rrbのブログ - 今京都のエントリ
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ごめんやす2009/10/29 12:00 am
ごめんやす
あいさつ言葉で「今日は」に当たる。ちょっとすみませんがという気持ちで「ゴメンヤス奥さんおいやすか」と尋ねる。御免は「許すこと」の意味。尊敬語から訪問のときのあいさつになった。ゴメンヤスと訪れた客に「オイデヤス・オコシヤス」という。人の家の前を通るとき、「おかど(門)をゴメンヤッシャ」という。ゴメンヤシトクレヤスは丁寧な言い方。「お茶をこぼしてゴメンヤッシャ」と謝る。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
法輪寺/十三詣り (旧フォトヴィレッジ 2007年10月10日掲載)
以前に掲載した電電塔や電電宮がある法輪寺。電電塔は山門を入ったすぐ右手に、電電宮は階段の途中の左手にあり、階段を上りきると本堂がある。


ここの本来の信仰は「十三詣り」にある。数え年で13歳になった男女が渡月橋のすぐそばの法輪寺を参拝する「十三詣り」。お参りした後、渡月橋を渡るまでに後ろを振り返ると、授かった知恵が逃げてしまう。桜が見ごろを迎える春の嵐山で、真っすぐに前を見つめたまま、大人に付き添われた男の子や女の子が桂川を渡りきる。江戸時代中期から庶民の間に広がったといわれる「十三詣り」の慣習は「振り向いてはいけない」という言い伝えと一緒に今もいきづく。

中学生になったばかり、あるいは中学に進学する前の子どもが、今でこそ本尊の虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)に学業成就を祈願する意味合いが強くなった「十三詣り」だが、元々は干支を一巡し、区切りを迎えて大人になるための儀式だったという。

江戸時代。13歳になった男の子は田植えや稲刈りで、家の手伝いではなく一家の働き手として、大人と同じ働きを求められた。丁稚奉公に出されることもあった。女の子だと母と同じように一人前の家事の担い手になった。

着物も大人が身に付ける仕様になり、京都の室町や大阪の船場の商人が自らの力を誇示するため、娘に着せる振り袖の豪華さを競ったという話も残るという。しかし、本人にとっては自立の覚悟を迫られる決意の場でもあったということ。

「振り向いてはいけない」という言い伝えは、「もう後戻りは許されない」という厳しさを象徴したものなのだろうか。お詣りごとは何か約束事のあった方が、ご利益があるように思える。渡月橋からは法輪寺の本堂や多宝塔の屋根が見えるので、振り返ると知恵がお寺に逃げ帰ってしまうと言われるようになったのかも知れない。

ともあれ「振り向いてはいけない」信仰は根強い。かつて法輪寺に詣るには渡月橋を必ず渡らないといけなかったが、今は道路や交通機関の発達でその必要ない。しかし『十三詣り』に来た人はほぼ渡月橋を渡るという。中には「振り向いてしまった」と親に連れられ、あわててお寺に戻ってくる子どももいるという。

法輪寺は713年、元明天皇の命により行基が建立し、800年頃、弘法大師の弟子の道昌が渡月橋を架け虚空蔵菩薩を安置したといわれる。現在、「十三詣り」は4月13日の前後1ヶ月間と10・11月を期間とされている。「振り返らず」ということは時には大人に必要な要素かも知れない…今京都。

あいさつ言葉で「今日は」に当たる。ちょっとすみませんがという気持ちで「ゴメンヤス奥さんおいやすか」と尋ねる。御免は「許すこと」の意味。尊敬語から訪問のときのあいさつになった。ゴメンヤスと訪れた客に「オイデヤス・オコシヤス」という。人の家の前を通るとき、「おかど(門)をゴメンヤッシャ」という。ゴメンヤシトクレヤスは丁寧な言い方。「お茶をこぼしてゴメンヤッシャ」と謝る。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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法輪寺/十三詣り (旧フォトヴィレッジ 2007年10月10日掲載)
以前に掲載した電電塔や電電宮がある法輪寺。電電塔は山門を入ったすぐ右手に、電電宮は階段の途中の左手にあり、階段を上りきると本堂がある。


ここの本来の信仰は「十三詣り」にある。数え年で13歳になった男女が渡月橋のすぐそばの法輪寺を参拝する「十三詣り」。お参りした後、渡月橋を渡るまでに後ろを振り返ると、授かった知恵が逃げてしまう。桜が見ごろを迎える春の嵐山で、真っすぐに前を見つめたまま、大人に付き添われた男の子や女の子が桂川を渡りきる。江戸時代中期から庶民の間に広がったといわれる「十三詣り」の慣習は「振り向いてはいけない」という言い伝えと一緒に今もいきづく。

中学生になったばかり、あるいは中学に進学する前の子どもが、今でこそ本尊の虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)に学業成就を祈願する意味合いが強くなった「十三詣り」だが、元々は干支を一巡し、区切りを迎えて大人になるための儀式だったという。

江戸時代。13歳になった男の子は田植えや稲刈りで、家の手伝いではなく一家の働き手として、大人と同じ働きを求められた。丁稚奉公に出されることもあった。女の子だと母と同じように一人前の家事の担い手になった。

着物も大人が身に付ける仕様になり、京都の室町や大阪の船場の商人が自らの力を誇示するため、娘に着せる振り袖の豪華さを競ったという話も残るという。しかし、本人にとっては自立の覚悟を迫られる決意の場でもあったということ。

「振り向いてはいけない」という言い伝えは、「もう後戻りは許されない」という厳しさを象徴したものなのだろうか。お詣りごとは何か約束事のあった方が、ご利益があるように思える。渡月橋からは法輪寺の本堂や多宝塔の屋根が見えるので、振り返ると知恵がお寺に逃げ帰ってしまうと言われるようになったのかも知れない。

ともあれ「振り向いてはいけない」信仰は根強い。かつて法輪寺に詣るには渡月橋を必ず渡らないといけなかったが、今は道路や交通機関の発達でその必要ない。しかし『十三詣り』に来た人はほぼ渡月橋を渡るという。中には「振り向いてしまった」と親に連れられ、あわててお寺に戻ってくる子どももいるという。

法輪寺は713年、元明天皇の命により行基が建立し、800年頃、弘法大師の弟子の道昌が渡月橋を架け虚空蔵菩薩を安置したといわれる。現在、「十三詣り」は4月13日の前後1ヶ月間と10・11月を期間とされている。「振り返らず」ということは時には大人に必要な要素かも知れない…今京都。


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