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今京都 はてのはつか 2010/01/15 12:00 am

てのはつか
12月20日。「ハテノハツカは外へ出たらあかなんだ」 江戸時代に京都粟田口の刑場では、その日にその年最後の罪人の首が斬られた。その日を忌み、歳暮配りや正月の準備は差し控えた。とくに女の子は外へ出ないようにと諭された。罪人は最後の一言を聞いてもらえるというのでそとへ出ると物騒で、罪人に目をつけられるのを避けた。12月は、果ての月といった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

川の清流復活
堀川は、平安時代に掘削された運河であり、戦後に冶水上の理由から水源が絶たれた川だ。その堀川の京都市北区・上京区・中京区の4.4kmに「せせらぎ」がよみがえった。





地元では、川の流れを取り戻そうと、1985(昭和60)年ごろに沿岸住民らで「堀川と堀川通りを美しくする会」を設立。1997(平成9)年には、水辺整備についての要望書を市に提出し、市は地元の願いをくみ、2005(平成17)年から計約18億円を投入して通水事業を進めていた。





水は賀茂川から取り入れ、途中で地下にもぐったり地上に出たりし、4.4kmをつないでいる。中京区の二条橋近くで通水式を行い、清流が復活したのは2009(平成21)年3月29日のことであった。



残念ながら、今は魚が泳ぐ姿は期待できないが、やがては要所要所で川に生息する生物が見られるようになって欲しいものだと思う…今京都。


 

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今京都 てんご 2010/01/11 12:00 am

んご
いたずら。悪ふざけ。冗談。「お兄ちゃんテンゴばっかりしたはる」「テンゴ言うてはるのやろ」 ふざけることを「てんごう」とも言った。「転合・転業」と書くのは当て字。「癲狂」(てんきょう)からか。癲狂は癇癪と狂気の意味。「テンゴばかりしていると大怪我のもとやで」と注意したものである。江戸時代に、いたずら書きを「てんごう書き」、ふざけた酒の飲み方を「てんごう飲み」と言った。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ジオ塔
昭和初期にラジオを共同で聴くために建てられた「ラジオ塔」の遺構が京都市内の公園に現存している。



ラジオ塔は、家庭にラジオが普及していなかった1930(昭和5)年に大阪市の天王寺公園に初めて建てられ、戦時中にかけて全国の公園や広場に造られた。多くはNHKや自治体が設け、コンクリートや石で造った高さ2〜3mの塔の中に受信機と拡声器を備えていた。



京都では82年に修復された東山区の円山公園、上京区の橘公園、北区の船岡山公園・紫野柳公園・小松原公園、左京区の萩公園など計8基の確認がされている。北区の船岡山公園では、ラジオ体操愛好団体が市に修復依頼をしているとのことだ。



やがて、このラジオ塔から「ラジオ体操第一用意…」という音声が復活するのだろうか…今京都。


 

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今京都 おことーさんどす 2010/01/09 12:00 am

ことーさんどす
年末になって、正月の準備に忙しいときにいう。むかし商人は、集金先でオコトーサンドスとあいさつした。「ご繁盛で何より結構です」ということ。「事多し、お事の多いことです」の意味から。大晦日にお茶屋に入る舞妓・芸妓もオコトーサンドスと言った。祇園花街では12月13日は「事始め」で、舞妓・芸妓は芸事の師匠にあいさつに行く。商家では別家から本家へ鏡餅を持参するしきたりがあった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

折神社
京福電車嵐山線(嵐電)には、読み方が難しい駅名が多い。蚕ノ社(かいこのやしろ)、太秦(うずまさ)、帷子ノ辻(かたびらのつじ)、有栖川(ありすがわ)、車折(くるまざき)、鹿王院(ろくおういん)…。京都の人には当り前になっているが、いちど頭をまっさらにして、漢字を眺めてみると、こんなに読みづらい地名が続く観光地は他にないような気がする。



蚕ノ社、太秦の地名は、秦氏の渡来文化によることが知られている。しかし、問題は車折である。読もうとすれば「くるまおり」と読めるところを「くるまざき」と読む。それに考えてみたら、京都の古社で「車」などとつく名前は、少なくとも牛車(ぎっしゃ)の登場後ではないか。車折とは通称名なのか、それとも、もとは別の名称があったのかもしれない。それから、車折神社といえば芸能人がお詣りに行くので有名な神社。芸能の神様である「芸能神社」が境内にあって、有名人の名前も随所に読める玉垣がどんどん境内に延びている。そのことと車折は、何かつながりがあるのだろうか。こういう疑問が沸き起こる。





そもそも車折神社の名前の由来は、後嵯峨天皇(1242〜46)が大堰川(おおいがわ)へ行幸する際、神社の前にある石のそばを通りかかると、急に車の轅(ながえ・牛に引かせる二本の長柄)が折れた。天皇はここに清原頼業が祀られていることを知り、非礼をわびて「車折大明神」の神号と正一位の位を贈った。こうして「車折神社」の名がついたのだという。この神社はもともと清原頼業、すなわち経書(けいしょ)と法律の大学者であった人を子孫が祀った「宝寿院」というお寺であった。





古くは「車折神社」でなく、「車前神社」や「車裂神社」の漢字が使われていたそうだ。それが「車析神社」に統一され、さらに現在の「車折神社」と書かれるようになったのは江戸時代末期からとのことだ。後嵯峨天皇の命名からすれば「車前」や「車裂」はその意味をよく表わしている。地名に松前を「まさき」と読む例があるように、前には「先」という意味があり、古くは前と先を同意語のように使っていたことが考えられる。漢和辞典を見ると、裂は「裂(さ)く」と読み「さける、ばらばらに分かれる」。そして「析」にも同様に「さく(割く)」という意味が紹介されている。現在使われている「折」の手偏は「析」の木偏が誤り伝わった形、とも書いてある。



「車折」にいたる漢字の変遷が、おぼろげながらも見えてくる。「車前」や「車裂」は意味通りではあるが、神社名としてふさわしくなかったのかもしれない。また江戸時代には「析」の字がいまよりもっとひんぱんに使われていたのに、現在「分析」や「解析」にしか用いないように、「車析」もまた「車折」に改められたのではないか、などと勝手に想像してみたり。



このややこしい神社名を世に送り出すきっかけとなったその石。後嵯峨天皇の前で神威をあらわし車の轅を折ったとされる石が境内にあるという。拝殿に向かって右手前、石垣と木々に囲われ、注連がはられて、ひっそりと小さな石が祀られていた…今京都。


 

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今京都 またにする 2010/01/08 12:00 am

たにする
またこの次にする。「その話やったらマタニシてんか」「結構なお話どすけどマタニシておくれやす」 あからさまに拒否するのでなく婉曲なことわり方。訪問販売を受けたときなどの断りの表現に「また貰いまっさ」という。「今日は忙しおすさかいマタモライマッサ」と婉曲に断る。「またもや、またしても」の表現はマタゾロである。「ちゃんと断ったのにマタゾロ来やはった」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

都の大学



学問の都として古くからの伝統を持つ京都は、現在も全国有数の大学都市として知られている。ちょっと古いが、2001(平成13)年度の調査では、京都市内に所在する大学(4年制・短大)は37校で、その学生数は約13万6000人(京都市総人口の約1割)にのぼり、学生数の人口比は全国の大都市で第1位となっている。ちなみに同年度、東京都区部は126校・約48万人、大阪市では17校・約3万7000人だった。このような現在につながる大学の制度は、1886(明治19)年の帝国大学令にもとづく帝国大学(現在の東京大学)の創立に始まる。これに続く2番目の帝国大学として設立されたのが、京都帝国大学(現在の京都大学)だ。明治以降、官立の帝国大学とは別に、私立の学校が次々と創立された。京都では早くから同志社英学校(現在の同志社大学)や京都法政学校(現在の立命館大学)が創立されたほか、京都に本山を置く仏教各宗派の学校も改革が進められ、明治時代に近代的な学校となった。


(神戸ルミナリエ) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

当初、最高学府としての大学と認められていたのは、官立の帝国大学に限られていが、やがて多くの私立学校が大学を名乗るようになり、1918(大正7)年の大学令施行によって、官立・私立を問わず多数の大学が大学令による最高学府として発足した。さらに戦後、教育制度が改革され、1947(昭和22)年の学校教育法施行により大学も新制大学として改編され、現在にいたる大学教育制度が整備されることになったというのが、歴史の概略だ。


(神戸ルミナリエ) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

その大学で学ぶ学生たちの動きとして、島根、千葉の両県で昨秋、女子大生が凶悪事件に巻き込まれたのを受け、京都の某女子大の学生有志が自学キャンパス周辺のパトロールや防犯マップ作りに取り組んでいると聞いた。同様の悲劇を繰り返すまいと、通学路の危険個所に目を光らせて「自分たちの身の安全は自分たちで守る」と意気込んでいるという。凶悪な事件が続く中での護身のひとつとしての動きだろうが、「頑張れ」と思わずエールを送りたくなる。
一方、京都の某私立大学の男子学生(22歳)が女性盗撮の疑いで逮捕されている。インターネットのアダルトサイトで知り合った相手と女性のスカート内を盗撮したというものだ。手口は、女性店員にひとりが話しかけている間に、もうひとりが靴の先につけたピンカメラでスカート内を撮影するというもの。ある意味、チームプレーであるが、このチームプレーは、いただけない。「親に高い学費を出してもらって、前科者となるとは何事だ」と思わず激怒したくなる。
これらのことはほぼ同時期のもだが、同じ大学生でも意識の違いがこれほどにあるのか、と驚かされる…今京都。 ※2009神戸ルミナリエの掲載は本日でおしまい。

言板
先日、「京都の釣鐘」についてお問い合わせいただいた方へ。
折り返しメールをさせていただきましたが、気になることがありますので、この場に掲載させていただきます。こちらからのメールが「迷惑ボックス」に入ってしまう可能性があります。「返信がない」とお困りではないか、と気になりましたので、受信ボックスにメールが届いていない場合は、迷惑メールボックスも確認してください。
また、万一のことを想定して、お問い合わせの内容はここ(←クリック)に掲載しています。
よろしくお願いいたします。


 

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今京都 かく 2009/12/26 12:00 am


持ち上げて運ぶ。一人では持てないような重い荷物を他の場所へ移す。「この机ちょっとそこまでカイテほしいのやけど」「これ重たいさかいカイテんか」 駕籠を舁(か)くというように、肩にかつぐこと。漢字「舁」は、二人で両手を差し出して物を運ぶさまを表す。カタゲルは担う、かつぐ、肩に乗せる。「肩」を動詞化した。カタグとも。「重い荷物カタゲテ(カタイデ)通らはる」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

宮神社の常夜燈 (旧フォトヴィレッジ 2007年4月23日掲載)
京都市北区の千本北大路の交差点から北に約200mの地点に南東に斜めに延びた道がある。通称「みこし道」。近くの今宮神社の例祭「今宮祭」の「みこし」を指す。しかし、今は「みこし」は通らない。この道が東に折れる場所に、ゆうに3mはある大型の常夜燈が一基、鉄柵に囲われて立っている。



「今宮大神宮」「往来安全」の文字と、秤(はかり)屋や米屋といった姓の町人らしい世話人11名の名が刻まれている。信仰に厚い氏子たちが、お参りする人や旅人の道中の安全を祈って参道に寄進したものなのか?



5月の今宮祭。今宮神社を出た「みこし」は、かつてはこの道を経て御旅所に向かっていた。今では家が建って道が寸断され「みこし」は千本通を通る。「みこし道」の呼び名は地元の人にしか通じなくなったという。常夜燈ができたのは1830(文政13)年ということ。当時、今宮祭は「南の祇園、北の今宮」と称されたといい、この大型の常夜燈は豪勢な「みこし」行列が通った「みこし道」を偲ばせている。
さて、この記事で旧フォトヴィレッジからの主要な記事の再掲は終わり。次回からの分が全く用意できていない。どうしたものか思い悩む…今京都。


 

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