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今京都 しびれきょうへのぼれ 2010/02/12 12:00 am
しびれきょうへのぼれ
正座して足が痺れたとき、痺れを治すまじないのことば。痺れが切れると「ヒジレ京ヘノボレ」と唱えて、痺れがなくなるようにと祈った。呪文を唱えてデボチン(額)に唾を三回つけると治るという。「痺れが京へ上る」とは、ずっと痺れを切らした状態で、待ちくたびれているさま、あきあきしている形容にもいう。あくびが「大和回り」をしているというように長時間待つ比喩であった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
京町家の調査と保存
京都市に推計で約50,000軒あると見られる京町家の全戸実態調査を行うという記事が目に飛び込んできたのが、昨年の10月末だったか、その前の年の10月末だったか、記憶が定かでない。しかし、2010年3月をめどに結果をまとめるという記憶は確かだ。

全戸対象調査は初めてで、延べ5,000人の調査員が街を歩いて外観を確認したり、所有者らに維持管理の課題などを聞くアンケート調査を実施するという内容で、保存と活用の対策につなげるということだった。これまでに、1995年度から1998年度にかけて上京、中京、下京、東山の4区で調査し、約28,000軒の町家を確認している。2003年度に中京区の一部で再調査したところ、約1割減少している傾向をつかんだとの記事も併記されていた。

今回の調査では、以前に調査した4区に北区を加えた計5区と、伏見区の旧市街地、鞍馬街道など12の街道沿いに調査の域をひろげるということだった。間もなく、めどとしている2010年3月。さて、結果はどうなることやら…今京都。

正座して足が痺れたとき、痺れを治すまじないのことば。痺れが切れると「ヒジレ京ヘノボレ」と唱えて、痺れがなくなるようにと祈った。呪文を唱えてデボチン(額)に唾を三回つけると治るという。「痺れが京へ上る」とは、ずっと痺れを切らした状態で、待ちくたびれているさま、あきあきしている形容にもいう。あくびが「大和回り」をしているというように長時間待つ比喩であった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
京町家の調査と保存
京都市に推計で約50,000軒あると見られる京町家の全戸実態調査を行うという記事が目に飛び込んできたのが、昨年の10月末だったか、その前の年の10月末だったか、記憶が定かでない。しかし、2010年3月をめどに結果をまとめるという記憶は確かだ。

全戸対象調査は初めてで、延べ5,000人の調査員が街を歩いて外観を確認したり、所有者らに維持管理の課題などを聞くアンケート調査を実施するという内容で、保存と活用の対策につなげるということだった。これまでに、1995年度から1998年度にかけて上京、中京、下京、東山の4区で調査し、約28,000軒の町家を確認している。2003年度に中京区の一部で再調査したところ、約1割減少している傾向をつかんだとの記事も併記されていた。

今回の調査では、以前に調査した4区に北区を加えた計5区と、伏見区の旧市街地、鞍馬街道など12の街道沿いに調査の域をひろげるということだった。間もなく、めどとしている2010年3月。さて、結果はどうなることやら…今京都。


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今京都 つきまいり 2010/02/11 12:00 am
つきまいり
月参り。毎月決まった日に社寺に参詣すること。オツイタチ(1日)には「お稲荷さん」(伏見稲荷)、21日は「弘法さん」(弘法大師を祭る東寺)、25日は「天神さん」(北野天満宮)、28日は「狸谷さん」(狸谷不動尊)など、植木や古道具などの市で賑わう。京の人は21日が晴天で25日が雨天だと、「今日は弘法さんが勝たはった」といい、その反対になると「天神さんが勝たはった」という。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
京の通り歌
京都の生活で欠かせないのが通りの名だ。場所を示すにしても上ル下ルに掲載したように通り名が多く使われている。覚えるのが大変であるが、どっこい、京都には、こういう歌がある。
♪ まるたけえびすに、おしおいけ、あねさん、ろっかくたこにしき、しあやぶったか、まつまんごじょう
漢字で書くと「丸竹夷二、押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高、松万五条」となる。
これは、京都の横(東西)の通りの、丸太町通から竹屋町通、夷川通、二条通、押小路通、御池通、姉小路、三条通、六角通、蛸薬師通、錦通、四条通、綾小路通、仏光寺通、高辻通、松原通、万寿寺通、五条通までを北から歌ったものだ。

同様に、
♪ てらごこふやとみやなぎさかい、たかあいひがくるまやちょう、からすりょうがえむろころも、しんまちかまんざにしおがわ、あぶらさめがいほりかわのみず、よしやいのくまくろおおみや、まつひぐらしにちえこういん、じょうふくせんぼんはてはにしじん
というのもある。漢字で書くと「寺御幸麩屋富柳堺 高間東車屋町 烏両替室衣 新町釜座西小川 油醒ヶ井堀川の水 葭屋猪熊黒大宮 松日暮に智恵光院 浄福千本はては西陣」となる。
これは、縦(南北)の通りの、寺町通、御幸町通、麩屋町通、富小路通、柳馬場通、堺町通、高倉通、間之町通、東洞院通、車屋町通、烏丸通、両替町通、室町通、衣棚通、新町通、釜座通、西洞院通、小川通、油小路通、醒ヶ井通、堀川通、葭屋町通、猪熊通、黒門通、大宮通、松屋町通、日暮通、智恵光院通、浄福寺通、千本通までを東から歌ったものだ。

京都人でも縦(南北)の歌はあまり馴染みがないと思う。
これらを覚えるのも大変だけれど、何気なく覚えてしまうもの。この歌は、京都の生活では結構役に立つことが多い。タクシーの運転手さんもお客さんに行き先を告げられたときに、自分に確かめるかのように、口にする人もいる。
この歌、地図をみていただくとわかるが、歌になっているのは、上京(かみぎょう)から下京(しもぎょう)の範囲。以前に上京・下京で少し触れたように、もともとの市内を歌ったものだろう。まぁ、これは推測に過ぎないが…。いずれにしても、碁盤の目のような通り名を覚えるには歌にしてしまうのが一番良い方法かも知れない。この歌、CDもあるし、ラジオでも流れる…今京都。

月参り。毎月決まった日に社寺に参詣すること。オツイタチ(1日)には「お稲荷さん」(伏見稲荷)、21日は「弘法さん」(弘法大師を祭る東寺)、25日は「天神さん」(北野天満宮)、28日は「狸谷さん」(狸谷不動尊)など、植木や古道具などの市で賑わう。京の人は21日が晴天で25日が雨天だと、「今日は弘法さんが勝たはった」といい、その反対になると「天神さんが勝たはった」という。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
京の通り歌
京都の生活で欠かせないのが通りの名だ。場所を示すにしても上ル下ルに掲載したように通り名が多く使われている。覚えるのが大変であるが、どっこい、京都には、こういう歌がある。
♪ まるたけえびすに、おしおいけ、あねさん、ろっかくたこにしき、しあやぶったか、まつまんごじょう
漢字で書くと「丸竹夷二、押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高、松万五条」となる。
これは、京都の横(東西)の通りの、丸太町通から竹屋町通、夷川通、二条通、押小路通、御池通、姉小路、三条通、六角通、蛸薬師通、錦通、四条通、綾小路通、仏光寺通、高辻通、松原通、万寿寺通、五条通までを北から歌ったものだ。

同様に、
♪ てらごこふやとみやなぎさかい、たかあいひがくるまやちょう、からすりょうがえむろころも、しんまちかまんざにしおがわ、あぶらさめがいほりかわのみず、よしやいのくまくろおおみや、まつひぐらしにちえこういん、じょうふくせんぼんはてはにしじん
というのもある。漢字で書くと「寺御幸麩屋富柳堺 高間東車屋町 烏両替室衣 新町釜座西小川 油醒ヶ井堀川の水 葭屋猪熊黒大宮 松日暮に智恵光院 浄福千本はては西陣」となる。
これは、縦(南北)の通りの、寺町通、御幸町通、麩屋町通、富小路通、柳馬場通、堺町通、高倉通、間之町通、東洞院通、車屋町通、烏丸通、両替町通、室町通、衣棚通、新町通、釜座通、西洞院通、小川通、油小路通、醒ヶ井通、堀川通、葭屋町通、猪熊通、黒門通、大宮通、松屋町通、日暮通、智恵光院通、浄福寺通、千本通までを東から歌ったものだ。

京都人でも縦(南北)の歌はあまり馴染みがないと思う。
これらを覚えるのも大変だけれど、何気なく覚えてしまうもの。この歌は、京都の生活では結構役に立つことが多い。タクシーの運転手さんもお客さんに行き先を告げられたときに、自分に確かめるかのように、口にする人もいる。
この歌、地図をみていただくとわかるが、歌になっているのは、上京(かみぎょう)から下京(しもぎょう)の範囲。以前に上京・下京で少し触れたように、もともとの市内を歌ったものだろう。まぁ、これは推測に過ぎないが…。いずれにしても、碁盤の目のような通り名を覚えるには歌にしてしまうのが一番良い方法かも知れない。この歌、CDもあるし、ラジオでも流れる…今京都。


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今京都 とんど 2010/02/09 12:00 am
とんど
小正月に門松、注連縄、書き初めなどを持ち寄って燃やす火祭り。左義長。「トンドや左義長、アモ(餅)の欠け、ないかいな」と子どもたちは町内を回った。トンドは火の燃える音からか。陰陽師が「どうどや」と囃したことからとも。宮中では正月15日と18日の早朝に行われ、青竹を柱に毬打三個を立てたので三毬打という。毬打は子どもの遊びに用いた毬を打つ長柄の槌。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
京の大地震
「よもや京都には大地震はないだろう。都が長く続いたのも京都に天災が少ないから」と京都人も京都を外から眺める人々もこんなふうに勘違いしそうになっていた。1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こるまでは。

天災は本当に忘れた頃にやってきた。阪神淡路大震災の恐怖に目覚めて調べてみると、京都には過去、幾度もの大地震があった。古くは平安時代、白河にあった法勝手等の幻の塔が滅びたのも、秀吉の伏見城が崩壊したのも、江戸時代に二条城から本丸が消えたのも、京都を襲った大地震が原因。以下に京都の地震史をまとめてみた。

827(天長4)年 M6.8 舎屋多く潰れ、余震が翌年6月まであった。
887(仁和3)年 津波 南海トラフ内側のM8級の巨大地震とみられる。5畿7道で津波による溺死者多数。京都は官舎民家倒壊あり、圧死者多数。
938(天慶元)年 M7 天慶の大地震。宮中の内膳司崩れ、堂塔・仏像も多く倒壊。
976(貞元元)年 M6.7以上 屋舎・諸仏寺の転倒多く、死者50以上。
1096(永長元)年 M8級 東海沖の巨大地震とみられる。大極殿小破、諸寺被害。東大寺の巨鐘落ちる。
1185(元暦2年) M7.4 元暦の大地震。「洛中民家ことごとく倒壊」。とくに白河で被害大、法勝寺五重塔壊滅。死者多数。
1317(文保元)年 M6.5〜7 強震余震多く群発地震か。白河辺に被害。清水寺出火。
1361(正平16)年 M8級 南海トラフ沿いの巨大地震と思われる。
1498(明応7)年 M8級 南海トラフ沿い巨大地震とみられる。紀伊から房総に津波。
1596(慶長元)年 M7.5 慶長の大地震。伏見城大破。三条〜伏見間で被害大。死者多数。
1662(寛文2)年 M7.5 比良断層系または花折断層から発生か。滋賀・京都で倒壊・潰家、死者多数。江戸、長崎でも有感。
1830(文政13) M6.5 京都大地震。直下型で余震多い。二条城本丸大破、御所破損。とくに土蔵崩壊が著しい。地割れ、泥噴出。
1854(安政元)年 M7.3 木津川断層系から発生か。伊賀上野、奈良、大和郡山で被害が著しい。
1995(平成7)年 M7.2 阪神淡路大震災。活断層の活動による直下型地震。京都でも地域により被害大。

花折、西山、黄檗、京都には三つの活断層がある。いつ地震があってもおかしくないのが京都だ。過去の地震の発生を知ることにより、いざというときの準備になる。ということで、知っておきたい過去にあった京の大地震…今京都。

小正月に門松、注連縄、書き初めなどを持ち寄って燃やす火祭り。左義長。「トンドや左義長、アモ(餅)の欠け、ないかいな」と子どもたちは町内を回った。トンドは火の燃える音からか。陰陽師が「どうどや」と囃したことからとも。宮中では正月15日と18日の早朝に行われ、青竹を柱に毬打三個を立てたので三毬打という。毬打は子どもの遊びに用いた毬を打つ長柄の槌。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
京の大地震
「よもや京都には大地震はないだろう。都が長く続いたのも京都に天災が少ないから」と京都人も京都を外から眺める人々もこんなふうに勘違いしそうになっていた。1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こるまでは。

天災は本当に忘れた頃にやってきた。阪神淡路大震災の恐怖に目覚めて調べてみると、京都には過去、幾度もの大地震があった。古くは平安時代、白河にあった法勝手等の幻の塔が滅びたのも、秀吉の伏見城が崩壊したのも、江戸時代に二条城から本丸が消えたのも、京都を襲った大地震が原因。以下に京都の地震史をまとめてみた。

827(天長4)年 M6.8 舎屋多く潰れ、余震が翌年6月まであった。
887(仁和3)年 津波 南海トラフ内側のM8級の巨大地震とみられる。5畿7道で津波による溺死者多数。京都は官舎民家倒壊あり、圧死者多数。
938(天慶元)年 M7 天慶の大地震。宮中の内膳司崩れ、堂塔・仏像も多く倒壊。
976(貞元元)年 M6.7以上 屋舎・諸仏寺の転倒多く、死者50以上。
1096(永長元)年 M8級 東海沖の巨大地震とみられる。大極殿小破、諸寺被害。東大寺の巨鐘落ちる。
1185(元暦2年) M7.4 元暦の大地震。「洛中民家ことごとく倒壊」。とくに白河で被害大、法勝寺五重塔壊滅。死者多数。
1317(文保元)年 M6.5〜7 強震余震多く群発地震か。白河辺に被害。清水寺出火。
1361(正平16)年 M8級 南海トラフ沿いの巨大地震と思われる。
1498(明応7)年 M8級 南海トラフ沿い巨大地震とみられる。紀伊から房総に津波。
1596(慶長元)年 M7.5 慶長の大地震。伏見城大破。三条〜伏見間で被害大。死者多数。
1662(寛文2)年 M7.5 比良断層系または花折断層から発生か。滋賀・京都で倒壊・潰家、死者多数。江戸、長崎でも有感。
1830(文政13) M6.5 京都大地震。直下型で余震多い。二条城本丸大破、御所破損。とくに土蔵崩壊が著しい。地割れ、泥噴出。
1854(安政元)年 M7.3 木津川断層系から発生か。伊賀上野、奈良、大和郡山で被害が著しい。
1995(平成7)年 M7.2 阪神淡路大震災。活断層の活動による直下型地震。京都でも地域により被害大。

花折、西山、黄檗、京都には三つの活断層がある。いつ地震があってもおかしくないのが京都だ。過去の地震の発生を知ることにより、いざというときの準備になる。ということで、知っておきたい過去にあった京の大地震…今京都。


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今京都 しまつ 2010/02/05 12:00 am
しまつ
倹約。質素。京都人はシマツする暮らしを美徳と考えてきた。金品を必要以上に惜しむケチではない。「手間暇かけてもお金はかけるな」とは台所をあずかる女の心得であった。食生活はシマツを旨とし素材を無駄なく使い切り、安価な材料を手間暇を惜しまずおいしいものにするのがシマツの心。テマモン(手間物)は多種多彩な細工野菜。料理として鉢皿に添える。「鉢もんにはテマモンが大事どす」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
かごめかごめ(童謡物語第15弾) vol.5 vol.4はここ(←クリック)
しかし「すべる」のだから捕まってしまったというわけだ。それが「すべる」にはまだこんな意味もあった。間をすり抜ける、脱出するのである。そうなれば自由の身を得たという反対の解釈になってしまう。そして最後の意味深長なフレーズ、
♪ うしろのしょうめんだーれ
実はこの部分も黄表紙の頃には歌われていなかった。黄表紙にはこの「かごめかごめ」のことを昔から伝わる「かごめ物語」と記している。つまりこれは、最初のうちは「歌」ではなく「お話」、それも脱出の物語として語り継がれていたのである。それを子どもたちが遊びの中で歌をつくり育てていったのだ。

そうなれば自然発生的に語呂合わせのように、最後に
♪ うしろのしょうめんだーれ
と、つけたということも考えられる。「神様のいうとおり」などと同列なのだ。この部分が生まれることにより、この遊びは物当てや占いの要素を多分に含むようになっていった。「うしろの正面」は、それはまぎれもなく真後ろ、自分の目では確かめることのできない場所、つまり人間界と神との通り道のことなのだ。言葉などでは表現できない暗く大きなもの、それは過去だったり未来だったり、異次元だったりする。現世とはまるで違う世界を意味している気がする。だから見ようとして見えない所こそ、「うしろのしょうめん」なのである。自分で確かめてみればわかる。どうやったって絶対に見えない場所がうしろの正面なのだ。そう鏡を使わない限りは…。

鏡は魂を吸い取るものと昔からいわれてきた。合わせ鏡をしても、うしろの正面に隠されている人間界と神の通り道は見えない。さぁ振り向いてごらん。あなたのうしろの正面をみてごらん、みえるものなら。ということで今回の童謡物語はおしまい。この童謡物語、しばらく休憩したいと思う…今京都。 ※写真と本文は関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第14弾「うれしいひなまつり」はここ(←クリック)

倹約。質素。京都人はシマツする暮らしを美徳と考えてきた。金品を必要以上に惜しむケチではない。「手間暇かけてもお金はかけるな」とは台所をあずかる女の心得であった。食生活はシマツを旨とし素材を無駄なく使い切り、安価な材料を手間暇を惜しまずおいしいものにするのがシマツの心。テマモン(手間物)は多種多彩な細工野菜。料理として鉢皿に添える。「鉢もんにはテマモンが大事どす」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
かごめかごめ(童謡物語第15弾) vol.5 vol.4はここ(←クリック)
しかし「すべる」のだから捕まってしまったというわけだ。それが「すべる」にはまだこんな意味もあった。間をすり抜ける、脱出するのである。そうなれば自由の身を得たという反対の解釈になってしまう。そして最後の意味深長なフレーズ、
♪ うしろのしょうめんだーれ
実はこの部分も黄表紙の頃には歌われていなかった。黄表紙にはこの「かごめかごめ」のことを昔から伝わる「かごめ物語」と記している。つまりこれは、最初のうちは「歌」ではなく「お話」、それも脱出の物語として語り継がれていたのである。それを子どもたちが遊びの中で歌をつくり育てていったのだ。

そうなれば自然発生的に語呂合わせのように、最後に
♪ うしろのしょうめんだーれ
と、つけたということも考えられる。「神様のいうとおり」などと同列なのだ。この部分が生まれることにより、この遊びは物当てや占いの要素を多分に含むようになっていった。「うしろの正面」は、それはまぎれもなく真後ろ、自分の目では確かめることのできない場所、つまり人間界と神との通り道のことなのだ。言葉などでは表現できない暗く大きなもの、それは過去だったり未来だったり、異次元だったりする。現世とはまるで違う世界を意味している気がする。だから見ようとして見えない所こそ、「うしろのしょうめん」なのである。自分で確かめてみればわかる。どうやったって絶対に見えない場所がうしろの正面なのだ。そう鏡を使わない限りは…。

鏡は魂を吸い取るものと昔からいわれてきた。合わせ鏡をしても、うしろの正面に隠されている人間界と神の通り道は見えない。さぁ振り向いてごらん。あなたのうしろの正面をみてごらん、みえるものなら。ということで今回の童謡物語はおしまい。この童謡物語、しばらく休憩したいと思う…今京都。 ※写真と本文は関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第14弾「うれしいひなまつり」はここ(←クリック)


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今京都 やどばいり 2010/02/04 12:00 am
やどばいり
奉公人が別家すること。宿は「わが家」の意味。自分の家に入り独立する「宿はいり」から。室町では奉公人の番頭が別家すること。昔は年季を勤めた者は別家して、世帯を持って本家に通勤した。優秀な者は、独立して商売をする「独立別家」になった。戦後は別家制度は一部を除きなくなった。また、奉公人が休日に実家に帰ることにもいった。「昔はヤドバイリで家に帰れるのがうれしかったもんや」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
かごめかごめ(童謡物語第15弾) vol.4 vol.3はここ(←クリック)
今から220年以上も前に出ている本の中でも、すでに昔々より言い伝わる歌だったということがわかる。この黄表紙に書かれている「かごめ」はなんと「籠女」の字で表記されている。つまり、籠から出られない遊女のことを歌っている歌だとされているのだ。「囲う」にも妾として妾宅に置くという意味があるし、「江戸語辞典」によれば、さらに「籠」は遊郭を意味するるともある。また「籠の鳥」とは、籠に入れられて飼われる鳥のことを指す一方で、身の自由を束縛されている者、とくに遊女のことをいうとしているのだ。
♪ かごの中のとりは いついつでやる
遊郭に身売りされた娘は、いつになったら出て来られるのだろう、と親兄弟が案じている歌だと解すのである。続く、
♪ 夜明けのばんに
とは黄表紙の説明によると、「夜のうちやりし」となっている。「うちやりし」は、そのままにしておくこと、投げ捨てておくことの意味となる。つまり夜になっても、そのまま遊郭から出て来られない様ということになるわけだ。「ばん」を「晩」とし、「夜明けの晩」で明け方のまだ暗い時分を指しているという見方も一般的。また「ばん」を「番」として、遊郭から逃げ出さないように寝ずに見張る番兵、門番のこととする説もある。

さて、夜明けのばんにとうとう
♪ つるとかめがすべった
この部分は「すぺった」や「つぅぺった」となっている地域もある。この鶴と亀を罪なき牢人になぞらえたとの言い伝えも残る。これは隠れキリシタンのことらしく、牢から放たれた鶴亀、よき人たちという意味に解釈するのだ。しかし黄表紙にはこの部分が
♪ つるつる つはいれ
となっている。なんと、ここは鶴のみで亀の存在はない。果たして遊女が夜明け前、または番兵の目を抜け、逃げるとなれば亀と一緒では都合が悪い。ひとりで逃げるより見つかる確率も高い。鶴は普通「鶴の恩返し」などから見ても、その美しい姿、白いあで姿などから女性を表すことが多いが、亀はその形が男性器に似ているため男を表わすことになる。客と逃げたということになるのか?

しかし、亀は足が遅いのが相場だから、逃げるには足手まといなはず。これはおそらくはじめは
♪ つるつるつはいれ
または「つぅぺった」だったものが、慶事の印、鶴に亀の対語で時を経て、こう歌われるようになってしまったのではないかと思われる…今京都。 ※写真と本文は関係ないのであしからず。

奉公人が別家すること。宿は「わが家」の意味。自分の家に入り独立する「宿はいり」から。室町では奉公人の番頭が別家すること。昔は年季を勤めた者は別家して、世帯を持って本家に通勤した。優秀な者は、独立して商売をする「独立別家」になった。戦後は別家制度は一部を除きなくなった。また、奉公人が休日に実家に帰ることにもいった。「昔はヤドバイリで家に帰れるのがうれしかったもんや」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
かごめかごめ(童謡物語第15弾) vol.4 vol.3はここ(←クリック)
今から220年以上も前に出ている本の中でも、すでに昔々より言い伝わる歌だったということがわかる。この黄表紙に書かれている「かごめ」はなんと「籠女」の字で表記されている。つまり、籠から出られない遊女のことを歌っている歌だとされているのだ。「囲う」にも妾として妾宅に置くという意味があるし、「江戸語辞典」によれば、さらに「籠」は遊郭を意味するるともある。また「籠の鳥」とは、籠に入れられて飼われる鳥のことを指す一方で、身の自由を束縛されている者、とくに遊女のことをいうとしているのだ。
♪ かごの中のとりは いついつでやる
遊郭に身売りされた娘は、いつになったら出て来られるのだろう、と親兄弟が案じている歌だと解すのである。続く、
♪ 夜明けのばんに
とは黄表紙の説明によると、「夜のうちやりし」となっている。「うちやりし」は、そのままにしておくこと、投げ捨てておくことの意味となる。つまり夜になっても、そのまま遊郭から出て来られない様ということになるわけだ。「ばん」を「晩」とし、「夜明けの晩」で明け方のまだ暗い時分を指しているという見方も一般的。また「ばん」を「番」として、遊郭から逃げ出さないように寝ずに見張る番兵、門番のこととする説もある。

さて、夜明けのばんにとうとう
♪ つるとかめがすべった
この部分は「すぺった」や「つぅぺった」となっている地域もある。この鶴と亀を罪なき牢人になぞらえたとの言い伝えも残る。これは隠れキリシタンのことらしく、牢から放たれた鶴亀、よき人たちという意味に解釈するのだ。しかし黄表紙にはこの部分が
♪ つるつる つはいれ
となっている。なんと、ここは鶴のみで亀の存在はない。果たして遊女が夜明け前、または番兵の目を抜け、逃げるとなれば亀と一緒では都合が悪い。ひとりで逃げるより見つかる確率も高い。鶴は普通「鶴の恩返し」などから見ても、その美しい姿、白いあで姿などから女性を表すことが多いが、亀はその形が男性器に似ているため男を表わすことになる。客と逃げたということになるのか?

しかし、亀は足が遅いのが相場だから、逃げるには足手まといなはず。これはおそらくはじめは
♪ つるつるつはいれ
または「つぅぺった」だったものが、慶事の印、鶴に亀の対語で時を経て、こう歌われるようになってしまったのではないかと思われる…今京都。 ※写真と本文は関係ないのであしからず。

