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時代祭と火祭

投稿日時 2011-10-22 0:00:00
執筆者 rrb
代祭と
坂本龍馬に西郷隆盛、豊臣秀吉に淀君、また紫式部に清少納言と、おなじみの歴史人物をみつけるのが楽しい祭が時代祭。京都三大祭の最後を飾るこの祭は、平安遷都1100年を記念し、1895(明治28)年に創建された平安神宮の奉祝行事として「ひと目で京都の歴史と文化がわかる行事を」とはじまった時代行列である。室町幕府を開いた足利尊氏が朝廷の逆賊とみなされていたため、当初から除外されていた室町時代列が、2007(平成19)年から新たに参列することになり、より華やかな行列となった。
隊列は、明治維新からはじまり、維新勤皇隊列の山国隊に扮した鼓笛隊の少年たちの先導により、幕末志士列、徳川城使上洛列、江戸時代婦人列、豊公参朝列、織田公上洛列、室町幕府執政列、室町洛中風俗列、楠公上洛列、中世婦人列、城南流鏑馬列、藤原公卿参朝列、平安時代婦人列、延暦式官行進列、延暦文官参朝列、神饌講社列、前列(神幸列の前をいくため前列という)、神幸列、白川女献花列、弓箭組列の八つの時代、二十列、約2000人がそれぞれ時代考証された装束をまとい、調度品をもって行列する。
午前9時から神事ののち、隊列は正午に京都御所建礼門を出発、烏丸通、御池通、河原町通、三条通を経由して、約4.5kmを約3時間かけて練り歩き、平安神宮に到着する。



さらにこの日は、日中の時代祭の後、夜に鞍馬寺参道途中にある由岐神社(ゆきじんじゃ)の祭礼、鞍馬の火祭がある。鞍馬の火祭は、平将門の乱や天災で都が騒然としていた940(天慶3)年、朱雀天皇は鎮魂のために、御所から由岐大祭神を鞍馬の地へ遷すことを決めた。御所からの遷座の行列は、1kmにもおよび、篝火が焚かれた街道を神道具を先頭に、松明を手に手にもって行路する雄壮な光景であったという。それに感銘を受けた村人が、後世にも伝えようとしたのが祭の起源とされる。
油分が多いツツジの柴を藤の根で杉の木に縛りつけた松明は、最大で長さ4m、重さは100kgをこえるという。子ども用でも長さ1m強、重さは約10kgあり、大小あわせて約500本がつくられる。
22日の午後6時、「神事にまいらっしゃい」のかけ声を合図に、松明に火が灯される。締め込み姿の若者たちが「サイレヤ」「サイリョウ」とかけ声をさかんにあげて町を練り歩く。
3時間後に鞍馬寺仁王門前の石段に全員が勢揃いすると、ゴウゴウと燃える松明が、秋も深まった鞍馬の里を熱くする勇壮さだ。そして、由岐神社から二基の神輿がおりてきて、御旅所へ向かう。
この二基の神輿は、最近160年ぶりに解体修理され、金箔や金メッキの飾り金具が炎に照らされて神々しい光を放っているという。
京都の10月22日は、祭ファンにとっては忙しい1日であろう…という『きょうの京都』の今京都。


 




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