rrbのブログ - 今京都のエントリ
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今京都 たいらのみやこ 2018/10/10 12:00 am
京都という町を知れば知るほど深いものがある。なんといってもやはり怨念話に勝るものはない。平城京から長岡京、長岡京から平安京と都の遷移からも怨念話や怨霊話が尽きることはない。
狭くて古いこの町はさまざまな結界の仕組みが形作られている。比叡山が平安京の鬼門封じの要であり、魑魅魍魎を封じ込めるために建立された延暦寺をはじめ、四神相応思想もある。東の青龍は河川(鴨川)、西の白虎は街道(山陽道・山陰道)、北の玄武は山岳(船岡山)、南の朱雀は池泉(巨椋池)となる。
平安京造営当初は「たいらのみやこ」と訓読され、長岡京で刻まれた暗い歴史を踏まえ、新しい都は「平安」であって欲しいという願いが込められていた。いつか京都の魔界や平家物語ゆかりの場所を丁寧に訪問したい…という今京都。

狭くて古いこの町はさまざまな結界の仕組みが形作られている。比叡山が平安京の鬼門封じの要であり、魑魅魍魎を封じ込めるために建立された延暦寺をはじめ、四神相応思想もある。東の青龍は河川(鴨川)、西の白虎は街道(山陽道・山陰道)、北の玄武は山岳(船岡山)、南の朱雀は池泉(巨椋池)となる。
平安京造営当初は「たいらのみやこ」と訓読され、長岡京で刻まれた暗い歴史を踏まえ、新しい都は「平安」であって欲しいという願いが込められていた。いつか京都の魔界や平家物語ゆかりの場所を丁寧に訪問したい…という今京都。

京都魔界地や平家物語の京都の探索、いつか行こうね
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今京都 万年筆 2018/10/09 12:00 am
愛用の万年筆の調子が悪い。インクは吸入式で、その吸引力が弱くなっているような気がする。インクが満足のいく量まで入らない。書く機能は大丈夫だが、書く量に不便を感じるかも。メンテナンスに出すか、新しいのを購入するか、このままで過ごすか。三択をゆっくりと考えたい…という今京都。


もう買わなくていいよ! 何本かあるでしょ!
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今京都 崇道神社(3/3) 2018/10/04 12:00 am
この日、他に参拝者がいなかったのは、写真のような状況だったからかもしれない。9月4日の台風21号の影響による倒木である。風向きに反して本殿に向かって倒れなかったのは早良親王のパワーによるものだと私は勝手に解釈している。本殿に向かって手を合わせて願う。「あなたのそのパワーを少しください」と。けれど私は人を祟ったりしない…と思う。
さて、藤森神社や上御霊神社にも崇道天皇が祀られているが、崇道天皇のみを祭神としているのは、この崇道神社だけ…という今京都。




さて、藤森神社や上御霊神社にも崇道天皇が祀られているが、崇道天皇のみを祭神としているのは、この崇道神社だけ…という今京都。




風向きは本殿に向かっての風だったよね。恐るべし早良親王!
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今京都 崇道神社(2/3) 2018/10/03 12:00 am
その日、私以外に参拝者はいなかった。おかげで、とてもゆっくり拝観できた。自然や緑に囲まれており、四季折々美しい彩りを楽しむことができそうだ。本殿は一間社流造という珍しい造り。本殿の前には立砂があり、絵になる。
境内には、小野神社・伊多太神社・出雲高野神社などの末社や、打たせ滝などもあり見所が多いが、それらの画像はまたの機会に。崇道神社は、崇導神社と表記することもある…という今京都。


境内には、小野神社・伊多太神社・出雲高野神社などの末社や、打たせ滝などもあり見所が多いが、それらの画像はまたの機会に。崇道神社は、崇導神社と表記することもある…という今京都。


最近では珍しく三部作なんやね
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今京都 崇道神社(1/3) 2018/10/02 12:00 am
京都市左京区上高野に、早良親王を祀る崇道神社(すどうじんじゃ)がある。国道367号線を高野川に沿って八瀬方面へ。バイクや車なら、見落としてしまうことも。叡山電鉄「三宅八幡」駅から徒歩10分はかからない。
早良親王は、光仁天皇・高野新笠(たかののにいがさ)の子であり、桓武天皇の実弟。延暦4年に起こった藤原種継暗殺事件の首謀者として逮捕され、乙訓寺に幽閉される。後に淡路に流される途中、無実を主張して断食死したとされる。その後、桓武天皇の近親者の死が続き、都に悪疫が流行したため、早良親王の祟りと噂され、その怨霊を鎮めるために「崇道天皇」の尊号が贈られた。
崇道神社は入口の鳥居から本殿に向かって長い参道が続く。澄んだ空気と共に、とても厳かな空気も漂っている。ちょっと空気が違う、さすが早良親王。私はその祟りのパワーにあやかろうと訪れた…という今京都。


早良親王は、光仁天皇・高野新笠(たかののにいがさ)の子であり、桓武天皇の実弟。延暦4年に起こった藤原種継暗殺事件の首謀者として逮捕され、乙訓寺に幽閉される。後に淡路に流される途中、無実を主張して断食死したとされる。その後、桓武天皇の近親者の死が続き、都に悪疫が流行したため、早良親王の祟りと噂され、その怨霊を鎮めるために「崇道天皇」の尊号が贈られた。
崇道神社は入口の鳥居から本殿に向かって長い参道が続く。澄んだ空気と共に、とても厳かな空気も漂っている。ちょっと空気が違う、さすが早良親王。私はその祟りのパワーにあやかろうと訪れた…という今京都。


祟りのパワーにあやかって何をするつもり?