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rrbのブログ - 今京都のエントリ

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今京都 断崖絶壁 2008/05/06 12:06 am

んがいぜっぺき…険しく切り立った崖。また、そのように差し迫った危険な状態。
◇ちょっと予備知識 → 「断崖」「絶壁」は共に、まっすぐに切り立った険しい崖のこと。

者殿社(かんじゃでんしゃ)
歳末大安売りの起源は京都にあるという。西日本を中心に「誓文払い」とも呼ばれるが、京都市下京区四条通寺町東入ルの八坂神社御旅所に隣接する冠者殿社がそのルーツだということは以前に記載(←クリック)した。今回はちょっと違った視点から取り上げてみる。



同社は八坂神社の境外末社で、祭神はスサノオノミコト。姉のアマテラスオオミカミと誓約を交わしたという神話から、誓文の神様として祭られている。一方で地元では、平安時代末期、源義経を襲い、返り討ちにあった土佐坊昌俊の霊を祭ったとも伝わる。



源頼朝の命を受けた土佐坊は1185(文治元)年、六条堀川に滞在していた義経の夜襲を計画したが発覚、武蔵坊弁慶に捕まってしまった。土佐坊は暗殺の意思が無いと誓紙に書いたが、その日のうちに誓いを破り夜討ちをかけた。しかし暗殺は失敗、土佐坊は処刑された。



誓文の神様と、誓いを破った土佐坊の双方が祭られ、近世以後は契約にかかわりが深い商人から信仰を集めるようになったという。
昔の社会通念では、商売上の駆け引きで契約を破ったり、安い品を高く売り利益を得ることに罪の意識を感じていたのであろうと想像する。



毎年10月20日の同社祭日には多くの商人が参拝し、その罪の意識をお払いする。参拝後に大安売りを行い、神事の誓文払いがそのまま年末の大安売りの代名詞となり全国に広がった。同社の誓文払いは戦前までは盛大だったが、戦後の混乱で廃れ、八坂神社が神事だけを行っていた。



最近、復活に向けた取り組みが始まった。同社のある御旅町は約20年前に誓文や商売の神様と知り、「粗末にはできない」と1994(平成6)年から月一度の掃除を始めた。
参加者は徐々に増え、2000(平成12)年からは「誓文払いを復活させよう」と大安売りの代わりに、振る舞い酒と福引も始めた。



八坂神社の社殿のひとつで烏丸通高辻の八坂神社大政所御旅所にあったが、1592(文禄元)年に豊臣秀吉の命令で万寿寺通高倉に移転した後、現在の地に社を移した。
幕末期には、馴染み客をつなぎ止めるために偽の恋文をしたためた祇園の遊女が、ここで偽りの恋心を払ったという。



最近は産地や原材料、賞味期限の改ざん、使いまわしなど商人のモラルが問われている。
「神様は見ている。商人の心意気だけは忘れてはいけないのでは」と思わず冠者殿社に手を合わせた…今京都。


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今京都 我田引水 2008/05/05 12:18 am

でんいんすい…周りのことは考えないで、自分の利益になるように物事を取り計らうこと。自分の都合のよいように段取りすること。
◇ちょっと予備知識 → 自分の田だけに水を引き入れるということから。
                類義語に牽強付会(けんきょうふかい)・手前勝手(てまえかって)がある。

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今京都 甲論乙駁 2008/05/04 12:09 am

うろんおつばく…互いが持論を主張し合って譲らず、議論がまちまらないこと。
◇ちょっと予備知識 → 甲が論じると、乙がそれに反駁するというように、結論がなかなかまとまらないという意。
                類義語に議論百出(ぎろんひゃくしゅつ)・諸説紛紛(しょせつふんぷん)がある。
                対義語は衆議一決(しゅうぎいっけつ)・満場一致(まんじょういっち)。

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今京都 天網恢恢 2008/05/03 12:13 am

んもうかいかい…些細な悪事でも、天は決して見逃さずに罰を加えるということ。悪いことはするものではないという戒め。
◇ちょっと予備知識 → 「天網」は悪人を捕まえるために天が張りめぐらした網。
                「恢恢」は網の目の粗いこと。一般的に「天網恢恢疎にして漏らさず」の形で使う。
                類義語に天罰覿面(てんばつてきめん)・網目不疎(もうもくふそ)がある。
                対義語は天網之漏(てんもうのろう)。

町通
新旧の民家が立ち並ぶ「小町通」。



南北に延びる細い私道で、長さ100m弱という短さにもかかわらず名前が付いているのは、謡曲にもなった伝説が残るためだという。



平安時代、ともに六歌仙の一人とされた小野小町と大伴黒主が歌合わせをすることになった。小町の名声をねたむ黒主は本番前夜、小町邸で歌を盗み聞き、万葉集が記された草紙に書き加えた。



そして当日。
黒主は草紙を見せて小町の歌を「盗作だ」と批判する。しかし、計略を見抜いた小町は草紙を井戸で洗った。すると、加筆された部分が洗い流され、小町は身の潔白を証明できた。



小町通の南端、一条通との北西角には高さ約50cmの石碑が立つ。側面に「小町通」「小野小町雙紙(そうし)洗水遺跡」と刻まれ、伝説を今に伝える。



紙を洗った水は京の名水の一つ「清和水」とされるが、井戸の正確な場所を知る人は少ない。
一条通は昔、川。このあたり一帯は掘れば水が出て、井戸も随所にあった。ただ、小町が使った井戸がどこにあったのか、確かなことは分からないという。



伝説は謡曲「草紙洗小町」として知られ、近くの一条戻橋も謡曲の舞台となっており、訪れる人は少なくないという。
一帯には小町の邸宅やゆかりの塔もあったとされる。



真偽は定かでなくても、小さな通りが地域の誇りや愛着につながっている。
小町通は、京都市上京区東堀川通一条を東に50mほどの場所から北に延びる。



京都市バスでは「一条戻り橋」下車。小町通の石碑の近くには、宮本武蔵との決闘で有名な吉岡一門の道場にあったとされる「一条下り松」の跡を示す石碑も立っている。写真は全て小町通から…今京都。


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今京都 先見之明 2008/05/02 12:06 am

んけんのめい…将来のことを前もって見抜く、鋭い眼力。事が起こる前に見抜く見識。天眼通。
◇ちょっと予備知識 → 「明」は、ものを見分ける眼識。
                類義語に先見之識(せんけんのしき)がある。

つけ
京都では、親が子を叱るときに「○○さんにおこられるから、やめとき」という言葉を大変よく使う。これが京都以外の地方の人には「責任を転嫁して子どもを甘やかしている」ように聞こえるという。
しかし、決してそうではない。本当は人様に迷惑がかかるからいけないという意味で使われる強い叱り言葉なのである。



たとえば人様のお家で子どもが走り回ったとすると、「おっちゃんがおこらはるさかい、やめとき」という。子どもが走り回ること自体が悪いといっているのではなく、「走り回ることで人様に迷惑をかけることになるからいけない」としつける。ここが大事なポイントなのである。



親子で買いものに行き、そのお店で子どもが商品にさわろうとしたときも、「お店のもん(商品)にさわったらあきまへん。お店の人におこられまっせ」と叱る。
子どももこう叱られることで、「お店に迷惑がかかるのだ」ということを感覚的に理解する。



もし万が一、子どもがさわったことで商品が破損したような場合、親御さんはどういった行動にでるのか。
子どもに対して「あやまりなさい」と強く叱るのが普通だが、京都では子どもに謝らせるより、まず親がキチンと謝る。



それが人様に対するより深い謝罪だと思っているし、子どもも真剣に謝罪する親の姿を見て本当に深く反省するのだという。
決して親は親、子は子といった考え方ではない。こういう考え方は現代的ではないかもしれないが、これが京都のしつけなのである。



誤解されては困るのが、この「○○さんにおこられるからやめとき」ということばは、怒られなければ何をしてもよいという意味ではないということ。また「上司におこられるからやめておく」といった大人同士の会話ともまったく異質のもの。子どもに対する「しつけ」のことば以外の何ものでもない。



よく似たことばに「そんなことしたら○○さんに笑われるで」というのがあり、これも同じく「しつけ」であり、決して責任転嫁ではない。
京都の町は、人様の目を意識したり、意識させることで、何が人様に迷惑となり、何が人として恥ずかしいことなのかを自然と覚え込めるようにしつけている。



この「おこられるからやめとき」ということばは、子育ての一つの知恵ともいえるが、子を思う親の愛の深さでもあると思う。こんなところから京都の子どもたちは京都人としての素地をしっかりと身に着けていくという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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