rrbのブログ - 戦戦兢兢
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戦戦兢兢2008/08/05 12:06 am
せんせんきょうきょう…何か悪いことが起きるのではないかと、びくびくすること。悪い予感におびえているさま。
◇ちょっと予備知識 → 「兢兢」は、緊張してはらはらしていること。
「恐恐」とも書くが、字形の似た「競競」と書くのは誤り。
類義語に戦戦慄慄(せんせんりつりつ)・小心翼翼(しょうしんよくよく)がある。
中原中也の下宿
17歳。「在りし日の歌」の早熟の詩人は、詩集を抱え、京都の道をさまよい歩いた。中原中也(1907〜1937)は大正時代の京都で青春の日々を過ごし、若い女優と恋をした。

中原中也は1923(大正12)年、立命館中学に編入。3歳年上の女優長谷川泰子と一緒に、2年間を京都で過ごした。丸太町橋のそばの古書店で、詩集「ダダイスト新吉の詩」に出会った。
少年は京都時代、下宿を転々としている。北区小山、左京区聖護院。右京区大将軍の椿寺の裏。2年間で6度も転居を繰り返し、最後の下宿が、上京区河原町通今出川近くに現存しているという。

僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り注ぎ、風は花々揺っていた。(中略)棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者なく、風信機の上の空の上の色、時々見るのが仕事であった。(「ゆきてかへらぬ」から)
風信機は、風見鶏のこと。戦後もこの最後の家から、向かいの虫籠窓の家の向こうに竹ざおの風見鶏が見えたという。しかし、2階が増築されて隠れてしまう。中也の詩にあるのはその風見鶏のことだという。

17歳の中原中也はここで、女優と同棲生活を送った。中也が友人への転居届で「スペイン風掃き出し窓」と自慢してみせた窓は、2階東側の小窓ではないか、といわれている。中也ファンが時折、写真撮影に訪れる。
さて、中也はなぜ下宿を転々としたのだろう。

大正13年の京都の古地図を見ると、上京区に河原町通の名はなく、寺町通が電車道で大通りになっている。今出川通も鴨川に橋がなく行き止まり。地図をみると中也の下宿先は電車の沿線だったことが分かるという。十代の少年の同棲に対する社会の目の厳しさや、経済的な事情もあったのかもしれない。

戦後も下宿が並び、丸太町通や今出川には古書店も多かったという。
このほど立ち上がったNPO法人(特定非営利活動法人)「京都中也倶楽部」によると、他の中也の下宿先はガレージになるなど姿を消した。街は大正時代と変わったが、詩人の京での面影を探る人の輪が、静かに広がっているという。女優と恋し、青春の日を過ごした家が存在している…今京都。


◇ちょっと予備知識 → 「兢兢」は、緊張してはらはらしていること。
「恐恐」とも書くが、字形の似た「競競」と書くのは誤り。
類義語に戦戦慄慄(せんせんりつりつ)・小心翼翼(しょうしんよくよく)がある。
中原中也の下宿
17歳。「在りし日の歌」の早熟の詩人は、詩集を抱え、京都の道をさまよい歩いた。中原中也(1907〜1937)は大正時代の京都で青春の日々を過ごし、若い女優と恋をした。

中原中也は1923(大正12)年、立命館中学に編入。3歳年上の女優長谷川泰子と一緒に、2年間を京都で過ごした。丸太町橋のそばの古書店で、詩集「ダダイスト新吉の詩」に出会った。
少年は京都時代、下宿を転々としている。北区小山、左京区聖護院。右京区大将軍の椿寺の裏。2年間で6度も転居を繰り返し、最後の下宿が、上京区河原町通今出川近くに現存しているという。

僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り注ぎ、風は花々揺っていた。(中略)棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者なく、風信機の上の空の上の色、時々見るのが仕事であった。(「ゆきてかへらぬ」から)
風信機は、風見鶏のこと。戦後もこの最後の家から、向かいの虫籠窓の家の向こうに竹ざおの風見鶏が見えたという。しかし、2階が増築されて隠れてしまう。中也の詩にあるのはその風見鶏のことだという。

17歳の中原中也はここで、女優と同棲生活を送った。中也が友人への転居届で「スペイン風掃き出し窓」と自慢してみせた窓は、2階東側の小窓ではないか、といわれている。中也ファンが時折、写真撮影に訪れる。
さて、中也はなぜ下宿を転々としたのだろう。

大正13年の京都の古地図を見ると、上京区に河原町通の名はなく、寺町通が電車道で大通りになっている。今出川通も鴨川に橋がなく行き止まり。地図をみると中也の下宿先は電車の沿線だったことが分かるという。十代の少年の同棲に対する社会の目の厳しさや、経済的な事情もあったのかもしれない。

戦後も下宿が並び、丸太町通や今出川には古書店も多かったという。
このほど立ち上がったNPO法人(特定非営利活動法人)「京都中也倶楽部」によると、他の中也の下宿先はガレージになるなど姿を消した。街は大正時代と変わったが、詩人の京での面影を探る人の輪が、静かに広がっているという。女優と恋し、青春の日を過ごした家が存在している…今京都。




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