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今京都 へつる 2009/12/13 12:00 am
へつる
少量を削り取る。「このご飯ちょっと多すぎるしヘツッといて」 ヘズルとも。ハツル(削る)と同系。鎌倉時代の辞書『塵袋』には「カタハシヲヘギトルヤウナル事ヲ、ヘツルト云」とある。うわまえをはねることにもいう。「ようけお菓子もろたし、ちょっとだけヘツッテもええやろか」 えわまえ(上前)は上米(うわまい)の変化した形。もちは、寺社へ寄進した米のことであった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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羅漢



地蔵物語(287)


少量を削り取る。「このご飯ちょっと多すぎるしヘツッといて」 ヘズルとも。ハツル(削る)と同系。鎌倉時代の辞書『塵袋』には「カタハシヲヘギトルヤウナル事ヲ、ヘツルト云」とある。うわまえをはねることにもいう。「ようけお菓子もろたし、ちょっとだけヘツッテもええやろか」 えわまえ(上前)は上米(うわまい)の変化した形。もちは、寺社へ寄進した米のことであった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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地蔵物語(287)



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今京都 えんばんと 2009/12/12 12:00 am
えんばんと
あいにく。折あしく。「せっかく来てもろたのにエンバント出掛けてましたんや」「雨降りでエンバント運動会中止や」 天保12年刊の『新撰大阪詞大全』には「ゑんばとは、さしあたってといふこと」とある。江戸時代のことばを記した『志不可起』には「ゑんば北越筋の詞に最中の義を云ふ」とある。エンバト、エンバナともいう。エンバはアンバイと関係するかも知れない。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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童子石/朝鮮半島の石人

お団子に結った髪、袖の長い着物姿。手を胸の前に合わせた唐子の石像が、京都市上京区千本通五辻上ルの銘木業者の店先にひっそりとたたずむ。所有者は「祖父の代から置いてあるが、由来は知らない。北東角だから鬼門よけでしょうか」と首をひねっているという。

実はこの石像、朝鮮半島の石人の一つということ。石人とは、王や貴族ら身分の高い人の墓を守る人型の石像を指す。鎧姿で剣を手にした「武人石」、笏(しゃく)を手にした「文人石」をはじめ、子どもの姿をした「童子石(どうじせき)」もあるという。

お地蔵さんと勘違いして、手を合わせたり、さい銭を置いていく人もいるという。穏やかな表情は確かにお地蔵さんのようだけど、御利益は期待できないかも…今京都

あいにく。折あしく。「せっかく来てもろたのにエンバント出掛けてましたんや」「雨降りでエンバント運動会中止や」 天保12年刊の『新撰大阪詞大全』には「ゑんばとは、さしあたってといふこと」とある。江戸時代のことばを記した『志不可起』には「ゑんば北越筋の詞に最中の義を云ふ」とある。エンバト、エンバナともいう。エンバはアンバイと関係するかも知れない。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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童子石/朝鮮半島の石人

お団子に結った髪、袖の長い着物姿。手を胸の前に合わせた唐子の石像が、京都市上京区千本通五辻上ルの銘木業者の店先にひっそりとたたずむ。所有者は「祖父の代から置いてあるが、由来は知らない。北東角だから鬼門よけでしょうか」と首をひねっているという。

実はこの石像、朝鮮半島の石人の一つということ。石人とは、王や貴族ら身分の高い人の墓を守る人型の石像を指す。鎧姿で剣を手にした「武人石」、笏(しゃく)を手にした「文人石」をはじめ、子どもの姿をした「童子石(どうじせき)」もあるという。

お地蔵さんと勘違いして、手を合わせたり、さい銭を置いていく人もいるという。穏やかな表情は確かにお地蔵さんのようだけど、御利益は期待できないかも…今京都


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今京都 ほげた 2009/12/10 12:00 am
ほげた
口答え。「親にホゲタたたくな」「頬桁」から。頬骨を動かすさまから、口答えするのを罵っていう。頬をホベタ、ホーベタとも。『日葡辞書』にはホウゲタとある。ひどく悪くいうことはボロクソで、幕末ごろから使われた。全く困難のないことを無価値と見なして、いとも容易なの意味に変わった。「そんなんボロクソや、まかしとき」ボロは襤褸から。ボロカスともいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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亀山稲荷神社 (旧フォトヴィレッジ 2007年7月9日掲載)

京都はホントに不思議な街。町を自転車で走っていると、こういう場所を発見した。


石碑には「丹波国亀山藩京屋敷跡」と刻まれている。立札には、要約すると「亀山藩京都松原邸の鎮守の神として祀られていたのが亀山稲荷で、祭神は白瀧大明神(しらたきだいみょうじん)と花月大明神(かげつだいみょうじん)である。昔は両祠があり、江戸期より衆人に尊崇され亀山講も存した。明治以降は、中野之町が奉祀する」ということか。

白瀧大明神(しらたきだいみょうじん)と花月大明神(かげつだいみょうじん)の石碑。鳥居をくぐっていくと、境内と社があるが、「これでおしまい?」と思うほどの広さしかない。


境内から見るとこういう光景。とても視野が狭い。

ビルとビルの間に挟まれた「亀山稲荷神社」。ビルの工事をしているときも慎重に保護されていたのだろうと想像する。とても不思議な空間がある…今京都。

口答え。「親にホゲタたたくな」「頬桁」から。頬骨を動かすさまから、口答えするのを罵っていう。頬をホベタ、ホーベタとも。『日葡辞書』にはホウゲタとある。ひどく悪くいうことはボロクソで、幕末ごろから使われた。全く困難のないことを無価値と見なして、いとも容易なの意味に変わった。「そんなんボロクソや、まかしとき」ボロは襤褸から。ボロカスともいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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亀山稲荷神社 (旧フォトヴィレッジ 2007年7月9日掲載)

京都はホントに不思議な街。町を自転車で走っていると、こういう場所を発見した。


石碑には「丹波国亀山藩京屋敷跡」と刻まれている。立札には、要約すると「亀山藩京都松原邸の鎮守の神として祀られていたのが亀山稲荷で、祭神は白瀧大明神(しらたきだいみょうじん)と花月大明神(かげつだいみょうじん)である。昔は両祠があり、江戸期より衆人に尊崇され亀山講も存した。明治以降は、中野之町が奉祀する」ということか。

白瀧大明神(しらたきだいみょうじん)と花月大明神(かげつだいみょうじん)の石碑。鳥居をくぐっていくと、境内と社があるが、「これでおしまい?」と思うほどの広さしかない。


境内から見るとこういう光景。とても視野が狭い。

ビルとビルの間に挟まれた「亀山稲荷神社」。ビルの工事をしているときも慎重に保護されていたのだろうと想像する。とても不思議な空間がある…今京都。


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今京都 まどう 2009/12/08 12:00 am
まどう
元どおりにする。償う。弁償する。「そんなええもの壊してしもてマドワンならん」「前のとおりにマドーてや」「全く、返す」という意味から。「迷う」からという説、「円う」からとの説もある。『東海道中膝栗毛』には「もとのとほりにまどうてかへしゃ」とあり、『俚言集覧』には「まどふ 惑を訓り、又俗に賠償をまどうといふ、賠還也」と。マドウよりもマドス(弁償する)を多く使用するようになった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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福田寺/龍神と雨乞い (旧フォトヴィレッジ 2007年12月7日掲載)
京都市南区久世殿城町は国道171号を車が激しく行きかう。その国道を離れて少し西に入るとその喧騒がウソのように感じるくらい静かだ。そんな静かな空間に福田寺はたたずむ。参道を歩くと、鉄筋コンクリート造りの本堂が参拝者を迎え、その隣に木造の龍神堂がある。その堂の中で祭られているのが、「雨乞い」の伝承を持つ龍神像。

同寺は奈良時代の718(養老2)年、仏教の民間布教に尽くした行基(668〜749)が開いた。創建当時は、約800m四方の広大な境内に七堂伽藍を配置。平安末期には、「百人一首」の歌人で知られる俊恵が住職に就き、日照りや干ばつの際に雨乞いの法要を営んだとされる。「龍神と雨乞い」の話に想いが馳せ、初秋に訪れた。

龍神と雨乞いのお話。伝承では、水を求め人々が信仰した龍神は境内の北東角にあった「板井の清水(池)」の水中から現れたという。雨乞いの法要は、龍神像に向かって僧侶が祈祷を行うとともに、裸姿の若い男たちが「板井の清水」を龍神像にかけながら像の周りで踊った。すると祈祷の御利益によって恵みの雨が降ってきたという。

この雨乞いは天保年間(1830〜1844)の久世の様子を記す史料にも登場し、そこでは稲が育つようにと福田寺をはじめ3ヶ寺の住職らが連日雨乞いの法要を続け、一週間目に初めて雨が降ったと書かれているという。寺の周囲にはため池などがなく、田植えの後は特に水が欲しかったので、当時の人の気持ちがなんとなく想像できる。

龍神像は、目が飛び出し鼻や口も大きい。垂れ下がった耳を持ち、足の指は二本。身に着けているものはふんどしのみで引き締まった肉体をさらけ出し、手を前で組んでひざを立てて座っているというが、残念ながら見せていただくことができなかった。専門家によると、像は毘沙門天の左右に配される毘藍婆(びらんば)の可能性が高く、製作年代も平安前期までさかのぼるという。

福田寺周辺の宅地開発が進むに伴って田んぼがなくなり、戦前まで続けられていた雨乞いの法要も今では行われなくなったという。時代の流れとともに消えたひとつの法要がここにもある。信仰がひとつ消えたということか…。同寺には中国・梁の武帝(6世紀)が安産の守り神として自ら彫刻し、空海が日本に持ち帰ったと伝わる摩耶夫人像を安置し、七福神の一人、弁財天も祭られている…今京都。

元どおりにする。償う。弁償する。「そんなええもの壊してしもてマドワンならん」「前のとおりにマドーてや」「全く、返す」という意味から。「迷う」からという説、「円う」からとの説もある。『東海道中膝栗毛』には「もとのとほりにまどうてかへしゃ」とあり、『俚言集覧』には「まどふ 惑を訓り、又俗に賠償をまどうといふ、賠還也」と。マドウよりもマドス(弁償する)を多く使用するようになった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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福田寺/龍神と雨乞い (旧フォトヴィレッジ 2007年12月7日掲載)
京都市南区久世殿城町は国道171号を車が激しく行きかう。その国道を離れて少し西に入るとその喧騒がウソのように感じるくらい静かだ。そんな静かな空間に福田寺はたたずむ。参道を歩くと、鉄筋コンクリート造りの本堂が参拝者を迎え、その隣に木造の龍神堂がある。その堂の中で祭られているのが、「雨乞い」の伝承を持つ龍神像。

同寺は奈良時代の718(養老2)年、仏教の民間布教に尽くした行基(668〜749)が開いた。創建当時は、約800m四方の広大な境内に七堂伽藍を配置。平安末期には、「百人一首」の歌人で知られる俊恵が住職に就き、日照りや干ばつの際に雨乞いの法要を営んだとされる。「龍神と雨乞い」の話に想いが馳せ、初秋に訪れた。

龍神と雨乞いのお話。伝承では、水を求め人々が信仰した龍神は境内の北東角にあった「板井の清水(池)」の水中から現れたという。雨乞いの法要は、龍神像に向かって僧侶が祈祷を行うとともに、裸姿の若い男たちが「板井の清水」を龍神像にかけながら像の周りで踊った。すると祈祷の御利益によって恵みの雨が降ってきたという。

この雨乞いは天保年間(1830〜1844)の久世の様子を記す史料にも登場し、そこでは稲が育つようにと福田寺をはじめ3ヶ寺の住職らが連日雨乞いの法要を続け、一週間目に初めて雨が降ったと書かれているという。寺の周囲にはため池などがなく、田植えの後は特に水が欲しかったので、当時の人の気持ちがなんとなく想像できる。

龍神像は、目が飛び出し鼻や口も大きい。垂れ下がった耳を持ち、足の指は二本。身に着けているものはふんどしのみで引き締まった肉体をさらけ出し、手を前で組んでひざを立てて座っているというが、残念ながら見せていただくことができなかった。専門家によると、像は毘沙門天の左右に配される毘藍婆(びらんば)の可能性が高く、製作年代も平安前期までさかのぼるという。

福田寺周辺の宅地開発が進むに伴って田んぼがなくなり、戦前まで続けられていた雨乞いの法要も今では行われなくなったという。時代の流れとともに消えたひとつの法要がここにもある。信仰がひとつ消えたということか…。同寺には中国・梁の武帝(6世紀)が安産の守り神として自ら彫刻し、空海が日本に持ち帰ったと伝わる摩耶夫人像を安置し、七福神の一人、弁財天も祭られている…今京都。


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今京都 まけ 2009/12/06 12:00 am
まけ
月経。御所ことば。「設(ま)く」に基づく。マクは心構えをして時期を待つの意。サシアイ(差し合い)とも言った。御所では月経中の女房は供御(くご)・調度に手を触れられなかったことから、宮廷の日記には月経中の女官はテナシ(手無し)と記される。供御は天皇の召し上がるご飯のこと。御所ことばで目上の人の飯はオバンで、「オバンをあがらしゃりますか」と言う。自分のは「御」を付けずにハン(飯)。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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地蔵物語(286)


月経。御所ことば。「設(ま)く」に基づく。マクは心構えをして時期を待つの意。サシアイ(差し合い)とも言った。御所では月経中の女房は供御(くご)・調度に手を触れられなかったことから、宮廷の日記には月経中の女官はテナシ(手無し)と記される。供御は天皇の召し上がるご飯のこと。御所ことばで目上の人の飯はオバンで、「オバンをあがらしゃりますか」と言う。自分のは「御」を付けずにハン(飯)。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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地蔵物語(286)


