rrbのブログ - 今京都のエントリ
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めーぼ2009/11/07 12:00 am
めーぼ
ものもらい。目の縁にできる小さい腫れ物。「メーボやと思うたら小豆粒やった」と唱えて、井戸に小豆を三つ後ろ向きに投げ入れるとメーボが治るなどという言い伝えがある。人から物をもらうと治るという民間信仰からモノモライというほか、全国各地の方言は多い。京都府北部や南山城ではメボ、メバチコとも言う。熊本でオヒメサン、仙台でバカなど麦粒腫の命名の動機をさぐるのも面白い。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
法雲寺/菊野大明神 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月23日掲載)
寺社仏閣、色々なご利益があるのは当然のこと。家内安全、無病息災、学業成就、良縁…などなど。その中でも「少し恐いな」と思うのが「縁切り」のご利益。「良縁を結び、悪縁を断つ」という大明神があると知り、早速でかけてみた。念のために断っておくけれど、願掛けに行ったのではない。

河原町二条の交差点を少し北に行った東側にある法雲寺のお堂内に「菊野大明神」の祠がひっそりとたたずむ。この「菊野大明神」が「どうしても別れたいのに、恋人が別れてくれない」「何とかして夫の浮気をやめさせたい」そんな縁切りの願いをかなえてくれるという。

言い伝えはこうだ。昔、三条東洞院に婚礼の儀で近くを通ると、その後に必ず夫婦が別れてしまう石があった。法雲寺が1788(天明8)年の大火で全焼し、15年後に再建する際、山伏が現れて「霊石があるのを知っているか。祭らなあかんぞ」と言った。当時の住職が霊石を探したところ、この「縁切り石」が出てきたという。また、別の伝承では、小野小町に恋焦がれて百夜通いをしていた深草少将が、腰掛けて休んだ石ともされている。少将はあと一夜を残して亡くなり、その石に無念の思いがこもって、男女を別れさせるというのだ。以前はうす暗いお堂の中の祠に、恨みのこもった願書が重なるように張られたり、ぐるぐるに巻いた女性の髪や五寸くぎを刺したわら人形が置かれるなど、不気味な雰囲気だったという。

この祠は、1988(昭和63)年に改装し、「良縁を結び悪縁だけを断ち切る神様」として信仰されているという。現実に訪れるのは「悪縁を切りたい人ばかり」で、しかも、その参拝者の9割は女性だということだ。最も多いのは「夫や恋人が浮気相手と別れてほしい」という願いだそうだ。他には「子どもの縁談が気に入らないから壊れてほしい」とか「ストーカーから逃れたい」などもあるというからある意味で時代を反映しているのかも知れない。

大明神に向かって「男の本性を教えて」などと悩みを打ち明けながらお参りする女性もいるという。男と女は心の根っこが違うから色々な意味での行き違いがあっても当たり前だと思うけれど、この祠で大明神を見つめていると参拝者たちの姿が目に浮かんでくる。現実は小説よりもドラマチックで、ドロドロしているということか…。

菊野大明神にお参りをした何ヶ月か後に「別れられました」とすっきりした顔で御礼参りに来る人も多いという。いつの世も一番の喜びも一番の苦しみも恋愛によってもたらされるのはひとつの事実だけれど、「男女の仲は難しい」としみじみと思い、いつしか手を合わせている自分がいた…今京都。

ものもらい。目の縁にできる小さい腫れ物。「メーボやと思うたら小豆粒やった」と唱えて、井戸に小豆を三つ後ろ向きに投げ入れるとメーボが治るなどという言い伝えがある。人から物をもらうと治るという民間信仰からモノモライというほか、全国各地の方言は多い。京都府北部や南山城ではメボ、メバチコとも言う。熊本でオヒメサン、仙台でバカなど麦粒腫の命名の動機をさぐるのも面白い。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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法雲寺/菊野大明神 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月23日掲載)
寺社仏閣、色々なご利益があるのは当然のこと。家内安全、無病息災、学業成就、良縁…などなど。その中でも「少し恐いな」と思うのが「縁切り」のご利益。「良縁を結び、悪縁を断つ」という大明神があると知り、早速でかけてみた。念のために断っておくけれど、願掛けに行ったのではない。

河原町二条の交差点を少し北に行った東側にある法雲寺のお堂内に「菊野大明神」の祠がひっそりとたたずむ。この「菊野大明神」が「どうしても別れたいのに、恋人が別れてくれない」「何とかして夫の浮気をやめさせたい」そんな縁切りの願いをかなえてくれるという。

言い伝えはこうだ。昔、三条東洞院に婚礼の儀で近くを通ると、その後に必ず夫婦が別れてしまう石があった。法雲寺が1788(天明8)年の大火で全焼し、15年後に再建する際、山伏が現れて「霊石があるのを知っているか。祭らなあかんぞ」と言った。当時の住職が霊石を探したところ、この「縁切り石」が出てきたという。また、別の伝承では、小野小町に恋焦がれて百夜通いをしていた深草少将が、腰掛けて休んだ石ともされている。少将はあと一夜を残して亡くなり、その石に無念の思いがこもって、男女を別れさせるというのだ。以前はうす暗いお堂の中の祠に、恨みのこもった願書が重なるように張られたり、ぐるぐるに巻いた女性の髪や五寸くぎを刺したわら人形が置かれるなど、不気味な雰囲気だったという。

この祠は、1988(昭和63)年に改装し、「良縁を結び悪縁だけを断ち切る神様」として信仰されているという。現実に訪れるのは「悪縁を切りたい人ばかり」で、しかも、その参拝者の9割は女性だということだ。最も多いのは「夫や恋人が浮気相手と別れてほしい」という願いだそうだ。他には「子どもの縁談が気に入らないから壊れてほしい」とか「ストーカーから逃れたい」などもあるというからある意味で時代を反映しているのかも知れない。

大明神に向かって「男の本性を教えて」などと悩みを打ち明けながらお参りする女性もいるという。男と女は心の根っこが違うから色々な意味での行き違いがあっても当たり前だと思うけれど、この祠で大明神を見つめていると参拝者たちの姿が目に浮かんでくる。現実は小説よりもドラマチックで、ドロドロしているということか…。

菊野大明神にお参りをした何ヶ月か後に「別れられました」とすっきりした顔で御礼参りに来る人も多いという。いつの世も一番の喜びも一番の苦しみも恋愛によってもたらされるのはひとつの事実だけれど、「男女の仲は難しい」としみじみと思い、いつしか手を合わせている自分がいた…今京都。


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