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今京都 しばく 2009/07/26 12:00 am

ばく
たたく。「文句あるのか。シバイたろか」 江戸時代から使われる。「撓(たわ)む」の意味の「しわる」からか。「しわる」は圧力を受けて撓むことで、室町時代には「腹がすく」ことを「むねがしわる」といった。ドツクは、殴るよりも軽い感じの語。「腹がたつし、ドツイたろか」と言う。東京のブツに対して、上方ではツクに強調の接頭語「ド」をつける。ドツクは江戸時代から使用する。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(270)




 

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今京都 ぽち 2009/07/25 12:00 am


祝儀、心付け、チップのことをいう。「髪結いさんにポチ渡しといてんか」 祝儀袋をポチブクロという。ポチは「ほくのポッチリ」の意味で花街用語からか。フランス語のプチ(小さい)からというのは民間語源説であろう。フランス語でチップはプルボワールである。小さい点をポチというが、これと関係するかどうか分からない。「これポッチ」のポッチと結び付くかどうかも疑問である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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解地名 (旧フォトヴィレッジ 2007年6月15・16日掲載)
京都は地名も難しいが、読み方も難しい。受け継がれている難解地名は京都の歴史そのものかも知れない。さて、ここで問題。なんと読むでしょう? ちょっと多いけれど頑張って!



(あ)安居院  (い)悪王子町  (う)不明門通  (え)化野  (お)和泉式部町  (か)一口  (き)外郎町  (く)艮町  (け)正親町小路  (こ)巨椋池  (さ)勘解由小路  (し)勘解由小路通  (す)岩栖院町  (せ)上終町  (そ)釜座通  (た)上切通し  (ち)鴨田  (つ)花遊小路  (て)櫛笥通  (と)神足  (な)御幸町通  (に)皀莢町  (ぬ)西石垣通  (ね)佐女牛井町  (の)鹿々谷通  (は)諏訪町  (ひ)清和井  (ふ)芹生  (へ)糺の森  (ほ)天使突抜通  (ま)木賊山町  (み)百々町  (む)日暮通  (め)坤町  (も)日ノ岡ホッパラ町  (ら)罧原町  (り)卜見金仏町  (る)万里小路  (れ)御陵  (ろ)山端



答えは次のとおり。
(あ)安居院(あぐい)  (い)悪王子町(あくおうじちょう)  (う)不明門通(あけずどおり)  (え)化野(あだしの) (お)和泉式部町(いずみしきぶちょう)  (か)一口(いもあらい)  (き)外郎町(ういろうのちょう)  (く)艮町(うしとらちょう)  (け)正親町小路(おおぎまちこうじ)  (こ)巨椋池(おぐらいけ)  (さ)勘解由小路(かげゆこうじ)  (し)勘解由小路通(かでのこうじどおり)  (す)岩栖院町(がせいんちょう)  (せ)上終町(かみはてちょう)  (そ)釜座通(かまんざどおり)  (た)上切通し(かみきりどおし)  (ち)鴨田(かもんでん)  (つ)花遊小路(かゆこうじ)  (て)櫛笥通(くしげどおり)  (と)神足(こうたり)  (な)御幸町通(ごこまちどおり)  (に)皀莢町(さいかちちょう)  (ぬ)西石垣通(さいせきどおり)  (ね)佐女牛井町(さめがいちょう)  (の)鹿々谷通(ししがたにどおり)  (は)諏訪町(すわんちょ)  (ひ)清和井(せがい)  (ふ)芹生(せりょう)  (へ)糺の森(ただすのもり)  (ほ)天使突抜通(てんしつきぬけどおり)  (ま)木賊山町(とくさやまちょう)  (み)百々町(どどちょう)  (む)日暮通(ひぐらしどおり)  (め)坤町(ひつじさるちょう)  (も)日ノ岡ホッパラ町(ひのおかほっぱらちょう)  (ら)罧原町(ふしはらちょう)  (り)卜見金仏町(ぼくみかなぶつちょう)  (る)万里小路(までのこうじ)  (れ)御陵(みささぎ)  (ろ)山端(やまばな)



どれだけ読めた? これはごく一部。特に厄介なのは、(け)の「正親町小路(おおぎまちこうじ)」なんかは「正親小学校」となれば「せいしんしょうがっこう」と読む。「冷泉家(れいぜんけ)」というのに「冷泉通」となると「れいせんどおり」となる。なんとも新旧の入り乱れが悩みの種。極めつけは、「安居院(あぐい)」、「清和井(せがい)」、「岩栖院(がせいん)」、「諏訪町(すわんちょ)」など、なんとなくフランス語流にリエゾンしているところに京ことばの特徴があるような気がするのだけれど、さてどうだかね…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


 

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今京都 あわさ 2009/07/23 12:00 am

わさ
間。すきま。「歯のアワサに何かはさまって、なかなか取れへん」 アワサイ、アワイサとも。「タンスのアワサイに定規が落ちてしもうた」 あわい(間)に基づく。時間的にはアイサニという。「アイサニええこと言わはるな」 空間的にはアワイサ、時間的にはアイサニと使い分ける。アイもアワイも「間」の意。アワイからアンバイという語を作った。アワイは物と物の交わるところ、人と人の関係をいった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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火天満宮(すいかてんまんぐう) (旧フォトヴィレッジ 2007年8月25日掲載)
水火天満宮は、水難火難除けの神として知られている。1952(昭和27)年の堀川通拡張工事に伴い堀川通を挟んだ西側の上天神町から現在地に移転されたという。社伝によれば、923(延長元)年6月25日に醍醐天皇の勅願で菅原道真の神霊を勧請し建立されている。もとは悲田院の鎮守社であったが、菅公信仰と結びついたと伝えられている。





表鳥居の前に「日本最初 水火天満宮」と刻した大きな石標と、「孝学堂跡」と刻した小さなの石柱が見られる。孝学堂は、江戸時代に天満宮宮司の孝道が境内に開設した学問塾をいう。



境内にある「登天石(とうてんせき)」は、903(延喜3)年、菅原道真公が大宰府の地において亡くなられた後、都では雷火の災いが重なったことから人々は菅公の怨霊のせいだと不安が高まった。醍醐天皇は延暦寺の法性坊尊意僧正に祈祷を依頼。勅命を受けた尊意が急いで宮中へ向かう途中、鴨川が急に増水して渡れなくなったが、尊意はあわてず手にした数珠をひともみし、祈願したところたちまち水位が下り、水面が二つ分かれ流れの間から一つの石が現れ、その上に菅公が現れやがて昇天し雲の中へ消え、雷雨も止んだという。のちにその石を陸に移動して供養して「登天石」といしたという由来をもつ石がある。





また、傍には近年出世した人が寄進された「出世石」がある。さらには、眼に効能があるという「金龍水」と称する湧き水もある。
なお、「登天石」の横に「是より洛中荷馬口付のもの乗へからす(乗るべからず)」と刻した石柱がある。この意味は「馬に乗ったまま洛中へ入ってはならない。荷を載せた馬は,馬の口取り(馬子)が手綱を引いて歩くように」という意味で、江戸時代の1695(元禄8)年に市街地の交通安全のために、都への出入り口30カ所に木杭で設置された。水火天満宮は、鞍馬口街道沿いである。その後、朽ちたので1717(享保2)年石漂に作り替えた、その中の一つとされる。



車の通行量が多い堀川通りに面していると思えないくらいひっそりとした佇まいの境内。それにしてもここにも菅原道真公の影が! 恐るべし菅原道真公…今京都。


 

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今京都 あらける 2009/07/21 12:00 am

らける
火を掻き広げる。昔は火鉢の生活が普通であったが、「火鉢にひー(火)が、おぼんだる(埋めてある)さかい、アラケてぬくもりや」と言った。イラケルともいう。イラケルはイラウ(いじる)とアラケルが交錯した形。アラケルは、粗くし、ちりじりになる意から。開きがある、間隔をとるの意味でもいう。「あこの嫁さんは、ご主人と年がアラケタル」 アダケルは京都府北部で転げ落ちるの意味で使う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語 (旧フォトヴィレッジ 2007年6月17日掲載)
京都のお地蔵さんの多さは日々の「今京都」でも伝えているとおりだ。今回、さらに調べることができたのでリポートしておく。



地蔵盆の発祥の地は間違いなく京都なんだけれど、今日のように子ども行事になったのは明治以降のことみたい。江戸時代は「仏像の前に通夜して酒盛りあそべり…」と『覇旅録(きりょまんろく)』にあるように、大人が中心となって楽しむものであったことがうかがえる。他にも江戸時代の記録には醍醐(だいご)の地蔵会(じぞうえ)では市(いち)が立ち、常盤(ときわ)の里では書相撲、深泥池(みどろがいけ)では夜相撲が催されたなどがある。さらに江戸末期の京都では、町組(ちょうぐみ)の境となる木戸ごとにお地蔵さんが祀られていたそうだから、その数の多さは想像できる。しかし、そんなお地蔵さんにも受難の時代があった。



その受難とは、明治維新の神仏分離令である。1871(明治4)年から翌年にかけて、京都府から「地蔵取除(とりのぞき)令」「祭祀(さいし)禁止令」が出され、町中の地蔵やお堂が処分され、お盆の施餓鬼も送り火も、盆踊りも地蔵盆も禁止された。また石地蔵が集められ、石垣や小学校建築の柱石に転用された例は多いという。それでも人々は町のお地蔵さんをお寺に預けたり、地中に埋めたり、井戸の中に避難させたり、また町年寄りが自宅内にかくまったりして、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)のほとぼりが過ぎるのを待った。この禁令は数年後にはゆるみ、徐々に復活するのだが、この約10年の空白をはさんで、江戸時代と明治時代以降の地蔵盆が性格を変えたのではないかと仮定されている。



また、ある調査によると下鴨・葵の両学区において確認できた地蔵堂や祠(ほこら)は計46箇所。そのうち平安期のものと見られる歴史的なものが2箇所。それ以外で最古の安置は明治初期と見られるものが3箇所、大正期が2箇所。時期不明のものもあるが、その他の30箇所は昭和の時代に祀られたものだという。もともとは信仰のための地蔵だったものが、昭和のころから次第に地蔵盆のために祀っておく地蔵に変遷していったともいわれている。



さらに下鴨学区でいえば1955(昭和30)年頃までは、およそ一町に1箇所のお地蔵さんがあったが、それ以降は宅地化が進んでもお地蔵さんが置かれておらず、むしろ土地の処分でお地蔵さんの行き場所がなくなったり、管理する人がいなくなって撤去されることもあるという。宅地化が進むとともに自治会の崩壊が始まり、お地蔵さんを世話する信仰心のある人々が減ってくるという社会現象だ。それにしても下鴨・葵の両学区はまだ街撮りに行っていない地区だけれど、そこでも46箇所はあるということだから、この地蔵物語はどれだけ続くのだろう? と、少し気が遠くなるが、いきつくところまでいきたいと思う…今京都。 ※写真は京都の街並みで本文とは関係ないのであしからず。
★関連記事はここ(←クリック)とここ(←クリック)


 

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今京都 いかれこれ 2009/07/19 12:00 am

かれこれ
してやられたかたち。打ち負かされた格好。参った。「ほんまにイカレコレや」 イカレルからイカレコレを作った。イカレコロともいう。イカレコレは、「コロッとイカレテしもた」の「コロッ」と「イカレ」を転置した形であろう。イカレルは、してやられる、先手を打たれるの意味。「あんなこと言われて、先生も生徒にイカレテルやないか」「あいつにうまいことイカレテしもたわ」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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