rrbのブログ - rrbさんのエントリ
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今京都 上意下達 2008/12/07 12:00 am
じょういかたつ…上部の者からの命令を下部のの者に伝えること。上の意思を下に徹底させること。
◇ちょっと予備知識 → 「上意」は上の者の考えや命令。「上位」は誤り。「下達」は下の者に通じさせること。
類義語に上命下達(じょうめいかたつ)がある。
対義語は下意上達(かいじょうたつ)。
町並み




地蔵物語(225)


◇ちょっと予備知識 → 「上意」は上の者の考えや命令。「上位」は誤り。「下達」は下の者に通じさせること。
類義語に上命下達(じょうめいかたつ)がある。
対義語は下意上達(かいじょうたつ)。
町並み




地蔵物語(225)



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今京都 春風駘蕩 2008/12/06 12:00 am
しゅんぷうたいとう…やわらかな風がそよそよと吹くような、春の景色ののどかなさま。ここから、人柄などが穏やかでのんびりしていること。また、変わったことがなく平穏無事なこと。
◇ちょっと予備知識 → 「駘蕩」は、のびのびとして穏やかなさま。
類義語に春日遅遅(しゅんじつちち)がある。
対義語は秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)。
草花





草花で秋の雰囲気が表現できないかと撮ってみたものの、もうひとつかな…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 「駘蕩」は、のびのびとして穏やかなさま。
類義語に春日遅遅(しゅんじつちち)がある。
対義語は秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)。
草花





草花で秋の雰囲気が表現できないかと撮ってみたものの、もうひとつかな…今京都。


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今京都 純真無垢 2008/12/05 12:00 am
じゅんしんむく…偽りや汚れがない清らかな心を持っていること。また、性格や性質が素直で飾り気がないこと。
◇ちょっと予備知識 → 特に子どもについていう。「純真」を「純心」と書くのは誤り。
類義語に純一無雑(じゅんいつむざつ)・純情可憐(じゅんじょうかれん)・
純粋無垢(じゅんすいむく)・清浄無垢(せいじょうむく)がある。
信号の音
交差点で視覚障害者に青信号を知らせる音響装置が「とおりゃんせ」などのメロディー式から、鳥の鳴き声が鳴き交わす擬音式に順次切り替わっている。メロディー方式は京都府内でも下京区のJR京都駅前などに計8基あるらしいが、擬音式の方が視覚障害者にとっては便利とされるため、全国的に統一が進むという。

郷愁を呼ぶおなじみのメロディーは静かに姿を消そうとしているということだ。
音響装置は「カッコー」「ピヨ」など鳥の声を使った擬音式と、「とおりゃんせ」「故郷の空」などのメロディー式がある。

2006年度末で、全国に約15000基の装置があり、メロディー式は約2000基。4年前に比べ約1000基減ったという。

切り替えは警察庁が2003年に出した指針が背景にあり、実証実験の結果、同じ進行方向の青信号で「カッコー」と「カカッコー」などと時間差で二種類の音が交わされる「異種鳴き交わし方式」が最もわかりやすいとして擬音式へ全国的な統一をもとめた。その結果、大阪府では全て擬音式に変更されている。

確かに「異種鳴き交わし方式」をよーく聞いていると、東西に渡るのと、南北に渡るのとで統一されているのはたしかだ。

「とおりゃんせは交差点のイメージにぴったりなど愛着の声もあるが、統一の流れはやむを得ない」という。それにしても機械による誘導もいいが、機会だけの誘導には限界があり、人のサポートがより重要ではないかと思う…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

◇ちょっと予備知識 → 特に子どもについていう。「純真」を「純心」と書くのは誤り。
類義語に純一無雑(じゅんいつむざつ)・純情可憐(じゅんじょうかれん)・
純粋無垢(じゅんすいむく)・清浄無垢(せいじょうむく)がある。
信号の音
交差点で視覚障害者に青信号を知らせる音響装置が「とおりゃんせ」などのメロディー式から、鳥の鳴き声が鳴き交わす擬音式に順次切り替わっている。メロディー方式は京都府内でも下京区のJR京都駅前などに計8基あるらしいが、擬音式の方が視覚障害者にとっては便利とされるため、全国的に統一が進むという。

郷愁を呼ぶおなじみのメロディーは静かに姿を消そうとしているということだ。
音響装置は「カッコー」「ピヨ」など鳥の声を使った擬音式と、「とおりゃんせ」「故郷の空」などのメロディー式がある。

2006年度末で、全国に約15000基の装置があり、メロディー式は約2000基。4年前に比べ約1000基減ったという。

切り替えは警察庁が2003年に出した指針が背景にあり、実証実験の結果、同じ進行方向の青信号で「カッコー」と「カカッコー」などと時間差で二種類の音が交わされる「異種鳴き交わし方式」が最もわかりやすいとして擬音式へ全国的な統一をもとめた。その結果、大阪府では全て擬音式に変更されている。

確かに「異種鳴き交わし方式」をよーく聞いていると、東西に渡るのと、南北に渡るのとで統一されているのはたしかだ。

「とおりゃんせは交差点のイメージにぴったりなど愛着の声もあるが、統一の流れはやむを得ない」という。それにしても機械による誘導もいいが、機会だけの誘導には限界があり、人のサポートがより重要ではないかと思う…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 春日遅遅 2008/12/04 12:00 am
しゅんじつちち…のどかで、暮れ行くのが遅い春の日。うららかな春の一日。
◇ちょっと予備知識 → 「春日」は春の日。春の日差し。「遅遅」は日が長いこと。
類義語に春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)がある。
羅漢




笑っているものや考えているもの、おどけているものが難しい顔をしているもの。羅漢さんは喜怒哀楽の表情が豊かだ。見ているだけでイヤな気持ちが吹っ飛ぶ不思議な存在…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 「春日」は春の日。春の日差し。「遅遅」は日が長いこと。
類義語に春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)がある。
羅漢




笑っているものや考えているもの、おどけているものが難しい顔をしているもの。羅漢さんは喜怒哀楽の表情が豊かだ。見ているだけでイヤな気持ちが吹っ飛ぶ不思議な存在…今京都。


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今京都 首尾一貫 2008/12/03 12:00 am
しゅびいっかん…言動や態度が始めから終わりまで変わらず同じであること。行動に矛盾がないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「首尾」は頭と尾。転じて、物事の最初と最後、始めから終わりまで。
「一貫」は最初から最後まで、物事のやり方を同じ方法で貫き通すこと。
類義語に終始一貫(しゅうしいっかん)・徹頭徹尾(てっとうてつび)がある。
対義語は内股膏薬(うちまたこうやく)・付和雷同(ふわらいどう)。
天の岩戸(あまのいわと) vol.2(最終回) vol.1はここ
さて、「天の岩戸」であるが、大人なら少し腰をかがめて入らなければならない。その岩穴をくぐり抜けると、心と体の1年の罪・汚れが払い清められ福を招くとされる。

(昨日の最後の写真を進むと見えてきた)
「ぬけ参り」として知られ、元旦から年の節目となる2月3日の節分までの間、特に節分祭には多くの人が天の岩戸をくぐり抜ける。

人の手でくりぬかれたであろう天の岩戸が、いつできたのかは分からない。

(ここが入口)
「京都府山科町誌」(1930年)には、伊勢松坂の野呂宗光が日ノ岡に住んでいたときに、岩戸から神が現れた夢を見て再興し、寛永年間に厄除祭が行われたと書かれているという。

(入口から奥を望む)
17世紀にはすでにあったようで、風化が進む岩肌が、長い年月を感じさせる。

(中には祭壇が…三脚を持っていないのが辛い)
天の岩戸の入口の脇には、かつて舞台が設けられた石組みが残されている。

(L字型のところで入口を振り返る)
近年まで、神話にならって舞が奉納されていたが、戦前はこの舞台を使っていたという。

(こちらは出口)
臆することなく、岩戸に入りくぐり抜けてみた。ひんやりとした空気の洞窟を通り抜けるのに時間はかからないが、どことなく心がスッキリしたようだ。

(通り抜け振り向いて見た出口)
福招く「ぬけ参り」、2回も通り抜けたが、それは少し欲張りだっただろうか…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 「首尾」は頭と尾。転じて、物事の最初と最後、始めから終わりまで。
「一貫」は最初から最後まで、物事のやり方を同じ方法で貫き通すこと。
類義語に終始一貫(しゅうしいっかん)・徹頭徹尾(てっとうてつび)がある。
対義語は内股膏薬(うちまたこうやく)・付和雷同(ふわらいどう)。
天の岩戸(あまのいわと) vol.2(最終回) vol.1はここ
さて、「天の岩戸」であるが、大人なら少し腰をかがめて入らなければならない。その岩穴をくぐり抜けると、心と体の1年の罪・汚れが払い清められ福を招くとされる。

(昨日の最後の写真を進むと見えてきた)
「ぬけ参り」として知られ、元旦から年の節目となる2月3日の節分までの間、特に節分祭には多くの人が天の岩戸をくぐり抜ける。

人の手でくりぬかれたであろう天の岩戸が、いつできたのかは分からない。

(ここが入口)
「京都府山科町誌」(1930年)には、伊勢松坂の野呂宗光が日ノ岡に住んでいたときに、岩戸から神が現れた夢を見て再興し、寛永年間に厄除祭が行われたと書かれているという。

(入口から奥を望む)
17世紀にはすでにあったようで、風化が進む岩肌が、長い年月を感じさせる。

(中には祭壇が…三脚を持っていないのが辛い)
天の岩戸の入口の脇には、かつて舞台が設けられた石組みが残されている。

(L字型のところで入口を振り返る)
近年まで、神話にならって舞が奉納されていたが、戦前はこの舞台を使っていたという。

(こちらは出口)
臆することなく、岩戸に入りくぐり抜けてみた。ひんやりとした空気の洞窟を通り抜けるのに時間はかからないが、どことなく心がスッキリしたようだ。

(通り抜け振り向いて見た出口)
福招く「ぬけ参り」、2回も通り抜けたが、それは少し欲張りだっただろうか…今京都。

