rrbのブログ - 疾風迅雷
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疾風迅雷2008/07/16 12:02 am
しっぷうじんらい…動きがすばやく激しいさま。目にもとまらぬ速さでやり遂げること。また、事態が急変すること。
◇ちょっと予備知識 → 「疾風」は、はやて。速くて激しい風のこと。「迅雷」は激しい雷鳴。
類義語に疾風怒濤(しっぷうどとう)・迅速果敢(じんそくかかん)・
電光石火(でんこうせっか)がある。
祇園祭の雰囲気
祇園祭では、「山」や「鉾」と呼ばれる山車が計32基登場。それらは中世の欧州や中国、シルクロードから伝えられたじゅんたんやタペストリー、西陣織等で飾られ、「動く美術館」とも呼ばれる。
山鉾をじっくり鑑賞するなら、お昼間が良い。夜、歩行者天国が始まると、新町通りや室町通りはまるで満員電車並みに混雑する。

放下鉾(ほうかぼこ)。 鉾の名は真木のなかほどの「天王座(てんのうざ)」に放下僧の像を祀るのに由来している。鉾頭の日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。
かつては長刀鉾と同様「生稚児」であったが1929(昭和4)年以降稚児人形にかえられている。稚児人形は久邇宮多嘉王(くにのみやたかおう)殿下より三光丸(さんこうまる)と命名せられ、巡行の折には稚児同様、鉾の上で稚児舞いができるように作られている。
この鉾は明治の中期に胴組・天井・柱・屋根などが大改装され、また金具類も順次整備せられた。この鉾も「 くじ取らず」の鉾。




菊水鉾(きくすいぼこ)。室町時代の末、町内に茶祖、千利休の師、武野紹おうの大黒庵があり、邸内にあった菊水井(きくすいい)にちなんで名付けられた。
鉾先は金色の十六辨菊華(れんきくか)をつけている。真木の「天王座」には彭祖(ほうそ)像を祀り、屋上の夷像は元夷山の御神体である。
この鉾は1864(元治)元年の兵火で消失したが、1952(昭和27)年、88年目に松本元治の願主で再興された。稚児人形は、菊の露を飲んで七百歳の長寿を保ったという能楽「菊慈童(きくじどう)」の舞姿。
屋根は、唐破風造り(からはふづくり)で翠簾(すいれん)を掲げるところは特に他の鉾と異っている。


月鉾(つきぼこ)。鉾頭に新月型(みかづき)をつけているのでこの名で呼ばれる。真木のなかほどの「天王座」には月読尊(つきよみのみこと)を祀る。古い鉾頭と天王の持つ櫂(かい)には「1573(元亀4)年6月吉日大錺屋勘右衛門(おおかざりやかんうえもん)」の刻銘がある。
鉾頭に1714(正徳4)年の刻銘のものもあるが、1981(昭和56)年から田辺勇蔵寄進の十八金製の鉾頭にかえているという。
屋根裏の草花図・前懸のメダリオン絨毯・錺金具など装飾品の絢爛豪華さから動く美術館の筆頭とも言われ、32の山鉾の中で最重量を誇る。
昨夜の宵々山には28万人の人出だったそうだ。その前の宵々々山は13万人。13万分の1にも28万分の1にもならんかった…今京都。(昨日の記事にも鉾の説明を入れたよ。)


◇ちょっと予備知識 → 「疾風」は、はやて。速くて激しい風のこと。「迅雷」は激しい雷鳴。
類義語に疾風怒濤(しっぷうどとう)・迅速果敢(じんそくかかん)・
電光石火(でんこうせっか)がある。
祇園祭の雰囲気
祇園祭では、「山」や「鉾」と呼ばれる山車が計32基登場。それらは中世の欧州や中国、シルクロードから伝えられたじゅんたんやタペストリー、西陣織等で飾られ、「動く美術館」とも呼ばれる。
山鉾をじっくり鑑賞するなら、お昼間が良い。夜、歩行者天国が始まると、新町通りや室町通りはまるで満員電車並みに混雑する。

放下鉾(ほうかぼこ)。 鉾の名は真木のなかほどの「天王座(てんのうざ)」に放下僧の像を祀るのに由来している。鉾頭の日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。
かつては長刀鉾と同様「生稚児」であったが1929(昭和4)年以降稚児人形にかえられている。稚児人形は久邇宮多嘉王(くにのみやたかおう)殿下より三光丸(さんこうまる)と命名せられ、巡行の折には稚児同様、鉾の上で稚児舞いができるように作られている。
この鉾は明治の中期に胴組・天井・柱・屋根などが大改装され、また金具類も順次整備せられた。この鉾も「 くじ取らず」の鉾。




菊水鉾(きくすいぼこ)。室町時代の末、町内に茶祖、千利休の師、武野紹おうの大黒庵があり、邸内にあった菊水井(きくすいい)にちなんで名付けられた。
鉾先は金色の十六辨菊華(れんきくか)をつけている。真木の「天王座」には彭祖(ほうそ)像を祀り、屋上の夷像は元夷山の御神体である。
この鉾は1864(元治)元年の兵火で消失したが、1952(昭和27)年、88年目に松本元治の願主で再興された。稚児人形は、菊の露を飲んで七百歳の長寿を保ったという能楽「菊慈童(きくじどう)」の舞姿。
屋根は、唐破風造り(からはふづくり)で翠簾(すいれん)を掲げるところは特に他の鉾と異っている。


月鉾(つきぼこ)。鉾頭に新月型(みかづき)をつけているのでこの名で呼ばれる。真木のなかほどの「天王座」には月読尊(つきよみのみこと)を祀る。古い鉾頭と天王の持つ櫂(かい)には「1573(元亀4)年6月吉日大錺屋勘右衛門(おおかざりやかんうえもん)」の刻銘がある。
鉾頭に1714(正徳4)年の刻銘のものもあるが、1981(昭和56)年から田辺勇蔵寄進の十八金製の鉾頭にかえているという。
屋根裏の草花図・前懸のメダリオン絨毯・錺金具など装飾品の絢爛豪華さから動く美術館の筆頭とも言われ、32の山鉾の中で最重量を誇る。
昨夜の宵々山には28万人の人出だったそうだ。その前の宵々々山は13万人。13万分の1にも28万分の1にもならんかった…今京都。(昨日の記事にも鉾の説明を入れたよ。)




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