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今京都 しっぽく 2009/11/08 12:00 am

っぽく
かやくうどん。シイタケ、カマボコ、ユバ、ホウレン草などを入れる。シップクとも。卓袱(しっぽく)はもとは食卓の覆いのことで、中国風の食卓の意味になった。丸型の飯台で、真ん中に丸く切れ込みがある。鍋物には切り込みを外し、コンロをはめて使う。シッポクダイと言う。なお、タヌキうどんはキツネうどんの汁をあんかけにしたもの。あんかけの色からタヌキを連想する。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(282)




 

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今京都 めーぼ 2009/11/07 12:00 am

ーぼ
ものもらい。目の縁にできる小さい腫れ物。「メーボやと思うたら小豆粒やった」と唱えて、井戸に小豆を三つ後ろ向きに投げ入れるとメーボが治るなどという言い伝えがある。人から物をもらうと治るという民間信仰からモノモライというほか、全国各地の方言は多い。京都府北部や南山城ではメボ、メバチコとも言う。熊本でオヒメサン、仙台でバカなど麦粒腫の命名の動機をさぐるのも面白い。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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雲寺/菊野大明神 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月23日掲載)
寺社仏閣、色々なご利益があるのは当然のこと。家内安全、無病息災、学業成就、良縁…などなど。その中でも「少し恐いな」と思うのが「縁切り」のご利益。「良縁を結び、悪縁を断つ」という大明神があると知り、早速でかけてみた。念のために断っておくけれど、願掛けに行ったのではない。



河原町二条の交差点を少し北に行った東側にある法雲寺のお堂内に「菊野大明神」の祠がひっそりとたたずむ。この「菊野大明神」が「どうしても別れたいのに、恋人が別れてくれない」「何とかして夫の浮気をやめさせたい」そんな縁切りの願いをかなえてくれるという。



言い伝えはこうだ。昔、三条東洞院に婚礼の儀で近くを通ると、その後に必ず夫婦が別れてしまう石があった。法雲寺が1788(天明8)年の大火で全焼し、15年後に再建する際、山伏が現れて「霊石があるのを知っているか。祭らなあかんぞ」と言った。当時の住職が霊石を探したところ、この「縁切り石」が出てきたという。また、別の伝承では、小野小町に恋焦がれて百夜通いをしていた深草少将が、腰掛けて休んだ石ともされている。少将はあと一夜を残して亡くなり、その石に無念の思いがこもって、男女を別れさせるというのだ。以前はうす暗いお堂の中の祠に、恨みのこもった願書が重なるように張られたり、ぐるぐるに巻いた女性の髪や五寸くぎを刺したわら人形が置かれるなど、不気味な雰囲気だったという。



この祠は、1988(昭和63)年に改装し、「良縁を結び悪縁だけを断ち切る神様」として信仰されているという。現実に訪れるのは「悪縁を切りたい人ばかり」で、しかも、その参拝者の9割は女性だということだ。最も多いのは「夫や恋人が浮気相手と別れてほしい」という願いだそうだ。他には「子どもの縁談が気に入らないから壊れてほしい」とか「ストーカーから逃れたい」などもあるというからある意味で時代を反映しているのかも知れない。



大明神に向かって「男の本性を教えて」などと悩みを打ち明けながらお参りする女性もいるという。男と女は心の根っこが違うから色々な意味での行き違いがあっても当たり前だと思うけれど、この祠で大明神を見つめていると参拝者たちの姿が目に浮かんでくる。現実は小説よりもドラマチックで、ドロドロしているということか…。



菊野大明神にお参りをした何ヶ月か後に「別れられました」とすっきりした顔で御礼参りに来る人も多いという。いつの世も一番の喜びも一番の苦しみも恋愛によってもたらされるのはひとつの事実だけれど、「男女の仲は難しい」としみじみと思い、いつしか手を合わせている自分がいた…今京都。


 

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今京都 しがんだ 2009/11/05 12:00 am

がんだ
しけた様子の子ども。「なんぼ悲しいから言うてシガンダみたいな顔しんとけ」 やせて貧相な子どもにも言う。シガム(嚙みしめる)から。「スルメをシガム」「鉛筆シガンデ勉強してる」のように、噛み切りにくいものを繰り返して嚙さま。江戸時代中ごろから使用。「袖をしがんで泣く」のように、じっと噛みしめる形容であった。ものを噛んで残る筋がシガンタ・シガンダである。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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王神社/夫婦岩 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月18日掲載)
子どもの誕生を望む夫婦の願いを、長年受け止め続けてきた岩が、山王神社にある。本殿前に寄り添うように並んでいる。しめ縄で飾られた二つの岩。名前を「夫婦(めおと)岩」という。神社には、二つの岩の由来が何とも不思議な話で伝わっている。



約千年前、天台座主の良真がこの地を訪れた際、良真の後を追って、比叡山から一緒に飛んできたというのだ。同神社がある山ノ内地域はかつて、比叡山延暦寺の領地だった。同神社は、延暦寺の守護神でもある日吉大社(大津市)から分霊し、創建されたとされる。岩はいつしか夫婦岩と呼ばれ、子授けや安産の信仰を集めるようになった。岩が男性と女性らしい形をしていたからかもしれない。向かって左の女岩は高さ約1m、幅約2.5mで、中央部分がへこんでいる。男岩は高さ約1.5m、幅約1.3mで、ややずんぐりした形だ。男岩と言うには少し物足りない気がするが、実はこの岩、地中深く埋まっている。約15年前、本殿の改修に合わせて、離れていた岩を現在の場所に移すために掘り出した際、大きさが5mほどであることが分かったという。



神社の言い伝えでは、二つの岩の周囲を、三周回った後、岩をなでて願うと子を授かるという。また、子どもが生まれて初めての宮参りでは、酒や米、梅干しを小皿に入れて女岩のくぼみに供えて感謝し長生きなどを祈願。梅干しの皮で鼻をつまんで出世を祈り、種をくぼみに入れて、子孫繁栄を願う言い伝えも残っているという。



今でも願を掛けるために夫婦や女性が訪れ、また、深夜に一人で祈る女性もいるという。「跡継ぎができました」「二人目が生まれました」などの喜びの連絡があったりするという。現在は虐待など子どもをめぐる悲しい出来事が多い世の中。子どもが欲しいと一心に願う親の姿を想像すると、やりきれないものがある。「『子が宝』という思いは時を超えても変わらないはずなのに」と二つの岩を見て思った>



また、この神社は樹齢700年といわれるクスノキが境内を覆っている。親鸞が座ったり、足跡が残ると伝わる岩もある。あいにく非公開なので直接見ることはできなかったが水琴窟もある。樹齢700年といわれる数本のクスノキで覆われている境内は決して広くないけれど、内容は盛りだくさん山王神社…今京都。


 

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今京都 ずいき 2009/11/03 12:00 am

いき
里芋の茎。赤ズイキが市場に出回るが、白ズイキも食用になる。ゴマ味噌酢で和えたズイキや、しょうが汁とズイキの炊いたのは美味。10月はじめの北野天満宮の祭りを「ずいき祭」という。農作物の豊作を感謝する祭りで、ズイキなどを神輿に飾る。京都府北部では里芋をズイキイモ、ズイキモという。茎の赤い里芋はトーノイモとも。ズイキの中でも葉柄の青いのエグイ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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生の寺子屋 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月16日掲載)
浄瑠璃「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」のヤマ場となる「寺子屋」。その寺子屋の跡と伝わる場所が京都市右京区京北の芹生(せりょう)にある。市内から貴船神社のある貴船の北側標高700mの芹生峠を越えようやくたどり着く。松竹演劇部によると「往来が容易でない京都郊外の隠れ里が寺子屋というストーリーに最適だ」というが、実際に行ってみて「確かに!」と思う。





物語の舞台は平安時代。芹生の寺子屋に地元の子に混じり、高貴な顔立ちの子が一人いる。菅原道真が藤原時平の謀略で太宰府に流された中、道真の子・菅秀才(かんしゅうさい)を忠臣・武部源蔵がかくまっているのだ。ある日、居所を知った時平側が菅秀才の首を要求する。切羽詰まった源蔵は、この日、寺子屋に初めて来た利発そうな子の首を身代わりに打ち、差し出した。その首をじっと見た時平の使者・松王丸は「菅秀才の首に相違ない」と帰って行く。しかし、首を打たれた子は実は松王丸の実の子だった。松王丸は心ならずも時平に仕えているが、心の底では父・白太夫(しらたゆう)らが仕える菅原家に役立つことを望んでいた。そして菅秀才を救うために、わが子を初めから身代わりにする覚悟で寺子屋に預けたという筋書きだという。





浄瑠璃「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の第4段の洛北芹生を舞台とする「寺子屋の段」は有名である。その内容は、わが子を身代わりにするという現代では考えられない物語だが、松王丸が忠義とわが子への情愛の狭間で、こうした選択をせざるを得なかった苦悩を描く。わずか10歳で身代わりになった実子を野辺送りする場面は、悲しみを詩情で包んだ名舞台だ。実はこれらの物語は江戸中期の創作で、菅秀才や源蔵らは実在しないといわれる。





ところが芹生には、いつしか「寺子屋の跡」と伝わる場所があり、そこには天満宮まで建っている。史料を見ると、天満宮は1943(昭和18)年建立とある。芹生にあった分校の教員が尽力し、松竹創業者・白井松次郎や初代中村吉右衛門の協力も得て建てられたという。戦時中だけに忠義を重んじる話がもてはやされ、さらに、天満宮の建立に結びついたのかも知れない。浄瑠璃を聞く会も催され、賑わったという話もあるということだ。





歌舞伎の「寺子屋」は、南座・顔見世興行の明治以降100年の歴史を調べると、「勧進帳」「寿曽我対面」に次いで数多く上演されており、その人気ぶりが伺える。隠れ里が名舞台になった現在の芹生には10軒足らずの民家が残るのみ。いたずら盛りの子が多く登場する物語の舞台が、今や「限界集落」というのは寂しい気がする…今京都。


 

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今京都 つかんこと 2009/11/01 12:00 am

かんこと
突然のこと。出し抜けのこと。「ツカンコトおたずねしますけど…」 それまでの話題と結びつかないこと。話の途中で、出し抜けに話題を転換する時に用いた。急に話が変わると、「ウロガクル」とも言った。うろたえる、狼狽するの意。京都府北部ではウロカワスル、ウルーガクルとも。途方もないことをトッケモナイとも言うが、「突飛もない」という意味である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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月、今日から11月。あと二ヶ月で今年も終わるのかと思うと、早いものだ。短い紅葉・黄葉の秋が過ぎれば、年末・年始の準備に活気づくのだろうなぁ。










蔵物語(281)




 

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