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国士無双

投稿日時 2008-6-27 0:05:22
執筆者 rrb
くしむそう…国内で肩を並べる者がいないほど優れた人物。国内で最高の人物。天下一の人。
◇ちょっと予備知識 → 「無双」は二つとないこと。麻雀の役の一つにもある。
                類義語に古今無双(ここんむそう)・天下無双(てんかむそう)がある。

うき part2
一般には、お正月に何かをすると一年中それを続けることになるといわれている。そのことから、京都ではお正月に「ほうき」をもつと一年中掃除をしなければならないから「ほうき」をもってはいけないといわれている。
でも本当は、「ほうき」というものが悪いもの掃いてしまう(邪気をはらう)道具と考えられてきたことからそういわれているのである。



お正月には「お正月様」という神様が家に降りてこられているため、本来悪いものなどあるはずがない。せっかく神の「よりしろ」だという意味で、注連縄を張ったり、玄関飾りをして神様をお迎えしているのに、「ほうき」を持つことによってその神様まで掃き出してしまってはいけないという、そんな理由から「ほうき」をお正月にもってはいけないといわれてきたという。



しかし、これは一種の後付の理由であり、実はそこに「日頃から女性は何かと忙しく動いてきたのだから、お正月くらいはゆっくり休んでください」という意味がある。女性に対する思いやりの表現であった。
姑が若い嫁に対して「お正月は『ほうき』をもったらあかん」と厳しく叱っていたとしても、その本当の心は「お正月の間はたとえ埃をかぶっていても掃除をしなくていいよ」といっているのである。



それならば、その心をはっきりといえばよいと思われるかもしれないが、これをひとつの「しきたり」とすることに大きな意味がある。「しきたり」でなければ、掃除をする人も出てきて、しないと何かなまけている感があり、またぞろ働くことにもなる。



仮に埃がかぶっていても、決して恥ずかしいことではないという「決まりごと」にしてしまうことで、本当に休むことができるのである。お正月の重箱に詰めるお煮しめも、お正月の間お料理をせず休んでいられるようにという同様の配慮がある。



それにお正月の一番最初にくみ上げる「若水」も男性が汲むのがしきたりとなっているが、これとても男性が汲まなければ縁起が悪いわけではない。



これらは京都人のもってまわった意地悪な表現だといわれる方もあるかもしれない。しかし、あえていうならば、京都人のもってまわった「やさしさ」といえる。
ささいなことにも二重、三重の意味があり、それが京都人の知恵として強く根付いていることで、逆に人間関係を大変楽にしてきたといえる。



「しきたり」は日頃忙しい女性たちへの思いやりであり、以前に掲載したほうき(←クリック)のもうひとつのお話があったという京都の文化のお話…今京都(写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。)


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