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今京都 好好爺 2009/02/17 12:00 am
こうこうや…人柄のよいおじさん。
◇ちょっと予備知識 → 「爺」は自分の父の称、または老人の尊称のこと。「孝行爺」と書くのは誤り。
対義語は狸爺(たぬきじじい)。
打ち合わせ・頭取・呂律・二の句がつげない・野暮・塩梅 (旧フォトヴィレッジ 2007年7月25日掲載)
「あれっ!? 今日の打ち合わせは何時からだっけ?」
「あっ、その時間は別の打ち合わせが…」
などと頻繁に使われる「打ち合わせ」という言葉。この「打ち合わせ」なんだけれど「打ち」「合わせる」というわけだが、文字通り「打つ」、すなわち打楽器を打って「合わせる」という日本の雅楽からきた言葉だという。

雅楽器による管弦楽(オーケストラ)は、三管(吹きもの)・二絃(弾きもの)・三鼓(打ちもの)からなる。でも西洋音楽のような指揮者はいない。では、どうして演奏を合わせるのかといえば、打楽器のなかの鞨鼓(かっこ)、つまり和の鼓(つづみ)のルーツのような楽器が指揮者のような役割をもち、演奏をリードすることになっている。雅楽は楽器ごとに譜面が違い、それぞれの楽器が違う譜面を見ながら、ひとつの曲を演奏する。そこで演奏前に微妙な演奏法の違いを調整する際に、打楽器が優先して約束事を決める。リハーサルでは打ちものの鞨鼓にオーケストラ全員の息をぴったりと合わせていく。これが「打ち合わせ」の語源だという。

ちょっと余談になるが、銀行の「頭取(とうどり)」は雅楽の管絃奏者中、一番偉い人をさす言葉からきている。つまり、管弦の各パートリーダーを「音頭(おんどう)」とよび、「音頭取り」という言葉はここから。その「音頭取り」の最高峰が「頭取」ということ。また、ついでに「呂律(ろれつ)がまわらない」は雅楽の「呂」音律、「律」音階から。さらに「二の句が継げない」は、雅楽の朗詠から出た言葉で、朗詠は一の句、二の句、三の句があり、音の低い一の句の終わりから、急に音階が高くなる二の句は「継げない」で皆苦労するというところから。

さてさて、「やぼなこと、いわんといて」の野暮。雅楽の代表的楽器ともいえる笙(しょう)からきている。笙は17本の竹管を円く束ね、吹いても吸っても同じ音が出せて、パイプオルガンのような音色がでる、これに17個のリードがついていた。しかし、日本ではいつのまにか二つの音が使われなくなって、リードが外される。その外された二つの音が「也(や)」と「毛(もう)」、すなわち「や・もう」で、それが変化して「やぼ」に。風流でない野暮な音として外されたそうだ。「野暮」という言葉が笙から生まれたのであれば、「塩梅(あんばい)」は篳篥(ひちりき)から生まれたという。雅楽用語では「えんばい」と読んで、音程をなめらかに変える演奏のこと。この篳篥を上手く奏することを「いい塩梅だ」というそうな。

いやはやなんともはや、京都と雅楽と言葉の不思議。雅楽はやっぱりスゴイ世界でこんなにも語源となっているとは、正直びっくり。意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.6(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
★前回の京が語源「おみやげ」はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → 「爺」は自分の父の称、または老人の尊称のこと。「孝行爺」と書くのは誤り。
対義語は狸爺(たぬきじじい)。
打ち合わせ・頭取・呂律・二の句がつげない・野暮・塩梅 (旧フォトヴィレッジ 2007年7月25日掲載)
「あれっ!? 今日の打ち合わせは何時からだっけ?」
「あっ、その時間は別の打ち合わせが…」
などと頻繁に使われる「打ち合わせ」という言葉。この「打ち合わせ」なんだけれど「打ち」「合わせる」というわけだが、文字通り「打つ」、すなわち打楽器を打って「合わせる」という日本の雅楽からきた言葉だという。

雅楽器による管弦楽(オーケストラ)は、三管(吹きもの)・二絃(弾きもの)・三鼓(打ちもの)からなる。でも西洋音楽のような指揮者はいない。では、どうして演奏を合わせるのかといえば、打楽器のなかの鞨鼓(かっこ)、つまり和の鼓(つづみ)のルーツのような楽器が指揮者のような役割をもち、演奏をリードすることになっている。雅楽は楽器ごとに譜面が違い、それぞれの楽器が違う譜面を見ながら、ひとつの曲を演奏する。そこで演奏前に微妙な演奏法の違いを調整する際に、打楽器が優先して約束事を決める。リハーサルでは打ちものの鞨鼓にオーケストラ全員の息をぴったりと合わせていく。これが「打ち合わせ」の語源だという。

ちょっと余談になるが、銀行の「頭取(とうどり)」は雅楽の管絃奏者中、一番偉い人をさす言葉からきている。つまり、管弦の各パートリーダーを「音頭(おんどう)」とよび、「音頭取り」という言葉はここから。その「音頭取り」の最高峰が「頭取」ということ。また、ついでに「呂律(ろれつ)がまわらない」は雅楽の「呂」音律、「律」音階から。さらに「二の句が継げない」は、雅楽の朗詠から出た言葉で、朗詠は一の句、二の句、三の句があり、音の低い一の句の終わりから、急に音階が高くなる二の句は「継げない」で皆苦労するというところから。

さてさて、「やぼなこと、いわんといて」の野暮。雅楽の代表的楽器ともいえる笙(しょう)からきている。笙は17本の竹管を円く束ね、吹いても吸っても同じ音が出せて、パイプオルガンのような音色がでる、これに17個のリードがついていた。しかし、日本ではいつのまにか二つの音が使われなくなって、リードが外される。その外された二つの音が「也(や)」と「毛(もう)」、すなわち「や・もう」で、それが変化して「やぼ」に。風流でない野暮な音として外されたそうだ。「野暮」という言葉が笙から生まれたのであれば、「塩梅(あんばい)」は篳篥(ひちりき)から生まれたという。雅楽用語では「えんばい」と読んで、音程をなめらかに変える演奏のこと。この篳篥を上手く奏することを「いい塩梅だ」というそうな。

いやはやなんともはや、京都と雅楽と言葉の不思議。雅楽はやっぱりスゴイ世界でこんなにも語源となっているとは、正直びっくり。意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.6(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
★前回の京が語源「おみやげ」はここ(←クリック)


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今京都 好一対 2009/02/15 12:00 am
こういっつい…調和のとれた似合いの組み合わせ。また、非常に仲のよい夫婦のたとえ。
◇ちょっと予備知識 → 「一対」は二つで一組となっているもの。
類義語に番(つがい)・一双(いっそう)がある。
羅漢

カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
旧フォトヴィレッジの再掲を続けているが、少し飽きてきた。まだまだたくさんある。掲載ネタに困らないのはいいけれど、タイムリーな内容が掲載できない。せめて羅漢さんで気分転換…今京都。
地蔵物語(244)

地蔵物語も結構継続している。京都にはまだまだお地蔵さんがある。お地蔵さんを探して自転車で奔走。時にはお尻が痛くなることも。目的が無い散策も楽しいが、目的のある奔走も楽しい…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 「一対」は二つで一組となっているもの。
類義語に番(つがい)・一双(いっそう)がある。
羅漢

カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
旧フォトヴィレッジの再掲を続けているが、少し飽きてきた。まだまだたくさんある。掲載ネタに困らないのはいいけれど、タイムリーな内容が掲載できない。せめて羅漢さんで気分転換…今京都。
地蔵物語(244)

地蔵物語も結構継続している。京都にはまだまだお地蔵さんがある。お地蔵さんを探して自転車で奔走。時にはお尻が痛くなることも。目的が無い散策も楽しいが、目的のある奔走も楽しい…今京都。


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今京都 下馬評 2009/02/14 12:00 am
げばひょう…直接関係のない人による勝手な批評。世間の評判。
◇ちょっと予備知識 → 下馬先で供の者が主人を待つ間に噂し合ったことから。
類義語に世評(せひょう)・風説(ふうせつ)・巷説(こうせつ)がある。
おみやげ (旧フォトヴィレッジ 2007年7月23日掲載)
「おみやげ」はどうして「お土産」と書くのだろう。そもそも「みやげ」って何のこと? ちょっと出かける際でも「おみやげ待ってるからねぇ」などといわれる。これほど身近な言葉なのに意外と語源がわからないもの。調べてみると「みやげ」と「土産」は、もとは別の言葉だった。

「みやげ」の語源は「都笥(みやこけ)」「宮笥(みやけ)」にあるという。「笥(け)」は物を入れる器や箱の意味で、「都笥」は都から、または都へ持参した贈り物。「宮笥」は神社へお詣りして家に持ち帰った、あるいは親族や友人に贈った贈り物のこと。いっぽう「土産」は中国から入った漢語で、鎌倉時代に書かれた『平家物語』の中にすでに「とさん」という日本読みがでている。その意味は土地の産物、またはその贈り物。という訳で、もともとあった「みやげ」という言葉に、同じような意味をもつ感じの「土産」を、いつのころから当て字したということになる。

「紅葉」を「もみじ」と読んだり、「時雨」を「しぐれ」と読んだりするのと近い。語源を調べるときによく使用している辞書は『日葡辞書(にっぽじしょ)』。この辞書には「みやげ」と「土産」は別々に納められている。江戸期の『安斎随筆』には、「土産」は「古語には「つと」といふ。都のつと、家づとなどといふ。今世みやげといふに同じ」とある。どうやらこの時代から「みやげ」と「土産」が一体化していったような感じがするね。
「つと」とは藁苞(わらづと)などといい、藁などを束ねて包んだもの、または包みを携えてゆくその地の産物をさす。万葉集にも見られるほどの古語なんだよ。それからすると「土産」を「つと」と読ませてもよかったのではないかとも思う。「苞(つと)」と「笥(け)」はその意味も漢字もよく似ている。都の苞があれば都笥(みやこけ)がある。いずれも「おみやげ」とその入れ物である箱や包みをさす言葉。おみやげものと箱や包みは切っても切れない間柄にあったということ。

都からの持参した贈り物「都笥(みやこけ)」から「みやげ」「土産」となったというお話。意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.5(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
★前回の京が語源「くわばら、くわばら」はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → 下馬先で供の者が主人を待つ間に噂し合ったことから。
類義語に世評(せひょう)・風説(ふうせつ)・巷説(こうせつ)がある。
おみやげ (旧フォトヴィレッジ 2007年7月23日掲載)
「おみやげ」はどうして「お土産」と書くのだろう。そもそも「みやげ」って何のこと? ちょっと出かける際でも「おみやげ待ってるからねぇ」などといわれる。これほど身近な言葉なのに意外と語源がわからないもの。調べてみると「みやげ」と「土産」は、もとは別の言葉だった。

「みやげ」の語源は「都笥(みやこけ)」「宮笥(みやけ)」にあるという。「笥(け)」は物を入れる器や箱の意味で、「都笥」は都から、または都へ持参した贈り物。「宮笥」は神社へお詣りして家に持ち帰った、あるいは親族や友人に贈った贈り物のこと。いっぽう「土産」は中国から入った漢語で、鎌倉時代に書かれた『平家物語』の中にすでに「とさん」という日本読みがでている。その意味は土地の産物、またはその贈り物。という訳で、もともとあった「みやげ」という言葉に、同じような意味をもつ感じの「土産」を、いつのころから当て字したということになる。

「紅葉」を「もみじ」と読んだり、「時雨」を「しぐれ」と読んだりするのと近い。語源を調べるときによく使用している辞書は『日葡辞書(にっぽじしょ)』。この辞書には「みやげ」と「土産」は別々に納められている。江戸期の『安斎随筆』には、「土産」は「古語には「つと」といふ。都のつと、家づとなどといふ。今世みやげといふに同じ」とある。どうやらこの時代から「みやげ」と「土産」が一体化していったような感じがするね。
「つと」とは藁苞(わらづと)などといい、藁などを束ねて包んだもの、または包みを携えてゆくその地の産物をさす。万葉集にも見られるほどの古語なんだよ。それからすると「土産」を「つと」と読ませてもよかったのではないかとも思う。「苞(つと)」と「笥(け)」はその意味も漢字もよく似ている。都の苞があれば都笥(みやこけ)がある。いずれも「おみやげ」とその入れ物である箱や包みをさす言葉。おみやげものと箱や包みは切っても切れない間柄にあったということ。

都からの持参した贈り物「都笥(みやこけ)」から「みやげ」「土産」となったというお話。意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.5(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
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今京都 首実検 2009/02/12 12:00 am
くびじっけん…実際に会ってみて、本人かどうか確かめること。
◇ちょっと予備知識 → 昔、戦場で討ち取った敵の首が本物か否か、大将みずから検査したことから。
「首実験」と書くのは誤り。
くわばら、くわばら (旧フォトヴィレッジ 2007年7月19日掲載)
何か恐ろしいことがあると「くわばら、くわばら」と唱える。特に昔は雷除けのおまじないであったという。なぜ「くわばら、くわばら」なんだろう。そもそも「くわばら」って何?という疑問を持つ。その由来にはさまざまな説があってハッキリしない。よく知られているのは京都ゆかりの説だということがわかった。

そもそも「くわばら、くわばら」は、「うるさい」と関係があるという。「うるさい」といえば菅原道真のタタリ伝説。この「くわばら」もタタリ伝説からきているというから驚きである。
ここで当時の出来事を列挙すると、
901年 菅原道真が九州・大宰府に流される。
903年 道真、大宰府で悲憤のうちに死去
909年 道真左遷を謀った左大臣・藤原時平が39歳で急死する。
915年 京の都に疱瘡(ほうそう)の病が大流行
916年 都の水が涸渇し、干ばつに苦しむ
922年 京に咳病が流行
930年 清清涼殿落雷事件。
大納言藤原清貫と右中弁平希世が震死、醍醐天皇はショックで病気となり、秋に崩御。
938年 天慶の大地震。宮中の内膳司崩れ、堂塔・仏像も多く倒壊。
959年 藤原師輔が北野の地に社殿を造営。
となる。

これだけの事件が続いているので、この時代を生きた人々の憂鬱な気持ちと社会不安が想像できる。実際に道真公の怨霊を鎮める北野天満宮が造営されるまで、50年近くの歳月が流れているのである。特に、930年の清涼殿落雷事件により、人々の不安は一気につのり、道真の怨霊が天神・雷神となって現れたに違いないと語られるようになった。これを受けて、道真の領地である「桑原(くわばら)」の地だけは落雷も避けられると信じられるようになり、いつの頃からか雷除けに「くわばら、くわばら」と唱えだしたという。

「御殿もゆらぐ雷声、わっとひれふし女房たち、世直し、世直し、桑原と、生きたる心地はなかりけり」とは近松門左衛門の「日本振袖始」の一節。平安時代の清涼殿落雷事件は、700年後の江戸時代にまで、語り継がれていた。それにしても雷も恐いが、天災や社会不安につきものの流言(りゅうげん)も恐い。今では、こちらのほうがある意味で「くわばら、くわばら」かも知れない。意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.4(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
★前回の京が語源「うるさい」はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → 昔、戦場で討ち取った敵の首が本物か否か、大将みずから検査したことから。
「首実験」と書くのは誤り。
くわばら、くわばら (旧フォトヴィレッジ 2007年7月19日掲載)
何か恐ろしいことがあると「くわばら、くわばら」と唱える。特に昔は雷除けのおまじないであったという。なぜ「くわばら、くわばら」なんだろう。そもそも「くわばら」って何?という疑問を持つ。その由来にはさまざまな説があってハッキリしない。よく知られているのは京都ゆかりの説だということがわかった。

そもそも「くわばら、くわばら」は、「うるさい」と関係があるという。「うるさい」といえば菅原道真のタタリ伝説。この「くわばら」もタタリ伝説からきているというから驚きである。
ここで当時の出来事を列挙すると、
901年 菅原道真が九州・大宰府に流される。
903年 道真、大宰府で悲憤のうちに死去
909年 道真左遷を謀った左大臣・藤原時平が39歳で急死する。
915年 京の都に疱瘡(ほうそう)の病が大流行
916年 都の水が涸渇し、干ばつに苦しむ
922年 京に咳病が流行
930年 清清涼殿落雷事件。
大納言藤原清貫と右中弁平希世が震死、醍醐天皇はショックで病気となり、秋に崩御。
938年 天慶の大地震。宮中の内膳司崩れ、堂塔・仏像も多く倒壊。
959年 藤原師輔が北野の地に社殿を造営。
となる。

これだけの事件が続いているので、この時代を生きた人々の憂鬱な気持ちと社会不安が想像できる。実際に道真公の怨霊を鎮める北野天満宮が造営されるまで、50年近くの歳月が流れているのである。特に、930年の清涼殿落雷事件により、人々の不安は一気につのり、道真の怨霊が天神・雷神となって現れたに違いないと語られるようになった。これを受けて、道真の領地である「桑原(くわばら)」の地だけは落雷も避けられると信じられるようになり、いつの頃からか雷除けに「くわばら、くわばら」と唱えだしたという。

「御殿もゆらぐ雷声、わっとひれふし女房たち、世直し、世直し、桑原と、生きたる心地はなかりけり」とは近松門左衛門の「日本振袖始」の一節。平安時代の清涼殿落雷事件は、700年後の江戸時代にまで、語り継がれていた。それにしても雷も恐いが、天災や社会不安につきものの流言(りゅうげん)も恐い。今では、こちらのほうがある意味で「くわばら、くわばら」かも知れない。意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.4(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
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今京都 金字塔 2009/02/10 12:00 am
きんじとう…永く後世に伝えられる不滅の業績。だれも達成したことのない偉業。
◇ちょっと予備知識 → ピラミッドのように、金の字の形をしている塔から。
類義語に偉業(いぎょう)・大業(たいぎょう)がある。
うるさい (旧フォトヴィレッジ 2007年7月15日掲載)
「うるさい」は「うるさし」がもと。その語源は平安時代にまでさかのぼる。もともと「うるさし」は「右流左死」。このただならぬ字面にはちゃんとエピソードがある。京都・北野天満宮に祀られる学問の神様・菅原道真。道真公が平安時代、右大臣についたとき、いっぽうの左大臣は藤原時平。ふたりはいずれも並外れた優秀さで、互いに激しいライバル意識を持ち合わせていた。

晩年、道真が九州の大宰府に流され、悲しみのうちに亡くなる。それは宇多天皇の信任厚い道真を左遷し、政界において藤原氏の地位を揺るぎないものにしようともくろむライバル時平の陰謀だった。ところが都で胸をなでおろしたはずの政敵・右大臣時平。いよいよこれからというときに、時平が39歳の若さで急死するという事件が起こる。以後、京の都に災難や天変地異が起こりはじめる。そしてついには、御所の清涼殿が落雷にあい炎上。即死者は出るし、醍醐天皇はショックを受けて病に倒れるし、あげくのはてはその秋に死去するという悲劇が続いた。

都の人々は、「これぞ道真公のたたりじゃ! 右大臣が流され、左大臣が死に『ああ右流左死』」と嘆いた。「うるさし」はここから生じた言葉だと、平安時代の故事や世間の雑事を語った話をまとめた「江談抄(ごうだんしょう)」には書いてある。平安時代から歳月が流れて、鎌倉時代の吉田兼好は「徒然草」第35段のなかで、
手のわろき人の、はばからず、文書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし
(筆の下手な人が、遠慮なく、手紙をどんどん書くのはよい。見苦しいと、人に書かせるのは、わざとらしくていやみだ)と、「うるさし」という言葉をこのように使用している。

現在、用いられている「うるさい」という言葉が意味する「面倒」だとか、「しつこい」だとか、「やかましい、騒々しい」だとかいった意味はここには感じられない。「わざとらしくて嫌気がさす」、つまり「策を弄す」とか、「背景に謀りごとがある」という点では「ああ右流左死」の時代の語源がまだ生きているように思える。
現在でも「ああ右流左死」のニュアンスが残っている用い方は「あの人は写真にはうるさい」などだう。意味は「並で満足せず高い水準を求めてしつこいさま」ということだ。また、夏目漱石は「うるさい」を「五月蝿い」と漢字で書いている。これは、五月の蠅は追っても追っても飛んできてまとわりつく、しつこい(京都人は「ひつこい」と発音する場合が多い)、いやになる、もううるさい! という代表的な用い方かも知れない。意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.3(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
★前回の京が語源「水に流す」はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → ピラミッドのように、金の字の形をしている塔から。
類義語に偉業(いぎょう)・大業(たいぎょう)がある。
うるさい (旧フォトヴィレッジ 2007年7月15日掲載)
「うるさい」は「うるさし」がもと。その語源は平安時代にまでさかのぼる。もともと「うるさし」は「右流左死」。このただならぬ字面にはちゃんとエピソードがある。京都・北野天満宮に祀られる学問の神様・菅原道真。道真公が平安時代、右大臣についたとき、いっぽうの左大臣は藤原時平。ふたりはいずれも並外れた優秀さで、互いに激しいライバル意識を持ち合わせていた。

晩年、道真が九州の大宰府に流され、悲しみのうちに亡くなる。それは宇多天皇の信任厚い道真を左遷し、政界において藤原氏の地位を揺るぎないものにしようともくろむライバル時平の陰謀だった。ところが都で胸をなでおろしたはずの政敵・右大臣時平。いよいよこれからというときに、時平が39歳の若さで急死するという事件が起こる。以後、京の都に災難や天変地異が起こりはじめる。そしてついには、御所の清涼殿が落雷にあい炎上。即死者は出るし、醍醐天皇はショックを受けて病に倒れるし、あげくのはてはその秋に死去するという悲劇が続いた。

都の人々は、「これぞ道真公のたたりじゃ! 右大臣が流され、左大臣が死に『ああ右流左死』」と嘆いた。「うるさし」はここから生じた言葉だと、平安時代の故事や世間の雑事を語った話をまとめた「江談抄(ごうだんしょう)」には書いてある。平安時代から歳月が流れて、鎌倉時代の吉田兼好は「徒然草」第35段のなかで、
手のわろき人の、はばからず、文書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし
(筆の下手な人が、遠慮なく、手紙をどんどん書くのはよい。見苦しいと、人に書かせるのは、わざとらしくていやみだ)と、「うるさし」という言葉をこのように使用している。

現在、用いられている「うるさい」という言葉が意味する「面倒」だとか、「しつこい」だとか、「やかましい、騒々しい」だとかいった意味はここには感じられない。「わざとらしくて嫌気がさす」、つまり「策を弄す」とか、「背景に謀りごとがある」という点では「ああ右流左死」の時代の語源がまだ生きているように思える。
現在でも「ああ右流左死」のニュアンスが残っている用い方は「あの人は写真にはうるさい」などだう。意味は「並で満足せず高い水準を求めてしつこいさま」ということだ。また、夏目漱石は「うるさい」を「五月蝿い」と漢字で書いている。これは、五月の蠅は追っても追っても飛んできてまとわりつく、しつこい(京都人は「ひつこい」と発音する場合が多い)、いやになる、もううるさい! という代表的な用い方かも知れない。意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.3(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
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