rrbのブログ - 心頭滅却
ヘッダーナビゲーション
心頭滅却2009/01/07 12:00 am
しんとうめっきゃく…苦難に遭っても、心に浮かぶ雑念を消せば、苦しみを感じないでいられるという教え。無念無想の境地に達すれば火でさえも涼しく感じられるということ。
◇ちょっと予備知識 → 「心頭滅却すれば火もまた涼し」の形で使う。
類義語に無念無想(むねんむそう)がある。
雪月花
「雪月花」は日本の美しいものの代表といわれてきた。四季の自然美の代表的なものとしての冬の雪、秋の月、春の花。四季おりおりの風雅な眺め。そして、京都人が、ことさら、この雪や月や花を好むのには深い理由があるという。
雪は積もり、月は満月となり、花は咲き誇るように、それぞれのものの最盛といわれる時があるが、雪は陽に、月は地球の陰に、花は風によって、その姿をなくしてしまう。雪は解け、月は欠け、花は散ってしまう。しかし、やがて季節がめぐることで、再びその美しい姿が必ず蘇る。
京都人は何度も何度も都を荒らされてきたが、その度ごとに必ず復興してきたその京都の姿と、この雪や月や花を重ね合わせているのだという。雪、月、花に「見る」という一文字を付け加えれば、それぞれ雪見、月見、花見となる。それらは平安の時代から宮中において催された宴であり、儀式である。これらを愛でて詠まれた歌が現在も多く残っている。

(雪)
雪の白さは、混じりけのない純粋で清らかな例えとして賞賛され、またその白さから白髪を連想して、めでたきものと考えられてきた。それに雪は、「五穀の精」ともいわれ、雪が多いことは豊作の前兆とも、また五穀(米・麦・粟・豆・黍)を雪汁にひたせば虫が食わないともいわれてきた。「雪の都」、それはまさに絵にも描き表せないほど美しいものである。

(月)
月は古来より神仏としてあがめられてきた。人々の月への思いは強く、月を中心として世の全てのものが動くと信じられ、そんなところから現代でも使用される暦が生まれた。また、「月の都」という言葉があり、これは都の美しいさまをたとえていった。

(花)
花ほど人々の生活の中に密接にかかわっているものはない。喜びごとにも悲しみごとにも必ず登場する。そして物事を花にたとえることが、また大変多く見られる。「花の都」という言葉があるように、京都はまさに花そのものである。
この三種、これらは全て美しくはかないものばかりであるが、また、いつの日にか必ずや蘇るという再生の象徴でもある。京都人は、一見弱々しく、はかなく見えるかもしれないが、内に秘めた凛とした再生への思いをいつも持ち続けているのではないかという京都の文化のお話…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 「心頭滅却すれば火もまた涼し」の形で使う。
類義語に無念無想(むねんむそう)がある。
雪月花
「雪月花」は日本の美しいものの代表といわれてきた。四季の自然美の代表的なものとしての冬の雪、秋の月、春の花。四季おりおりの風雅な眺め。そして、京都人が、ことさら、この雪や月や花を好むのには深い理由があるという。
雪は積もり、月は満月となり、花は咲き誇るように、それぞれのものの最盛といわれる時があるが、雪は陽に、月は地球の陰に、花は風によって、その姿をなくしてしまう。雪は解け、月は欠け、花は散ってしまう。しかし、やがて季節がめぐることで、再びその美しい姿が必ず蘇る。
京都人は何度も何度も都を荒らされてきたが、その度ごとに必ず復興してきたその京都の姿と、この雪や月や花を重ね合わせているのだという。雪、月、花に「見る」という一文字を付け加えれば、それぞれ雪見、月見、花見となる。それらは平安の時代から宮中において催された宴であり、儀式である。これらを愛でて詠まれた歌が現在も多く残っている。

(雪)
雪の白さは、混じりけのない純粋で清らかな例えとして賞賛され、またその白さから白髪を連想して、めでたきものと考えられてきた。それに雪は、「五穀の精」ともいわれ、雪が多いことは豊作の前兆とも、また五穀(米・麦・粟・豆・黍)を雪汁にひたせば虫が食わないともいわれてきた。「雪の都」、それはまさに絵にも描き表せないほど美しいものである。

(月)
月は古来より神仏としてあがめられてきた。人々の月への思いは強く、月を中心として世の全てのものが動くと信じられ、そんなところから現代でも使用される暦が生まれた。また、「月の都」という言葉があり、これは都の美しいさまをたとえていった。

(花)
花ほど人々の生活の中に密接にかかわっているものはない。喜びごとにも悲しみごとにも必ず登場する。そして物事を花にたとえることが、また大変多く見られる。「花の都」という言葉があるように、京都はまさに花そのものである。
この三種、これらは全て美しくはかないものばかりであるが、また、いつの日にか必ずや蘇るという再生の象徴でもある。京都人は、一見弱々しく、はかなく見えるかもしれないが、内に秘めた凛とした再生への思いをいつも持ち続けているのではないかという京都の文化のお話…今京都。


このエントリーの情報
トラックバックping送信用URLを取得する
このエントリは以下のURLにトラックバックしています。
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/48940/p1l5ji5ihnsm 2009-01-07/01:18:21
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/540/p1l5ji5ihnsm 2009-01-07/01:18:21
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/539/p1l5ji5ihnsm 2009-01-07/01:18:21
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/70367/p1l5ji5ihnsm 2009-01-07/01:18:20
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/538/p1l5ji5ihnsm 2009-01-07/01:18:20
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/68842/p1l5ji5ihnsm 2009-01-07/01:18:20
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/9829/p1l5ji5ihnsm 2009-01-07/01:18:20
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/68969/p1l5ji5ihnsm 2009-01-07/01:15:21