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今京都 情状酌量 2008/12/12 12:00 am
じょうじょうしゃくりょう…罪を断じる際に、さまざまな事情を考慮して刑を軽減すること。罰を下すときに諸事情を酌み取ること。
◇ちょっと予備知識 → 「酌量」は、もとは米や酒を量ること。
転じて、処分を決定するに当たって事情を考慮すること。
類義語に酌量減刑(しゃくりょうげんけい)がある。
瀧尾神社(たきおじんじゃ) vol.2(最終回) vol.1はここ
拝殿建立から約160年後の2004(平成16)年9月。その思いが実を結ぶように、中国古来の「龍舞」を国内外のイベントで披露している鳥取県の「鳥取醒龍團」と縁がつながり、境内で舞う神事が始まった。

龍舞では、長さが木彫りの3倍もある25mの竜が躍動し、水の代わりにたる酒を飲む場面を演出。かつて神社を管理していた泉涌寺でも舞ったという。再現の立役者となった鳥取醒龍團は「神社や寺で舞ったのは初めて。ピリッとした気持ちになった」とコメントを残し、神社は「未来永劫続けたい」と意気込んでいると聞く。

瀧尾神社は京都市東山区。拝殿は無料公開しており間近に見られる。「扉のかんぬきを外し、備えているスリッパで上がってほしい。マナーは守って」と同神社。

竜が水を飲みに行ったと言われた今熊野川は神社のすぐ北を流れるが、今は暗渠になっている。拝殿以外の社殿でも十二支の木彫りなど豊富な装飾が見られる。

瀧尾神社は龍舞のほかにも、近年、神輿を新調して祭りを復活させ、絵馬に残るキツネ面の行列も再現。盆踊りでは地域の人たちが出す夜店が増えた。

長い間、地域とのつながりが弱く訪れる人もまばらだった神社で、新たな物語が始まる様子を、木彫りの竜が静かに見守っているように感じたのは気のせいだろうか…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 「酌量」は、もとは米や酒を量ること。
転じて、処分を決定するに当たって事情を考慮すること。
類義語に酌量減刑(しゃくりょうげんけい)がある。
瀧尾神社(たきおじんじゃ) vol.2(最終回) vol.1はここ
拝殿建立から約160年後の2004(平成16)年9月。その思いが実を結ぶように、中国古来の「龍舞」を国内外のイベントで披露している鳥取県の「鳥取醒龍團」と縁がつながり、境内で舞う神事が始まった。

龍舞では、長さが木彫りの3倍もある25mの竜が躍動し、水の代わりにたる酒を飲む場面を演出。かつて神社を管理していた泉涌寺でも舞ったという。再現の立役者となった鳥取醒龍團は「神社や寺で舞ったのは初めて。ピリッとした気持ちになった」とコメントを残し、神社は「未来永劫続けたい」と意気込んでいると聞く。

瀧尾神社は京都市東山区。拝殿は無料公開しており間近に見られる。「扉のかんぬきを外し、備えているスリッパで上がってほしい。マナーは守って」と同神社。

竜が水を飲みに行ったと言われた今熊野川は神社のすぐ北を流れるが、今は暗渠になっている。拝殿以外の社殿でも十二支の木彫りなど豊富な装飾が見られる。

瀧尾神社は龍舞のほかにも、近年、神輿を新調して祭りを復活させ、絵馬に残るキツネ面の行列も再現。盆踊りでは地域の人たちが出す夜店が増えた。

長い間、地域とのつながりが弱く訪れる人もまばらだった神社で、新たな物語が始まる様子を、木彫りの竜が静かに見守っているように感じたのは気のせいだろうか…今京都。


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今京都 常住不断 2008/12/11 12:00 am
じょうじゅうふだん…絶え間なく常に継続していること。平生。ふだん。いつも。
◇ちょっと予備知識 → 「常住」は仏教語で、過去・現在・未来にわたって常に存在するということ。永遠。
類義語に常住坐臥(じょうじゅうざが)・行住坐臥(ぎょうじゅうざが)がある。
瀧尾神社(たきおじんじゃ) vol.1
瀧尾神社は、江戸中期に行商から大呉服商になり、今の大丸百貨店の礎を築いた下村彦右衛門が熱心に参ったのが縁で、下村家の援助で修復を重ねてきた。

今の社殿は江戸後期の天保年間の完成。豊富な資金を背景にした再建で、拝殿の天井に極彩色の木彫りの竜が据えられた。

「夜な夜な川へ水を飲みに行っている」「恐くて眠れない」 長さ8mの色鮮やかな体をうねらせる迫力ある姿に、当時、近所の人たちの間でそんなうわさが広がった。神社は拝殿の天井に網を取り付けて竜を閉じ込め、人々の気持ちをしずめた。

しかし、この話は文書にも残っていない言い伝えで、今では近所でも知る人がほとんどいないという。

神社は地域に氏子を持たないため人の出入りも少なく、言い伝えは時の流れで多くの人の記憶から消えた。合わせるように極彩色も色あせ、地肌がむき出しになっていった。

竜が水を飲むという話は、どこにでもあるといえばあるが、言い伝えを鮮やかによみがえらせようという思いを抱いていたのではないだろうか…今京都。(続く)

◇ちょっと予備知識 → 「常住」は仏教語で、過去・現在・未来にわたって常に存在するということ。永遠。
類義語に常住坐臥(じょうじゅうざが)・行住坐臥(ぎょうじゅうざが)がある。
瀧尾神社(たきおじんじゃ) vol.1
瀧尾神社は、江戸中期に行商から大呉服商になり、今の大丸百貨店の礎を築いた下村彦右衛門が熱心に参ったのが縁で、下村家の援助で修復を重ねてきた。

今の社殿は江戸後期の天保年間の完成。豊富な資金を背景にした再建で、拝殿の天井に極彩色の木彫りの竜が据えられた。

「夜な夜な川へ水を飲みに行っている」「恐くて眠れない」 長さ8mの色鮮やかな体をうねらせる迫力ある姿に、当時、近所の人たちの間でそんなうわさが広がった。神社は拝殿の天井に網を取り付けて竜を閉じ込め、人々の気持ちをしずめた。

しかし、この話は文書にも残っていない言い伝えで、今では近所でも知る人がほとんどいないという。

神社は地域に氏子を持たないため人の出入りも少なく、言い伝えは時の流れで多くの人の記憶から消えた。合わせるように極彩色も色あせ、地肌がむき出しになっていった。

竜が水を飲むという話は、どこにでもあるといえばあるが、言い伝えを鮮やかによみがえらせようという思いを抱いていたのではないだろうか…今京都。(続く)


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今京都 生者必滅 2008/12/10 12:00 am
しょうじゃひつめつ…生ある者は、やがては必ず死に至るものであるということ。この世の儚さをいったことば。
◇ちょっと予備知識 → 仏教語。人生の無常をいったことば。「生者必滅、会者定離」と対にして使う。
類義語に会者定離(えしゃじょうり)・盛者必衰(じょうしゃひっすい)・
是生滅法(ぜしょうめっぽう)がある。
京の寒さ・暑さ
北国の冬もたいそう厳しいが、京都の冬の厳しさは北国の寒さとは少し異質なものがある。大雪にこそ見舞われないが、体の芯から冷えてくるような感じの寒さだ。おまけに空気に突き刺される感じの冷たさがある。「京の底冷え」とは本当にうまく表現されていると思う。

さらに夏の暑さはまた大変。30度を超えた程度でも、「じとっ」と汗ばみ、空気が体にまとわりつくような蒸し暑さである。

この京都独特のきびしい暑さ寒さを、京都人はネガティブに考えなかった。春夏秋冬、このはっきりした四季の移り変わりがあったからこそ、鴨川の床などに見られるような涼しく過ごす知恵や、他の地域にはない四季折々のさまざまな風情が生まれてきた。これがもう少し過ごしやすい気候の地ならば、独特の色を持たない、何のおもしろみもない都になっていたかもしれない。

寒い冬の夜、ひとつの「おこた」(炬燵)を真ん中に置き、両方から足を差し入れて寝るのが京都の子どものあたりまえだった。
暑い夏の日は、家の障子を取り外して簾をかけたり、夕方には庭に打ち水をし、行水をすませて浴衣に着替え、床几(しょうぎ)を表に出して夕涼み。こんな京の風情も今では見ることがめっきり少なくなったが、京都人はきびしい夏と冬をこのようなさまざまな知恵と工夫でしのいできた。

それはちょうど京都の町がいろいろな戦乱の時代をくぐりぬけてきた姿と似ているといわれる。きびしい状況を克服することで、京都の伝統に新しい味を付け加え、独特の個性や、情報を発信していくための文化のソフトを持つようになったというのが京都の町ではないかと思う。

これから先は、今までにないスピードで、いろんな感性やいろんな文化が京都に押し寄せてくるに違いない。それは底冷えする冬よりも、蒸し暑い夏よりも、もっときびしいものかもしれない。そのきびしさの中からまた新しい独特のソフトをつくっていかねばならない。そのためにはこれから先も確かな知恵と工夫を持ち続けなければならないのではないかという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

◇ちょっと予備知識 → 仏教語。人生の無常をいったことば。「生者必滅、会者定離」と対にして使う。
類義語に会者定離(えしゃじょうり)・盛者必衰(じょうしゃひっすい)・
是生滅法(ぜしょうめっぽう)がある。
京の寒さ・暑さ
北国の冬もたいそう厳しいが、京都の冬の厳しさは北国の寒さとは少し異質なものがある。大雪にこそ見舞われないが、体の芯から冷えてくるような感じの寒さだ。おまけに空気に突き刺される感じの冷たさがある。「京の底冷え」とは本当にうまく表現されていると思う。

さらに夏の暑さはまた大変。30度を超えた程度でも、「じとっ」と汗ばみ、空気が体にまとわりつくような蒸し暑さである。

この京都独特のきびしい暑さ寒さを、京都人はネガティブに考えなかった。春夏秋冬、このはっきりした四季の移り変わりがあったからこそ、鴨川の床などに見られるような涼しく過ごす知恵や、他の地域にはない四季折々のさまざまな風情が生まれてきた。これがもう少し過ごしやすい気候の地ならば、独特の色を持たない、何のおもしろみもない都になっていたかもしれない。

寒い冬の夜、ひとつの「おこた」(炬燵)を真ん中に置き、両方から足を差し入れて寝るのが京都の子どものあたりまえだった。
暑い夏の日は、家の障子を取り外して簾をかけたり、夕方には庭に打ち水をし、行水をすませて浴衣に着替え、床几(しょうぎ)を表に出して夕涼み。こんな京の風情も今では見ることがめっきり少なくなったが、京都人はきびしい夏と冬をこのようなさまざまな知恵と工夫でしのいできた。

それはちょうど京都の町がいろいろな戦乱の時代をくぐりぬけてきた姿と似ているといわれる。きびしい状況を克服することで、京都の伝統に新しい味を付け加え、独特の個性や、情報を発信していくための文化のソフトを持つようになったというのが京都の町ではないかと思う。

これから先は、今までにないスピードで、いろんな感性やいろんな文化が京都に押し寄せてくるに違いない。それは底冷えする冬よりも、蒸し暑い夏よりも、もっときびしいものかもしれない。そのきびしさの中からまた新しい独特のソフトをつくっていかねばならない。そのためにはこれから先も確かな知恵と工夫を持ち続けなければならないのではないかという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 盛者必衰 2008/12/09 12:00 am
じょうしゃひっすい…現在ときめいて栄華を誇っていている者でも、やがては必ず衰えるということ。この世の儚さを嘆くことば。
◇ちょっと予備知識 → 仏教語。「盛者」は「しょうじゃ」「しょうしゃ」とも読む。
類義語に栄枯盛衰(えいこせいすい)・生者必滅(しょうじゃひつめつ)・
盛者必滅(じょうしゃひつめつ)がある。
羅漢



rrbのブログ−フォトヴィレッジ−がリニューアルスタートして昨日で丸1年。今日からリニューアル2年めに突入だ。これからどのように展開していこうかと毎日試行錯誤。さて、どうしたらいい? 教えて!羅漢さん…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 仏教語。「盛者」は「しょうじゃ」「しょうしゃ」とも読む。
類義語に栄枯盛衰(えいこせいすい)・生者必滅(しょうじゃひつめつ)・
盛者必滅(じょうしゃひつめつ)がある。
羅漢



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