rrbのブログ - 今京都のエントリ
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今京都 出世稲荷神社 2021/12/13 12:00 am
京都市上京区の千本旧二条。バス停「千本旧二条」の近くに、セブンイレブン京都出世稲荷前店がある。店名から想像できるように、出世稲荷神社は以前はここにあり、2012(平成24)に大原へ移転した。
神社自体の歴史は決して浅くない。1587(天正15)年に関白太政大臣、豊臣秀吉公が聚楽第を造営するに際し、邸内に日頃より信仰していた稲荷神社を勧請。翌年、後陽成天皇が聚楽第に行幸し、稲荷社に参拝したときに、立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けられる。
一方で、1663(寛文3)年に二条城西方の千本通沿い(千本旧二条付近)に移転していることなどから、一つのところに留まらない性質があるのか。実はそうではない。明治時代以降に建立されたという社殿は文化財指定を受けておらず、修繕費用は神社の負担となる。その費用として旧境内の土地の一部を売却するなどして賄ってきたが、老朽化する社殿を維持修復する費用がなく、境内の土地を売却して移転となったというのが実情らしい。
実は、京都では、出世稲荷神社のように本殿の改修費用が集まらず、苦渋の決断をする神社が後を絶たないと聞く。檀家や氏子に頼れず観光客頼みの寺社も多く、世界遺産に指定されているような寺社ですら、苦しい運営を強いられているとのことだ。歴史都市京都の寺社仏閣といえども、決して恵まれた環境下にいるわけではないということだ。
さて、移転はしたものの三千院に向かう道中にあるが、三千院に向かうがあまり通過されてしまうのではないか、それこそ「陸舟の松」とならないように願うばかりである。元あった千本旧二条にある石碑とともに…という今京都。




神社自体の歴史は決して浅くない。1587(天正15)年に関白太政大臣、豊臣秀吉公が聚楽第を造営するに際し、邸内に日頃より信仰していた稲荷神社を勧請。翌年、後陽成天皇が聚楽第に行幸し、稲荷社に参拝したときに、立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けられる。
一方で、1663(寛文3)年に二条城西方の千本通沿い(千本旧二条付近)に移転していることなどから、一つのところに留まらない性質があるのか。実はそうではない。明治時代以降に建立されたという社殿は文化財指定を受けておらず、修繕費用は神社の負担となる。その費用として旧境内の土地の一部を売却するなどして賄ってきたが、老朽化する社殿を維持修復する費用がなく、境内の土地を売却して移転となったというのが実情らしい。
実は、京都では、出世稲荷神社のように本殿の改修費用が集まらず、苦渋の決断をする神社が後を絶たないと聞く。檀家や氏子に頼れず観光客頼みの寺社も多く、世界遺産に指定されているような寺社ですら、苦しい運営を強いられているとのことだ。歴史都市京都の寺社仏閣といえども、決して恵まれた環境下にいるわけではないということだ。
さて、移転はしたものの三千院に向かう道中にあるが、三千院に向かうがあまり通過されてしまうのではないか、それこそ「陸舟の松」とならないように願うばかりである。元あった千本旧二条にある石碑とともに…という今京都。




京都事情も色々あることを知ると、考えさせられるね
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今京都 実光院 2021/12/10 12:00 am
実光院は三千院を通り過ぎ、勝林院に突き当たる手前の左手にある。宝泉院や勝林院よりは手前だ。宝泉院と同じく勝林院の僧坊である。宝泉院と同様に、決して退屈させないお寺だ…という今京都。






御朱印に気が向きすぎ、じっくりと見ることを忘れないようにね
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今京都 京都三大松 2021/12/09 12:00 am
以前に セリフのとおり で触れた京都三大松。金閣寺の「陸舟の松」、善峯寺の「遊龍の松」、宝泉院の「五葉の松」がそれである。いずれも樹齢は600〜700年で京都市の天然記念物や国指定天然記念物に指定されている。
中でも善峯寺の「遊龍の松」は、主幹が横に這う姿が臥龍の遊ぶ様に見えることから、1857年に命名された。中心部から西と北にそれぞれ25mずつ、全長50mほどあったが、1994(平成6)年、松くい虫の被害を受け、北側で15mほど枯れ、その部分が切り詰められた。結果、現在は全長37mほどになっているという。いずれの松も一本物である。
600〜700年と聞いても平安遷都1200年の京都では短く感じてしまうのは無粋なことか。しかし、食べ物にしても道具にしても物にしても、何百年という年月が流れているのが京都の歴史であり文化である。100年くらい経ただけでは「老舗(しにせ)」の看板をあげさせてもらえないと京都ではいわれている。
目立つものに目を奪われて、その周りにあるものに気づかないことがないように、よ〜く周りも見る(観察する)ようにと、「陸舟の松」は教えてくれている。それは「ええ加減なシャッターの切りかたをするな」と諭されているようにも感じるのは私だけか…という今京都。






中でも善峯寺の「遊龍の松」は、主幹が横に這う姿が臥龍の遊ぶ様に見えることから、1857年に命名された。中心部から西と北にそれぞれ25mずつ、全長50mほどあったが、1994(平成6)年、松くい虫の被害を受け、北側で15mほど枯れ、その部分が切り詰められた。結果、現在は全長37mほどになっているという。いずれの松も一本物である。
600〜700年と聞いても平安遷都1200年の京都では短く感じてしまうのは無粋なことか。しかし、食べ物にしても道具にしても物にしても、何百年という年月が流れているのが京都の歴史であり文化である。100年くらい経ただけでは「老舗(しにせ)」の看板をあげさせてもらえないと京都ではいわれている。
目立つものに目を奪われて、その周りにあるものに気づかないことがないように、よ〜く周りも見る(観察する)ようにと、「陸舟の松」は教えてくれている。それは「ええ加減なシャッターの切りかたをするな」と諭されているようにも感じるのは私だけか…という今京都。






rrbは、カタログ撮りをしがちだよね。じっくりと撮ればいいのに…せっかちな性格?
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今京都 宝泉院 2021/12/08 12:00 am
三千院を通り過ぎ突当たりにあるのが「大原問答」で有名な勝林院。勝林院住職が法然を招いて、延暦寺・金剛峯寺・東大寺などの高僧らとともに念仏の教えについて問答を交わした。法然は白熱する論議の中で、念仏を唱えれば極楽浄土へ往生できると経典を引用しながら説くと、本尊が光を放ち、法然の主張が正しいと証明した…という話。
この勝林院は天台宗の仏教が栄えた大原の中心的道場。宝泉院はその中の僧坊として800年前よりあったお寺。山門より入ると正面に樹齢700年の「五葉の松」がある。この松は京都三大松の一つ。また、関ヶ原合戦前、徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が豊臣の大軍と戦い伏見城中で自刃。その武将達の霊をなぐさめ、自刃した床板を天井にして祀り、供養としている「血天井」も有名。
急ぎ足の人は三千院より奥に行かない。しかし、三千院よりも宝泉院や実光院の方が好きだ。宝泉院や実光院は、まるで金閣寺の「陸舟の松(りくしゅうのまつ)」のようだ。多くの人は金閣寺の壮麗さに目を奪われ、その参道の脇にある「陸舟の松」の存在に気づくことはない。目立つもの(三千院)に目を奪われて、その周りにあるものに気づかない。三千院のように大きくないが、決して退屈させないお寺だと思う。たくさん写真を撮ったけれど、人が写っていない写真はこれくらいしかない…という今京都。




この勝林院は天台宗の仏教が栄えた大原の中心的道場。宝泉院はその中の僧坊として800年前よりあったお寺。山門より入ると正面に樹齢700年の「五葉の松」がある。この松は京都三大松の一つ。また、関ヶ原合戦前、徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が豊臣の大軍と戦い伏見城中で自刃。その武将達の霊をなぐさめ、自刃した床板を天井にして祀り、供養としている「血天井」も有名。
急ぎ足の人は三千院より奥に行かない。しかし、三千院よりも宝泉院や実光院の方が好きだ。宝泉院や実光院は、まるで金閣寺の「陸舟の松(りくしゅうのまつ)」のようだ。多くの人は金閣寺の壮麗さに目を奪われ、その参道の脇にある「陸舟の松」の存在に気づくことはない。目立つもの(三千院)に目を奪われて、その周りにあるものに気づかない。三千院のように大きくないが、決して退屈させないお寺だと思う。たくさん写真を撮ったけれど、人が写っていない写真はこれくらいしかない…という今京都。




人を外して撮るのはむずいよね。今日の内容、なんだか深いね
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今京都 三千院 2021/12/07 12:00 am
「女ひとり」で歌われている三千院。その日は三千院界隈を精力的に動きまわった。
写真も楽しんでいるが、最近は京都の御朱印集めもしている。これまでにたくさんの寺社仏閣を訪れ写真を撮っているが、「それって勿体無いやろ? 御朱印でも貰うようにしたら」との友だちの進言による。
確かにそうだ。「趣味と実益を兼ねる」ことにはならないが、写真以外にも残るものがあるというのは良いことだと考え始めた。
便宜上、洛中と洛外に御朱印帳を分けている。現在の区分けで上京区・中京区・下京区を洛中、それ以外を洛外としている。
その日は洛外(洛北)の大原界隈が目的で、三千院、勝林院、宝泉院、実光院、来迎院、念佛寺、出世稲荷神社、古知谷阿弥陀寺、寂光院を巡ることとした。バイクを使用したので、予定より早い時間で巡ることができた。
次は八瀬・上高野界隈を巡る予定…という今京都。





写真も楽しんでいるが、最近は京都の御朱印集めもしている。これまでにたくさんの寺社仏閣を訪れ写真を撮っているが、「それって勿体無いやろ? 御朱印でも貰うようにしたら」との友だちの進言による。
確かにそうだ。「趣味と実益を兼ねる」ことにはならないが、写真以外にも残るものがあるというのは良いことだと考え始めた。
便宜上、洛中と洛外に御朱印帳を分けている。現在の区分けで上京区・中京区・下京区を洛中、それ以外を洛外としている。
その日は洛外(洛北)の大原界隈が目的で、三千院、勝林院、宝泉院、実光院、来迎院、念佛寺、出世稲荷神社、古知谷阿弥陀寺、寂光院を巡ることとした。バイクを使用したので、予定より早い時間で巡ることができた。
次は八瀬・上高野界隈を巡る予定…という今京都。





ええことしてるやん。ブログにも使えるやん。写真、御朱印、ブログ…サボらず取り組もう