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武信稲荷神社2021/12/24 12:00 am

「たけのぶいなりじんじゃ」と読む。この神社は、平安時代の初期、859(貞観元)年、藤原良相(ふじわらのよしすけ)によって創建された。平安時代の古図には、三条から南の神社付近一帯の広い地域は「この地、藤原氏延命院の地なり」と記されている。延命院とは藤原が、人々の健康長寿を願って創設した医療施設であり、延命院と勧学院(現千本三条東、西ノ京勧学院町にあった学問所)の守護神としてお祀りした神社…ということだ。

平安京の大内裏は、今の千本丸太町を中心とした場所であり、現在の千本通りが朱雀大路にあたることは知られている。この神社付近は貴族の邸宅や平安京の中央諸官庁があった地域とされている。

後世、藤原武信がこの神社を厚く信仰し、御神威の発揚につとめたので、武信神社と称されるようになり、創祀以来一千年余にわたり広く人々に信仰され、今日に至っている。必勝、名付け、命名にご利益があるとされている。

この神社も御朱印巡りの関係で再訪である。今回の記事を書くことで、以前にこのブログに掲載していたという事実を知る(以前の記事は 今京都記事一覧 からどうぞ)。なんとも悲しい現実に唖然…という今京都。












ブログ掲載で結構あちこち行ってるよ。覚えていないのは歳のせい?

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