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rrbのブログ - 今京都のエントリ

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今京都 高論卓説 2008/05/11 12:07 am

うろんたくせつ…凡人では及びもつかない優れた意見。卓越した主張。卓見。高説。
◇ちょっと予備知識 → 「卓」は、優れてぬきんでていること。他人の意見などに対して、敬っていう語。
                類義語に高論名説(こうろんめいせつ)・名論卓説(めいろんたくせつ)がある。

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今京都 時代錯誤 2008/05/10 12:11 am

だいさくご…いつまでも昔ふうのものに固執すること。考えや行動などが時流に合っていないこと。時代遅れ。アナクロニズム。
◇ちょっと予備知識 → 「錯誤」は認識が誤っていること。

野天満宮 大黒天燈籠
学問の神様を祭る北野天満宮を訪れたその日は梅の季節に入り、多くの参拝者で賑わっていた。



国宝の社殿をはじめ、境内には重要文化財も多いが、あまり知られていない隠れたスポットもある。石燈籠の台座に浮き彫りされている「大黒天」もその一つ。天神さんの七不思議(七不思議については、また別の機会に掲載する予定)にも数えられる。



高さ30cm、幅60cmの大黒さんは、ずきんをかぶり、右手に小づち、左手に米俵を抱える。特徴は大きく開けた口。この中に、落ちないように小石を置くことができると、願い事がかなうという。



試みたが、なかなかうまく納まらない。それもそのはず。直径2cmほどの小さな穴が左右に並んだ口の部分は、下に向かって傾いている。
その上、度重なる挑戦のせいか、表面は磨かれたようにつるつるで滑りやい。「できた」と思い手を離すと、とたんに落ちてしまう。



燈籠の正式な寄進記録はないという。手掛かりは「大黒組」「安政二歳(一八五五年) 十月吉日」と刻まれた記銘だけだ。



話によると、その当時、河原町に大黒屋という質商があった。ある時、木彫りの大黒天像を手に入れて祭ったところ、商売が繁盛したという。この大黒屋を中心とした質商組合「大黒組」が商売繁盛を願って、寄進したとみられている。



では、口に小石を入れるようになったのはどうしてだろう。誰が、どのようにして始めたのか分からない。
当初は「お金がたまる」「商売が繁盛する」という願いが込められた民間信仰だった。成功した小石を財布に入れておくと「お金がたまる」という説もあり、修学旅行の時期には生徒が列をつくって試みる姿も見られるという。



訪れたこの日は入試シーズンとあって、境内には受験生とみられる若者の姿もあった。なでたところが良くなると伝わる「神牛の像」の頭を触っている人は見掛けても、燈籠の前に足を運ぶ人はいない。「滑って、落ちてしまう」のは、やはり受験生にとっては縁起が悪いということか…。



大黒さんの石燈籠は重要文化財「三光門」の東南に位置する。ちょっと時季が過ぎた掲載になってしまったが、それもまた一興かと。それにしても「願いを込め口に小石」は、何度試みても滑り落ちてしまう…今京都。


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今京都 九牛一毛 2008/05/09 12:04 am

ゅうぎゅういちもう…たくさんのもののうち、ほんのわずかな部分。ごく少数のもの。些細で取るに足りないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「九牛」はたくさんの牛。多くの牛に生えた、たくさんの毛の中の一本の意。
                類義語に滄海一滴(そうかいいってき)・滄海一栗(そうかいいちぞく)・
                大海一滴(たいかいいってき)がある。

げくのはて
「あげくのはてに…」といわれると、そのあとにあまりいい話は予想できない。だいだい失敗談やら、行き過ぎた困った話が多いのだが、実はその手の話ほど聞いていて面白かったりする。



「あげくのはて」を広辞苑でみると「挙句の果て」とでている。その意味は「最後の最後。とどのつまり。結局」。しかし、この「挙句」の漢字づかいは間違いで「揚げ句」あるいは「揚句」でなければならないという人がいる。ちなみに広辞苑でも「あげく」だけを見ると「挙句・揚句」と両方の漢字が使われている。



「あげく」は「挙句」ではない「揚句」であるとする人々の根拠は、その語源が連歌・連句にあるからだという。
すなわち「揚句」とは、連歌・連句の最終句である七・七の句のこと。これに対して最初の五・七・五は「発句」とよばれる。連歌・連句の言葉としては「挙句」ではなく「揚句」が正しいと主張する。



その論議は専門家におまかせして「揚句」または「挙句」はおしまいの七・七の句のことだから、そこから転じて「最後の最後。とどのつまり」をこういうようになったらしい。
連歌では五・七・五の「発句」が詠まれたあと、次の人が七・七の「揚句」を詠むのがルールだ。こうして五十韻、百韻、千句と詠み連ねていく。他の人が詠んだ発句に対して、そんなにすらすらと揚句がでてくるものではない。



「揚句の果て」には、そうした歌詠みの苦悩がにじんでいる。そうした苦しまぎれの「あげくのはて」に案外、後世に残る傑作が生まれたりしたのではなかろうか。
ところで「とどのつまり」などと辞書にでてくると、その意味やその語源をまたまた調べなければならない。



「とどのつまり」はよく知られる語源だから、ご存知の方も多いだろうが、トドは魚で、ボラがさらに大きくなったときの呼び名。ボラは幼魚のときの名前がオボコ、スバシリ。淡水に棲むころはイナ、海に帰って成魚になるとボラ、さらに大きくなるとトドと名前を変えていく。



そこで「最後の最後。つまるところ」が「とどのつまり」。しかし「とどのつまり」が、京都に生まれた言葉だといえる確証は何もない。
海のない京都にこういう言葉はうまれそうにないので「とどのつまり」はここでは取り上げない。



と、「あげくのはて」は「とどのつまり」の話になってしまったが、京の都の連歌師たちの苦悩がにじむ「あげく」であった。
いずれにしても「あげくのはて」は、意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.18…今京都。前回の語源は「二枚舌」(←クリック)。※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 一日之長 2008/05/08 12:11 am

ちじつのちょう…1日先に生まれて、ほんの少し年齢が上であること。そのことから、ほかの人より経験が長く、技能などが少し優れていること。亀の甲より年の功。
◇ちょっと予備知識 → 年長者や古参者が自分の力を謙遜するときに使う。

坂神社御手洗井
祇園祭の宵々山(7月15日)から還幸祭(同24日)の間だけ開放される井戸がある。オフィスビルが立ち並ぶ一角。



鍵がかかった木の柵の中に、しめ縄で飾られた石の鳥居があり、額には「八坂神社御手洗井」と記されている。鳥居の奥に井戸があり、くみ上げた水が絶えることなく流れ出ている。以前にも掲載(←クリック)したが、再度、掲載したい。



この地には、かつて祇園御旅所があり、祭られている牛頭(ごず)天皇に、毎日この井戸の水を霊水として供えていたという。1568(永禄11)年に御旅所を移転させた織田信長も、水質が良いため、祇園祭の間は井戸を開放させたとされる。



管理しているのは、井戸が町名の由来になった「手洗水町」の人たち。烏丸四条の交差点から北へ約100mの中京区烏丸通錦小路上ルにありオフィス街に位置するため、手洗水町内の会員は会社ばかりで、各社の担当者が世話をしているという。



毎年7月15日に、遙拝式という井戸開きの儀式を営み、しめ縄を新調して、ちまきやトビウオの干物を供える。小規模だが町内にとっては祇園祭の大事な儀式。



また、一説によると八坂神社の本殿の下には井戸があり、この井戸とつながっているという。
江戸時代の「都名所図会」には「祇園の宝殿の中には竜穴ありとなん。延久年間(1069-79)のころ、梨本の座主その深さをはからんとければ、五十丈にもおよびてなお底なし」とあり、現在もあるとされている八坂神社の龍穴の話が形をかえ、町衆に伝わったのかもしれない。



1970(昭和45)年ごろまでは、長刀鉾のお稚児さんが15日の昼すぎに御手洗井で手を清めてちまきを奉納し、下京区烏丸通仏光寺下ルの大政所御旅所(←クリック)で長刀を納めたという。



豊かな水をたたえる井戸だが、地下鉄東西線の工事で一度水脈が途絶えたという。新たにボーリングをして、井戸は復活した。



土用の日に、「あんころもち」と一緒にこの水を飲むと一年間、病気をしないという言い伝えもある。今年の祇園祭に、一度訪ねてみようと思う…今京都。

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今京都 罵詈雑言 2008/05/07 12:14 am

りぞうごん…あれこれと汚いことばを並べて悪しざまに言うこと。また、さそのことば。
◇ちょっと予備知識 → 「罵詈」は汚いことばでののしること。「雑言」は「ぞうげん」とも読む。悪口のこと。
                類義語に悪口雑言(あっこうぞうごん)・悪口罵詈(あっこうばり)・
                罵詈讒謗(ばりざんぼう)がある。

のいい
見て見ぬふりをして、聞いて聞かないふりをしたら、そのまま「ものを言わない」のが普通。ところが京都は違う。京都では、その上で相手のために「ものを言う」。



昔々、あるお寺に大変親孝行のお坊さんがいた。ある時、そのお坊さんのお母さんが重い病気にかかり食事もすすまず、だんだん衰弱していく。ある日、そのお母さんが蛸を食べてみたいといった。しかし、ご存知のとおり、お寺では「なまぐさ」である蛸を食することはできない。



随分悩んだが、どうしても食べてみたいと懇願される母親の姿を見て、お坊さんは魚屋に蛸を買いに行く。蛸を大事そうに持ってお寺の山門を入ろうとしたとき、運悪く町の人々に見つかってしまう。



ところが町の人々はお坊さんをとがめることもせず、「ぎょうさん(たくさん)お経の本をかかえて。きつう(たいそう)勉強したはりますねんなあ」といった。その言葉を聞いて、お坊さんは「あぁよかった」と胸をなでおろし、ふと本堂のほうをみると薬師如来が後光を放ってたっていた。



お坊さんの心が通じたのか、蛸を食したことでお母さんは日に日に元気になり、やがてすっかり快復した。という以前に掲載した蛸薬師(←クリック)のお話。



この話は薬師如来のありがたいご利益の話となっているが、見て見ぬふりをしてそれをフォローする形でものを言う京都人の優しさを表した昔話のように思える。
もし、この時、町の人々が何も言わなければ、そのお坊さんの心の中に、蛸を持っているところを見られてしまったというわだかまりがいつまでも残ったことだろう。



病院で見かけた人に対して「顔色が悪いようですが、どこかお悪いのですか?」と声をかけるより、顔色のことはふれずに「どなたかのお見舞いですか?」というほうが相手に対する気配りであると京都人は考える。



自分がその人の立場になれば、どうして貰うことが嬉しいかが自然と見えてくるとうことか。相手が困ることなら、見て見ぬふり、聞いて聞かないふりをして、ものを言う。これが京都人の一面であり、また本質でもあるという。



蛸薬師のお話では、町の人々がものを言ったことで、お坊さんは救われた。この話から、人の気持ちを察してものを言うことの大切さが十分理解できるが、今の時代ではどうだろうか。余計なことと命を奪われてしまうかもしれない。それでも、見て見ぬふりをして、聞いて聞かないふりをして、「ものを言う」という京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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