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今京都 おけらまいり 2010/01/26 12:00 am

けらまいり
大晦日の夜に八坂神社に参詣すること。火縄にオケラ火を移して家に持ち帰り、その火で元旦の雑煮を煮て祝う。オケラ(白朮)は山野に自生するキク科の多年草。オケラ火は、きり火でオケラを炊いて、それを縄につけたもの。その煙のなびく方向によって作物の豊凶を占った。むかし、おけら火を家に持ち帰る途中、知った人に出会って悪口をいってもその晩は許されたので、悪口参りともいった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

碑(続)
あいにく石碑に刻まれていることを調べていない。







写真のみの掲載になることを堪忍…今京都。


 

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今京都 こうつと 2010/01/25 12:00 am

うつと
ええと。さてどうだったか。物事を思案するとき発する挿入句である。「この次はどうするか、コーツト、ちょっと待ってんか」「コーツトあの問題どないしようかな」 次の語との間に少しポーズを置いていう。コーツトのコーは「斯(か)く」から。夏目漱石『それから』には「門野さん、郵便は来ていなかったかね」を受けて「郵便ですか。こうつと、来ていました」のように答える場面がある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)


京都の町を歩いていると、大小に関わらず石碑を目にすることが多い。その数はお地蔵さんと同じくらいではないだろうかと思うくらいである。







今は、狙って撮っていないので、枚数もないが、手持ちのものを紹介したい…今京都。


 

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今京都 のりかいもん 2010/01/21 12:00 am

りかいもん
糊をつけてこわばらせた衣服。糊づけをすることを「糊を飼う」といった。飼うは食を与えるの意。「ノリカイモンで身につかん」という。ノリカイモンは肌に密着しない。したがって、自分のものにならない、身につかないのしゃれ言葉になった。さらに「ぱりぱりしている」のしゃれにもいう。ノリカイモンは、ぱりぱりしているので、いばっている、威勢がよいの意味にかけた。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

らない橋
一条戻橋というのは、堀川通りの一条にかかる小さな橋で、死人がこの橋の上で生き返った(戻った)ところから、いつしか戻り橋と名づけられた。その昔、その橋に愛宕山の鬼が出没し人々を悩ませていたが、ある日、源頼光の四天王のひとり渡辺綱という武士がその鬼の腕を切り落としたという伝説がある。この話は『戻橋』という演題で歌舞伎にもなっている。また陰陽師の安部清明がこの橋の下に式神(鬼を飼い馴らしたもの)をひそませていたというエピソードでも知られている。京都では結構有名なところだが、婚礼儀式の時には、決してこの橋を渡ってはいけないと言い伝えられている。



これは橋の名称である「戻り橋」という名にこだわり、嫁ぎ先から嫁が戻って来ないように言い出されたことで、今でもそこを通らず、わざわざ遠まわりをする。こういった場所は、この戻り橋だけではなく他にも見られる。このようにいうと、京都人はつまらぬみとにこだわると思われるかもしれないが、ここに、京都人の事を行う儀式作法の考え方の原点というべきものがある。ささいなことにこだわりながら、ひとつの儀式を大切にしてきた。婚礼という人生の一大儀式を軽く考えず、重たく考える発想から、道順というささいなことに神経を使い、まわりの者がいろいろと知恵を出し合いながら、時には一方通行の道路を警察署に書類を提出し、逆方向に通らせてもらうといったことまでしてきた。儀式に対する思い入れ、これこそ京都なのだ。



京都の結納用品の専門店やデパートの婚礼用品の売り場でも「婚礼用品は、商品の性格上、返品はお受けできませんので何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます」といった返品お断りの小さな看板があるという。返品された商品を、わからなければよいといって他のお客さんに販売するような、そんな感性を京都人は持ち合わせていない。こんなところにも京都のこだわりといったものを感じる。



この一条戻り橋には、戦争中、出征兵士を見送るのに、わざわざこの橋まで行って、必ず戻ってきて欲しいと願ったという悲しい話も残っている。現在では、京都を訪れた人がこの橋を渡れば、もう一度必ず京都に来ることができるといわれている…今京都。 ※写真は京都の街並みで本文とは関係ないのであしからず。


 

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今京都 さいはらい 2010/01/19 12:00 am

いはらい
はたき。塵払い。「サイハライで掃除したもんや」 サイは「裂き」から。はたきは布や紙を裂いて作るのでいう。掃除をするとき障子の桟(さん)のゴミを取るのに用いた。電気掃除機の普及によって、しだいに使用されなくなった。『日本国語大辞典』は『北辺随筆』(1816)を引用して「今俗、さいはらひといひて絹・紙などをさきて、小竹にゆひつけ、塵を払ふ具とす」とある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

原牛乳
京都市内を散策していると、牛乳箱に「松原牛乳」という文字を見ることが多い。明治でも森永でもなく、何故「松原牛乳」なのか気になったので、その謎を探ってみた。



「ボーイズ・ビー・アンビシャス(少年よ大志を抱け)」と、クラーク博士が札幌農学校を開いたのは、1876(明治9)年のこと。これよりも早く、京都市内に西洋風の牧場があったという。いちめん白いダッチ・クローバにおおわれた牧場に、羊や牛がのんびり草をはむ光景が広がっていたとのこと。ちょっぴり信じがたいこのお話、牧場があったのは真実なのである。



舞台は1872(明治5)年。当時の知事は勧業政策のひとつとして、日本のさきがけとなる京都牧場をつくった。場所は、荒神橋を渡った鴨川の東岸、吉田下阿達町から聖護院川原町の旧練兵場敷地に設置。もとは聖護院領で、聖護院の森が広がっていた。現在は京大病院が広い敷地をもつあたりである。米国から牛や羊を買い入れて、ドイツ人ションソンやアメリカ人農牧師ウィードを招聘し、近代的牧畜の振興をはかった。牛乳の効能をPRしながら、しぼりたての牛乳を一合五銭で販売し、バター、練乳、粉乳の製造を手がけた。また羊の毛を刈り取って、希望者に販売もしたという。



やがて、牛や豚の飼育が進みはじめると、1876(明治9)年には京都府船井郡須知村蒲生野に分場を開設。クラーク博士の札幌農学校と時を同じくして、ウィード教授による京都府農牧学校が誕生した。北の大地ばかりではない、京都の「黒ぼく(農耕に適した腐植土質の土地)の大地」にも大志を抱いた青年が各地から集まってきた。授業はアメリカの教科書、農具を用いて、すべて英語で行われたという。



しかし、ウィード教授の任期満了とともに、この農牧学校はわずか3年で、1879(明治12)年に廃校なり、続いて市内、鴨川東岸の牧畜場も1880(明治13)年、民間に払い下げられてしまった。当時の関係者は、同志社英学校を創設した新島襄(にいじまじょう)を介し、札幌より帰米したクラーク博士に依頼して、ウィード教授の後任を求め存続をはかろうとしたものの、実現を見ずに終わったのだという。



京都府農牧学校は、駒場農学校(現・東京大学農学部)、札幌農学校(現・北海道大学農学部)とともに、日本三大農業教育発祥の地であっただけに、もしその後も存在していれば、大学にもなりえた学校であった。その跡を示す記念碑はいま、京都府立須知高校正門前手前、左側の小さな池畔に「黒ぼくの大地を拓いた人々」という碑文が刻まれて建っている。



鴨川の東岸では、京大東南アジア研究センターの前庭に「明治天皇行幸所牧畜場跡」(明治10年2月1日)の碑がある。かつて「おらんだ・げんげ」と呼ばれて、この一帯に白い花を咲かせたダッチ・クローバは、わが国で初めて輸入され、植えられたものだ。荒神橋から丸太町橋あたり、鴨川の東岸河原でクローバを探してみよう。もしみつかったら、それは明治の香りを伝える「おらんだ・げんげ」の子孫かも知れない。



この牧畜場から京都市内・五条通以南の牛乳配達人を命じられたのが松原栄太郎。のちに御所御用達の「京の牛乳」として知られた松原牛乳の発祥であった。こうして京都の牛乳箱には「松原牛乳」という文字が増えることになる。明治でも森永でもなく「松原牛乳」が多いのはこういうことであった…今京都。 ※本文と写真は関係ないのであしからず。


 

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今京都 ろくしか 2010/01/16 12:00 am

くしか
ろくに。まともに。「この仕事ロクシカできひんくせして」 ロクは陸で真っすぐ平らなこと。陸地のように水平で、歪みなく正しいこと。ロクシカのシカは「わずかに、それだけの」 ロクスッポは物事が不十分なさま。スッポは「推量」からか。「寸法」からか。「ロクスッポこんな仕事もやれへんのに偉そうなこと言うな」のように打ち消しの語を伴う。ロクニ、ロクロクとも。「禄」は当て字。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

が男性、黒が女性
京都には「食べ初め膳」という特別のお膳があったり、お雑煮のお椀もお椀の蓋が椀の中にすっぽり入ってしまうような独特のものがある。蓋をすることの主たる役目は、ちりやほこりが中に入らないようにいるためであることはいうまでもないが、京都ではお椀に蓋をしない。本来、お正月には、「お正月様」という神様をお迎えしているから、そのお部屋は神聖であり、ちりやほこり等があるはずがない。だからお椀に蓋は必要ない。一見、蓋に見えるものは蓋ではなく、取り皿なのである。



お椀の色には黒と赤があるため、黒いものが男性用で赤いものが女性用と、一般的には思われる。しかし、京都ではそれが逆になる。内朱(うちしゅ)といって内が赤く外が黒いものが女性用で、惣朱(そうしゅ)といって内も外も赤いものが男性用。古墳などから出土した土器には、よく赤い色が塗られているという。赤い色を塗ることによって、つくりだされただけのただの器に魂を吹き込み、その器を生あるものとして大切に扱ってきた。赤い色は、もちろん人間の血液を表現したものだ。



それでは、なぜ女性のものが黒なのかということだが、赤い色を塗って魂を吹き込んだあと、黒色、すなわち水を表現した色を外側に塗り、より神聖に清めたのだとか、黒色を女性とした陰陽道の思想からきているのだとか、何度も何度も塗り重ねていくうちに黒くなったのだとか、様々な説があるが、残念ながらまだはっきりとしたことはわからない。また、これら儀式用のお膳には、足高(あしだか)というものがあり、女性が使用する。男性のものは足が低くなっている。というのは、男性の場合はあぐらを組んで食事をするが、女性の場合し正座(立てひざ座り)をするのでお膳の足が高くなっている。



食べ初めもお正月も、食する時には必ず柳箸(やなぎばし)を使用し、塗箸(ぬりばし)を使うことはない。
また、後世、これらお椀やお膳に定紋(じょうもん)を入れるようになった。男性のものは金か黒色で、女性のものは銀で入れる。ひとつのものにこれほどこだわり、使い分けをしているのは、おそらく京都だけではないだろうか。たかがお椀、しかし、これもやはりひとつの文化であり、こういったものが平安時代から1200年もの長きにわたって今日まで伝わってきたということに、なぜか感動を覚えるという京都の文化のお話…今京都。 ※写真と本文は関係ないのであしからず。


 

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