rrbのブログ - 今京都のエントリ
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にぬき2009/11/14 12:00 am
にぬき
ゆで卵のこと。「お弁当にニヌキ入れとくわ」 ニヌキは「煮抜く」の意味で、十分に煮た卵。上方からしだいに消えようとしている。「このパン、出来たてのヌクヌクや」のように、ヌクヌクは温かく湯気があがっているさまの擬態語。ヌクズシは茶わん寿司でヌクイ寿司の意。椎茸、湯葉、アナゴ、麩などを味付けにし、キクラゲに寿司を混ぜて作る。ムシズシということが多い。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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仲源寺/めやみ地蔵 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月30日掲載)
京都の街で美しい水辺の風景を演出する鴨川も、たびたび洪水で大きな被害を出した過去がある。治水対策が十分ではなかった当時、人々は洪水を起こす大雨が止むことをひたすら神仏に願った。四条大橋に近い仲源寺の地蔵菩薩にも、「雨止(あめやみ)信仰」の話が伝わる。現在の本尊・木造地蔵菩薩座像は室町時代の作とされ、境内には重要文化財の木造千住観世音菩薩座像も安置されている。


平安中期、仏師としても名高い僧の定朝が人々の安寧を願って木造の地蔵菩薩を彫った。都の人々の信仰を集めたが、平安末期には度重なる戦で地蔵を収めた堂は荒れ果て、草木が生い茂るまでになっていた。鎌倉時代の1228(安貞2)年秋、風雨が都を襲い、鴨川が氾濫。朝廷から「防鴨川使」に選ばれた中原為兼は民衆の救出に向かうが、橋は流され、家屋まで流れてきた。


ところが、不思議と人々は四条河原の茂みに流れ着き、命を救われた。茂みの中には、忘れ去られた地蔵の姿があった。「君主が徳を失い、人が義を忘れて利に走る時は、天道は怒って災いを下す。早く地蔵尊を念じ、人々を救うべし。」 為兼にお告げが下ると、たちまち水は引き、平常の鴨川の姿に戻ったという。地蔵は、為兼の名字(中原)に「人」と「水」を付けた仲源寺に安置され、「雨止地蔵」として信仰を再び集めるようになったという。さらに、この雨止地蔵には「後日談」があるという。


さて、その「後日談」とは、地蔵を熱心に信仰していた夫妻がいたが、その夫が目の病で失明するということから始まる。妻は地蔵に恨み言をいうと、その夜、夫の枕元に地蔵が現れ、寺の湧き水で目を洗うよう告げる。さっそく、お告げの通りにすると次第に目が見えるようになった。妻がお礼にお参りすると、地蔵の右目が朱色になり涙がつたっていた。このことから「雨止」から転じ、眼病に御利益がある「目疾(めやみ)地蔵」とも呼ばれるようになったという。


参拝者がくぐる寺の唐門には「雨奇晴好(うきせいこう)」の額がかかっている。晴天祈願に眼病平癒と、一見全く異なる御利益を授けてくれる地蔵尊。しかし、逆境に打ちひしがれるのではなく、晴雨とも元気に生き抜こうという前向きな考え方を今を生きる者たちに教えてくれているのかも知れない。そんな気がする…今京都。

ゆで卵のこと。「お弁当にニヌキ入れとくわ」 ニヌキは「煮抜く」の意味で、十分に煮た卵。上方からしだいに消えようとしている。「このパン、出来たてのヌクヌクや」のように、ヌクヌクは温かく湯気があがっているさまの擬態語。ヌクズシは茶わん寿司でヌクイ寿司の意。椎茸、湯葉、アナゴ、麩などを味付けにし、キクラゲに寿司を混ぜて作る。ムシズシということが多い。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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仲源寺/めやみ地蔵 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月30日掲載)
京都の街で美しい水辺の風景を演出する鴨川も、たびたび洪水で大きな被害を出した過去がある。治水対策が十分ではなかった当時、人々は洪水を起こす大雨が止むことをひたすら神仏に願った。四条大橋に近い仲源寺の地蔵菩薩にも、「雨止(あめやみ)信仰」の話が伝わる。現在の本尊・木造地蔵菩薩座像は室町時代の作とされ、境内には重要文化財の木造千住観世音菩薩座像も安置されている。


平安中期、仏師としても名高い僧の定朝が人々の安寧を願って木造の地蔵菩薩を彫った。都の人々の信仰を集めたが、平安末期には度重なる戦で地蔵を収めた堂は荒れ果て、草木が生い茂るまでになっていた。鎌倉時代の1228(安貞2)年秋、風雨が都を襲い、鴨川が氾濫。朝廷から「防鴨川使」に選ばれた中原為兼は民衆の救出に向かうが、橋は流され、家屋まで流れてきた。


ところが、不思議と人々は四条河原の茂みに流れ着き、命を救われた。茂みの中には、忘れ去られた地蔵の姿があった。「君主が徳を失い、人が義を忘れて利に走る時は、天道は怒って災いを下す。早く地蔵尊を念じ、人々を救うべし。」 為兼にお告げが下ると、たちまち水は引き、平常の鴨川の姿に戻ったという。地蔵は、為兼の名字(中原)に「人」と「水」を付けた仲源寺に安置され、「雨止地蔵」として信仰を再び集めるようになったという。さらに、この雨止地蔵には「後日談」があるという。


さて、その「後日談」とは、地蔵を熱心に信仰していた夫妻がいたが、その夫が目の病で失明するということから始まる。妻は地蔵に恨み言をいうと、その夜、夫の枕元に地蔵が現れ、寺の湧き水で目を洗うよう告げる。さっそく、お告げの通りにすると次第に目が見えるようになった。妻がお礼にお参りすると、地蔵の右目が朱色になり涙がつたっていた。このことから「雨止」から転じ、眼病に御利益がある「目疾(めやみ)地蔵」とも呼ばれるようになったという。


参拝者がくぐる寺の唐門には「雨奇晴好(うきせいこう)」の額がかかっている。晴天祈願に眼病平癒と、一見全く異なる御利益を授けてくれる地蔵尊。しかし、逆境に打ちひしがれるのではなく、晴雨とも元気に生き抜こうという前向きな考え方を今を生きる者たちに教えてくれているのかも知れない。そんな気がする…今京都。


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