rrbのブログ - こうとな
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こうとな2009/06/02 12:00 am
こうとな
「あそこの奥さんコートナ着物着て、ようお似合いどすな」「ええ柄やけど、あんたにはちょっとコートナ色やと思います」 地味、上品な、の意。ハンナリと対照的。「会社の偉いさんやのにコートニ暮らしてはる」 コートニに質素に。公道に基づく。公道は質素で堅実、派手でないことの意味で、もとは世間一般に通ずる道理。京の庶民は目立ち過ぎる色を避けてコートナ渋い色彩を懐かしみ、親しむ傾向がある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
会席と懐石 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月9日掲載)
「○○名様のご予約ですね。お料理はカイセキ料理になりますが、よろしいでしょうか?」 さて、この場合のカイセキは「会席」? それとも「懐石」?

現実に現在の京都の料亭で「会席料理」と「懐石料理」の区別は殆どないという。京料亭の料理を見ても懐石料理があれば、会席コースもある。昼会席があれば昼懐石もある。懐石のほうが精進料理に近いかといえばそうでもないらしい。調べてみると、この二つはもともとは違った存在のもの。「会席」は「懐石」にはじまり、「懐石」はそのもとは「温石(おんじゃく)」や「薬石(やくせき)」にあったという。

話は、京料理の贅を尽くした世界から、釈迦の時代へと変わる。釈迦の時代の修行僧は一日一食、午前中の食事だけだった。空腹に耐えかねたときは、温めた石、すなわち「温石」や「薬石」を布で包んで腹に当て、飢えや寒さをしのいだという。腹の底から温めることで、体温の低下を防ぐことができるということだ。後に修行僧の食事は朝食と昼食の二食になるが、それ以外にこの「温石」や「薬石」が夜食の粥や簡単な夕食、すなわち点心(てんしん)をさすようになる。

「懐石」という言葉は、懐に入れる石、つまり「温石」や「薬石」で腹を温める程度の軽い食事という意味。11世紀、北宋の詩人・蘇軾(そしょく)が点心を供するのに「懐石」という言葉を最初に用いたともいわれている。これを中国の禅僧が、お茶とともに京の禅寺に伝えたものだという。こうして京での茶の湯の発展とともに、お茶をもてなす前の温石のような食事ということで「茶懐石」という言葉が使われはじめる。

一方、「会席」は「懐石」から派生して、江戸時代には連歌や俳諧の席をさした。これらの席は料亭で行なわれることが多く、またその顔ぶれは茶席も連歌や俳諧の席も、同じ人が多い。料亭が「懐石」あるいは「俳席」と区別して「会席」の看板を上げるようになったとか。その席で、もてなす料理は当初は「懐石」のように簡素を旨としていたものが、しだいに宴席用の上等な料理となって、現在の「会席料理」にいたっているという。

京都には仕出し専門の料理屋があるのが特徴。それらは本格的な茶懐石を扱うお店、会席料理を専門に扱うお店などと分かれており、目的に応じて使い分けることができる。しかし、一般にお店を構える料亭で、メニューとして掲げられた「会席料理」と「懐石料理」にはそれほどの差は見当たらない。文字が違うのだから違いがはっきりしているほうが気持ちがいいのだけれど。いずれにしても「会席」と「懐石」は京で発展したのだが、現在では区別がないのも事実というお話…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。

「あそこの奥さんコートナ着物着て、ようお似合いどすな」「ええ柄やけど、あんたにはちょっとコートナ色やと思います」 地味、上品な、の意。ハンナリと対照的。「会社の偉いさんやのにコートニ暮らしてはる」 コートニに質素に。公道に基づく。公道は質素で堅実、派手でないことの意味で、もとは世間一般に通ずる道理。京の庶民は目立ち過ぎる色を避けてコートナ渋い色彩を懐かしみ、親しむ傾向がある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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会席と懐石 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月9日掲載)
「○○名様のご予約ですね。お料理はカイセキ料理になりますが、よろしいでしょうか?」 さて、この場合のカイセキは「会席」? それとも「懐石」?

現実に現在の京都の料亭で「会席料理」と「懐石料理」の区別は殆どないという。京料亭の料理を見ても懐石料理があれば、会席コースもある。昼会席があれば昼懐石もある。懐石のほうが精進料理に近いかといえばそうでもないらしい。調べてみると、この二つはもともとは違った存在のもの。「会席」は「懐石」にはじまり、「懐石」はそのもとは「温石(おんじゃく)」や「薬石(やくせき)」にあったという。

話は、京料理の贅を尽くした世界から、釈迦の時代へと変わる。釈迦の時代の修行僧は一日一食、午前中の食事だけだった。空腹に耐えかねたときは、温めた石、すなわち「温石」や「薬石」を布で包んで腹に当て、飢えや寒さをしのいだという。腹の底から温めることで、体温の低下を防ぐことができるということだ。後に修行僧の食事は朝食と昼食の二食になるが、それ以外にこの「温石」や「薬石」が夜食の粥や簡単な夕食、すなわち点心(てんしん)をさすようになる。

「懐石」という言葉は、懐に入れる石、つまり「温石」や「薬石」で腹を温める程度の軽い食事という意味。11世紀、北宋の詩人・蘇軾(そしょく)が点心を供するのに「懐石」という言葉を最初に用いたともいわれている。これを中国の禅僧が、お茶とともに京の禅寺に伝えたものだという。こうして京での茶の湯の発展とともに、お茶をもてなす前の温石のような食事ということで「茶懐石」という言葉が使われはじめる。

一方、「会席」は「懐石」から派生して、江戸時代には連歌や俳諧の席をさした。これらの席は料亭で行なわれることが多く、またその顔ぶれは茶席も連歌や俳諧の席も、同じ人が多い。料亭が「懐石」あるいは「俳席」と区別して「会席」の看板を上げるようになったとか。その席で、もてなす料理は当初は「懐石」のように簡素を旨としていたものが、しだいに宴席用の上等な料理となって、現在の「会席料理」にいたっているという。

京都には仕出し専門の料理屋があるのが特徴。それらは本格的な茶懐石を扱うお店、会席料理を専門に扱うお店などと分かれており、目的に応じて使い分けることができる。しかし、一般にお店を構える料亭で、メニューとして掲げられた「会席料理」と「懐石料理」にはそれほどの差は見当たらない。文字が違うのだから違いがはっきりしているほうが気持ちがいいのだけれど。いずれにしても「会席」と「懐石」は京で発展したのだが、現在では区別がないのも事実というお話…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。


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