治癒を感謝したものだという。内容は「○○は6年間にわたり、骨折によってうみが出る難病を患い、人為のすべてを尽くしても治せなかった。昭和3年4月に日限地蔵に『本年中に治癒してください』と祈願すると、不思議なことにその年の10月15日にうみが出るのが止まった」という。

願いごとで限る日数は特に定められておらず、願う人が決めるという。寺で祈願を受け付けて住職が代わりに念じることもある。住職は約20年間にわたり、参拝者の願いや悩みを聞いてきた。内容は、昔から変わらず健康や恋愛などが多いが、時代を反映してか、近年は人間関係のトラブルも増えているという。人には努力で動かしがたいことがある。その時には、お地蔵さんの後押しを願うしかない。地蔵堂にいくつも飾られたお礼のよだれ掛けや提灯が、地蔵への信仰のあつさを今に伝える。

また正禅上人は草根木皮を常食とする難行を行い、安祥院の本尊の阿弥陀(あみだ)如来像を含む「洛陽六阿弥陀巡拝」を創設した。さらに境内にある高さ10mの山桜は京都市の保存樹に指定されている…という今京都。




《京都・安祥院》

日を限ってのお願い、rrbは何を祈願した? まさか写真撮りに行っただけではないよね?

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今京都 くぐりなはれ 2016/05/05 12:00 am

以前に掲載した京都・祇園・安井神社。縁を切りたい人、結びたい人、遠慮なく、くぐりなはれ。それにしても圧倒的に女性が多い。どういうこと?…という今京都。









また写真が増えている…あっ、3、4、5と日に合わせた枚数! GW特集のつもりね、了解!

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