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今京都 杓子定規 2008/09/08 12:00 am

ゃくしじょうぎ…一つの基準や規則をすべてに適用して、物事を判断しようとすること。融通が利かないこと。
◇ちょっと予備知識 → もとは、「杓子も定規になる」で、杓子の柄は曲がっているのに、それを定規の代わりと
                すること。誤った基準で物事を判断することをいった。
                類義語に四角四面(しかくしめん)がある。
                対義語は臨機応変(りんきおうへん)・融通無礙(ゆうずうむげ)。

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蔵物語(200)
重ねるということはスゴイ。地蔵物語も200回となった。さてさて、どこまで続けられることやら…地蔵物語。




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今京都 跼天蹐地 2008/09/07 12:00 am

ょくてんせきち…かしこまってびくつくこと。また、肩身が狭く人目を気にして生活すること。
◇ちょっと予備知識 → 身をかがめ、そろそろ忍び歩くことから。そのようにびくびくしていること。
                「跼天」は「局天」とも書く。

並み










蔵物語(199)




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今京都 一視同仁 2008/09/06 12:00 am

っしどうじん…だれかれの区別なく、平等に遇すること。すべての人を分け隔てなく慈しみ、差別しないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「仁」とは思いやりや慈しみの心。「同仁」を「同人」と書くのは誤り。
                類義語に怨親平等(おんしんびょうどう)・公平無私(こうへいむし)がある。
                対義語は依怙贔屓(えこひいき)。


「京都人は納豆を食べない」といわれているが実はそうではない。昔から納豆をよく食べてきたという。かつては農家で納豆を作っていたそうだ。都の隠れ里ともいえる京都市北部の京北の常照皇寺には南北朝以来の「天皇さまの納豆」作りが伝わっているという。ここは東北と並んで、糸引き納豆の二大起源地のひとつとされている。



糸引き納豆の起源は、実は今でも定かではないという。ひとつは後三年の役(1083〜1087)に東北で戦った八幡太郎義家の軍勢が、藁に包んだ煮豆から偶然に発見したとする「東国納豆説」。将軍に納めたので「納豆」ともいわれている。
しかし、これには異説もある。当時、京の都ではすでに糸引き納豆があり、八幡太朗義家がそれを東北各地に伝えたのではないかというものだ。



かたや常照皇寺に伝わる「天皇さまの納豆」は、南北朝の政争で出家した北朝初代の光厳天皇(1331〜1333)をなぐさめるため村人が献上した藁づと豆が発酵し、天皇に喜ばれたとする説。以来、寺を中心に村人たちの納豆作りがはじまった。
室町時代には、京の都で納豆は「おいと」と呼ばれて、庶民の食べ物になっていた。糸を引くから「おいと」。女房ことばに真似た呼称だ。比叡山延暦寺のふもとの町である坂本には、秀吉の時代以来の歴史をもつ「大文字納豆」という納豆販売所の看板が今も伝わる。



かつての京都は、納豆文化の中心にあったのだろうか? 確かに京の中心部では、納豆をあまり食べないように思う。知っている範囲でも納豆嫌いの京都人は多い。しかしそれは今日にいたる京の長い歴史の、最終部分を見ているだけかもしれない。



京都には「大徳寺納豆」や「一休寺納豆」という禅寺の名物納豆がある。このふたつは同じもので、「とんちの一休さん」として名高い大徳寺・一休禅師が室町時代、中国から帰った禅僧に習い、その製法を伝えたとされている。一休さんが晩年を過ごしたのが京田辺市にある一休寺で「一休寺納豆」はお寺とその周辺の家々に伝わる。こちらは糸引き納豆に対し、塩納豆とか寺納豆といわれるもの。同じ納豆の名でも製法は非なるもので、そのルーツは中国にある。



ただし、語源となれば、糸引き納豆も塩納豆も同じ「納豆」だからややこしい。一般には語源は、お寺の納所(なんじょ、なっしょなどと呼ぶ)で作られた豆だから「納豆」、納所に納めた豆だから「納豆」などといわれている。
しかし、それが塩納豆をさすのか、糸引き納豆をさすのかについては言及していない。藁に納めるから「納豆」、ムシロや農家の納屋に納めて作るから「納豆」、案外このあたりが「納豆」の語源かもしれないと思うというお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

【関連記事】
常照皇寺(納豆発祥伝説)vol.1  常照皇寺(納豆発祥伝説)vol.2


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今京都 肝胆相照 2008/09/05 12:00 am

んたんそうしょう…心の底まで打ち解けて理解している間柄。また、そのように親しく深いつき合い。
◇ちょっと予備知識 → 「肝胆」は肝臓と胆のう。そこから、心の奥底。「相照」は「あいてらす」とも読む。

見送り
昔から、人様のお家を訪問する時には訪問する者が気をつかい、辞去する時にはその家の者が気を使うものだといわれている。もし、辞去する時に、玄関を出てまだほんの少ししか歩を進めていないのに門灯が消えたり、玄関の鍵がかけられたりしたら、一体どんな気持ちになるだろう。せっかくの楽しいひと時や思いも一気に消えうせてしまうに違いない。



京都では、門の前まで出てお客さんが曲がり角を曲がるまでお見送りするという習慣がある。お部屋で別れの挨拶をして、玄関でもう一度、そして門の前で、曲がり角で…と何度も何度もお辞儀をしながらお別れをする。京都ではこれが当たり前なのである。



このようなことができる理由はひとつには京都には辻が多く、お見送りするのにちょうどよい距離だというのも影響しているかもしれない。しかし、場所によっては結構長い距離もあるが、基本は曲がり角で曲がって姿が見えなくなるまでお見送りする。



こんな京都の礼儀作法、これが自然と身につき育った者にとっては、なんの疑問も抱かないが、他の地域の人からは何度も何度もお辞儀を繰り返す京都人を理解してもらえず、こういったところをとらえて京都人ししつこいとか慇懃無礼だといわれるのかもしれない。



しかし、これはせっかくご訪問くださったお客さんに対する礼儀というものであり、楽しかったという余韻を、大切にしていることでもある。そして、またのご訪問をお待ちしていますよという気持ちを、心を、行為で示している。ことばで示すかわりに、曲がり角まで見送るという京都のこのあたりまえが、全てを表現し、物語っている。



京都のお別れの作法は、再会への序奏でもある。人との出会い、そして別れ。人の一生はその繰り返しかもしれないが、その時々の人と人とのふれあいを、ただ表面的な形だけにせず、そこに心をいかにこめるかを、京都人はずっと以前より考えていたのであろう。
訪問なされたお客さんにも、まったく同じことが言える。帰る時には、曲がり角まできたらもう一度振り向いて家人にお辞儀をする。



最近、さみしいことだが、お客さんの振り向きがないという。また、このお見送りは料亭などでは今でも見受けられるが、一般家庭ではなくなってきているという。
先日、ちょっとした宴の席で訪問したお店がこの作法をきちんとされていた。
「まだ、見送っている。いったいいつまで見送るん?」
「んっ、多分、あの曲がり角まで」
「えっ、ほんま?」
「ほんまやで。曲がるときにお辞儀するよ」
「ほんまや、お辞儀したはる」
「ほな、ウチらもしとこな」
という会話で思い出した京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

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今京都 壷中之天 2008/09/04 12:00 am

ちゅうのてん…俗界とかけ離れた別天地のこと。また、酒に酔って陶然とすること。
◇ちょっと予備知識 → ある男が壷の中のすばらしい御殿に連れて行かれ、酒食をもてなされて楽しく遊んで
                帰った故事から。
                類義語に壷中天地(こちゅうてんち)がある。

法さん、天神さん
京都には大きな縁日が毎月ふたつある。ひとつは毎月21日に開催される東寺の縁日、もうひとつは毎月25日に開催される北野天満宮の縁日。これらを京都人は親しみを込めて前者を「弘法(こうぼう)さん」、後者を「天神(てんじん)さん」と呼んでいる。「弘法さん」は「お大師さん(おだいっさん)」とも呼ぶことがある。この「弘法さん」「天神さん」は京都人のひと月の生活サイクルの中にすっかり定着している。21日、25日はそれぞれ弘法大師(空海上人)と菅原道真公の命日にあたる。



この縁日はともにたくさんの露店がたちならび、毎月大きなにぎわいを見せている。特に一月の初弘法、初天神と12月の終(しま)い弘法、終(しま)い天神は黒山の人となり、身動きもできないほどである。本来はお詣りが主であることはいうまでもないが、今ではこの露店を目当てに訪れる人も多く、弘法さん、天神さんといえば露店のことだと思っている人もいるくらいである。露店の楽しさがあったからこそ、こけだけ有名になったのかもしれない。



京都では、何か探しものがあれば「弘法さんに行ったら見つかる」などとよくいわれる。どんなものがあるか一例をあげると、傘の柄、靴のへり止め、糸通しの器具、ざる、金網などの日用品から、あらゆる骨董品の山また山、それに古着に時代裂、呉服に反物、靴・草履、病除けの箸や食品などなど、手に入りにくいようなものがある。この縁日で生涯の伴侶をも見つけたというお話もあるくらいである。まさに見つからないものはないという感じである。



毎月祖母につれられてくるお子たちの姿もみることができる。この弘法さん、天神さんのもうひとつの楽しみは、21日が晴れなら25日は雨、21日が雨なら25日は晴れると昔からいわれている。さらにこの晴れ・雨を勝ち負けに置き換えて、たとえば、21日が晴れで25日が雨になれば、その月は「お大師さんが勝たはった」といういい方をするという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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