rrbのブログ - 今京都のエントリ
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一目散2009/01/20 12:00 am
いちもくさん…わき目もふらずに走っていくさま。まっしぐら。
◇ちょっと予備知識 → 必死で逃げるときに使うことが多い。
類義語に一散(いっさん)がある。
門掃き
以前に、きれいにお化粧した若奥さん風の女性が立派な町家の前をホウキで掃いている場面に「門掃きの励行で私たちのまちを美しく」という文字を躍らした美化運動のポスターを見たことがある。家の前を「門(かど)」というのは京都府全域と新潟県佐渡市などに残る方言であり、「門掃き」という単語は方言辞典以外に見ることはないと聞く。自宅前を掃き清める習慣は他地域にも当然あるが、京都でそれが特に「門掃き」と名づけられたのには理由がある。門掃きは単なる掃除ではなく、地域の人々とのコミュニケーションの手段となっている。

門掃きの習慣がない地域から京都に嫁いできた女性などは、新婚旅行から帰った翌朝早々、門掃きするよう姑から言われるという。少しでも遅れると、他の家の方が気をつかって自分の家の前まではいてしまうというのも門掃きの規則のようだ。門掃きをしている地域住民の方々は「特別なことをしているわけではない」と口を揃えていう。ご近所が皆ホウキを使いつつ、「おはようさん」と挨拶をしあうのが円満の秘訣であり、「門掃き」の重要な役割だ。隣の住人がどんな人かわからないといった今どきの住宅事情では難しいかもしれないが、互いに挨拶しあうことで、犯罪や事故を未然に防ぐ効能がある点では先人の知恵といえる。

しかし、家庭環境の変化や職業の多様化により、必ずしも門掃きができる住民ばかりではないのも現実である。集合住宅ならば清掃はほとんど管理会社の手に委ねられているし、働きながら子育てをする主婦などの朝に門掃きしているような余裕はない。町の美化運動とコミュニケーションとしての門掃きとは分けるべきであろう。
朝の就業前にこの門掃きをする企業が増えている。地域社会への貢献といった意味から始めたのであろうが、今ではそういう気負いは感じられず、すれ違う人々と気軽に挨拶を交わす姿がすがすがしく見える。

「伝統的な習慣だから」という前に、良いところは残し、現代に合わないところは変えていくという意識改革がなければ「門掃き」の存続は難しいのではないかと思うが、東京都足立区では京都にならって「門掃き運動」を展開していると聞く。
この京の門掃きで使用されるホウキは植物のシダで作られた庭ホウキやデッキブラシ、竹ホウキが人気だという。いずれも京都府内産で、それぞれのホウキを各専門の職人が作っている。シダは水に強くゴミや砂をしっかり取るのが特徴で、12月になると新しいのに替えて新年を迎える人が多いという。
いずれにしても、京都の人間にとって門を掃くことはごく当り前のことであり、役所から言われてするものではない、という京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

◇ちょっと予備知識 → 必死で逃げるときに使うことが多い。
類義語に一散(いっさん)がある。
門掃き
以前に、きれいにお化粧した若奥さん風の女性が立派な町家の前をホウキで掃いている場面に「門掃きの励行で私たちのまちを美しく」という文字を躍らした美化運動のポスターを見たことがある。家の前を「門(かど)」というのは京都府全域と新潟県佐渡市などに残る方言であり、「門掃き」という単語は方言辞典以外に見ることはないと聞く。自宅前を掃き清める習慣は他地域にも当然あるが、京都でそれが特に「門掃き」と名づけられたのには理由がある。門掃きは単なる掃除ではなく、地域の人々とのコミュニケーションの手段となっている。

門掃きの習慣がない地域から京都に嫁いできた女性などは、新婚旅行から帰った翌朝早々、門掃きするよう姑から言われるという。少しでも遅れると、他の家の方が気をつかって自分の家の前まではいてしまうというのも門掃きの規則のようだ。門掃きをしている地域住民の方々は「特別なことをしているわけではない」と口を揃えていう。ご近所が皆ホウキを使いつつ、「おはようさん」と挨拶をしあうのが円満の秘訣であり、「門掃き」の重要な役割だ。隣の住人がどんな人かわからないといった今どきの住宅事情では難しいかもしれないが、互いに挨拶しあうことで、犯罪や事故を未然に防ぐ効能がある点では先人の知恵といえる。

しかし、家庭環境の変化や職業の多様化により、必ずしも門掃きができる住民ばかりではないのも現実である。集合住宅ならば清掃はほとんど管理会社の手に委ねられているし、働きながら子育てをする主婦などの朝に門掃きしているような余裕はない。町の美化運動とコミュニケーションとしての門掃きとは分けるべきであろう。
朝の就業前にこの門掃きをする企業が増えている。地域社会への貢献といった意味から始めたのであろうが、今ではそういう気負いは感じられず、すれ違う人々と気軽に挨拶を交わす姿がすがすがしく見える。

「伝統的な習慣だから」という前に、良いところは残し、現代に合わないところは変えていくという意識改革がなければ「門掃き」の存続は難しいのではないかと思うが、東京都足立区では京都にならって「門掃き運動」を展開していると聞く。
この京の門掃きで使用されるホウキは植物のシダで作られた庭ホウキやデッキブラシ、竹ホウキが人気だという。いずれも京都府内産で、それぞれのホウキを各専門の職人が作っている。シダは水に強くゴミや砂をしっかり取るのが特徴で、12月になると新しいのに替えて新年を迎える人が多いという。
いずれにしても、京都の人間にとって門を掃くことはごく当り前のことであり、役所から言われてするものではない、という京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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